2022年04月30日
「幕末!京都事件ファイル①〔前編〕」
こんばんは。
現在、当ブログでは“本編”・第18話「京都見聞」を書き進めていますが、ここから3回ほど、ゴールデンウィーク特別企画です。
私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージ、佐賀県にある各地域の風景や人物の描き方、隣県の福岡や長崎の幕末期をどう表現するか…
また幕末期が題材の大河ドラマ作品の中で、どのような立ち位置を選択するか…という各種の課題があり、足らない才能の限界を顧みずに挑んでいます。
――さて、文久二年(1862年)夏頃。
第2部の主人公である江藤新平が国元・佐賀を脱藩し、京都での活動を開始しました。ここが“本編”の現在地です。
前回、京都(伏見)に到着したばかりの江藤の前に“祇園太郎”と名乗る男が現れました。謎の男のはずが、途中から「佐賀ことば」で語り出す展開に。
〔参照:第18話「京都見聞」⑥(もう1人の脱藩者)〕
“祇園太郎”は「九州の小京都」とも称される小城出身の実在人物。活動内容等には謎が多いようで、この時点では長崎に居た可能性もあるようです。

しかし、ここで数年前から上方(京・大坂)で活動した人物が登場したことには、江藤にも協力者がいたのではないかという推測と、構成上の都合があります。
不穏な空気の漂う京の都。新選組などの幕末の大河ドラマの“常連組”が、出揃う前の時期。そこには、激動の始まりとでも言うべき事件がありました。
――ここで、「幕末!京都事件ファイル①」です。
前回描いた「①寺田屋騒動」から。薩摩藩(鹿児島)の同士討ちの事件ですが、現在の“福岡県”の志士たちとも関わりが深いです。
〔参照:第18話「京都見聞」③(寺田屋騒動の始末)〕
「寺田屋事件」と呼ばれることもありますが、他にも同名称の事件があるため、“本編”では「寺田屋騒動」で通しています。
事件の発生時期は、文久二年(1862年)四月。新暦でいえば初夏の5月頃。場所は現・京都市南部。“川の港町”として栄えた水運の拠点・伏見です。

――この「①寺田屋騒動」は
「薩摩藩志士粛清事件」という事件名でも表されるようです。
伏見の船宿・寺田屋に集結した薩摩の勤王派志士が、幕府寄りの公家だった関白・九条尚忠の暗殺を計画したことが事件の背景にあります。
その動機は幕府に近い要人の襲撃を強行し、薩摩の国父(藩主の父)・島津久光が「もう“倒幕”に立つしかない状況」を作り出す事。
しかし、国父・島津久光の狙いは“公武合体”による幕府の改革で、主導権を取ること。亡兄・島津斉彬が熱心だった“一橋派”の復権運動にも見えます。
〔参照:「将軍継嗣問題をどう描くか?(後編)」〕
そして、“倒幕”は考えていなかったようです。逆に薩摩藩側は過激な志士たちを制圧するため、剣術に長けた藩士を派遣し、事態の収拾をはかります。
――鎮撫(制圧)する側の薩摩藩士は、
結局、説得に応じない勤王派に斬りかかりました。
制圧に赴いた側にも犠牲者が出ましたが、勤王派の被害は凄まじく、斬り合いの時点だけで6名が落命したそうです。
この壮絶な場面は、2018年大河ドラマ『西郷どん』でも描かれました。薩摩藩士・有馬新七〔演:増田修一郎〕が印象的だったように思います。
〔参照(中盤):「新キャストを考える④」(“絶望”を越えて行け)〕
倒幕への熱すぎる想いのもとで、同士討ちに散った“勤王派”。
同郷の者たちが残した“無念”が、のちに薩摩藩士たちが“武力倒幕”に執念を燃やす伏線とも考えられます。

――なお、同じ寺田屋には、
薩摩藩士のほか、公家の関係者、現在は福岡県内にあたる久留米藩、秋月藩などの志士も居ました。
久留米の真木和泉などは自藩に引き渡されたようですが、秋月の海賀宮門など薩摩方面に送られる方々も…。この辺り、本編でも表現を試みたいです。
本編によく名前が出る福岡の志士・平野国臣は、福岡藩も“倒幕”に協力するよう工作に動いており、事件現場には不在だったようです。
――こうして薩摩藩は、勤王派を追放し…
「幕府寄り・開国受容の薩摩 VS 倒幕派・攘夷実行の長州」という対立軸が、しばらく展開するようです。
そんな中、佐賀藩のある動きにより、薩摩藩との間に軋轢(あつれき)が生じるのですが、続きは“本編”の展開にあわせて書こうと思います。
なお、この『事件ファイル』は、中編に続く予定です。
現在、当ブログでは“本編”・第18話「京都見聞」を書き進めていますが、ここから3回ほど、ゴールデンウィーク特別企画です。
私が見たい「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージ、佐賀県にある各地域の風景や人物の描き方、隣県の福岡や長崎の幕末期をどう表現するか…
また幕末期が題材の大河ドラマ作品の中で、どのような立ち位置を選択するか…という各種の課題があり、足らない才能の限界を顧みずに挑んでいます。
――さて、文久二年(1862年)夏頃。
第2部の主人公である江藤新平が国元・佐賀を脱藩し、京都での活動を開始しました。ここが“本編”の現在地です。
前回、京都(伏見)に到着したばかりの江藤の前に“祇園太郎”と名乗る男が現れました。謎の男のはずが、途中から「佐賀ことば」で語り出す展開に。
〔参照:
“祇園太郎”は「九州の小京都」とも称される小城出身の実在人物。活動内容等には謎が多いようで、この時点では長崎に居た可能性もあるようです。

しかし、ここで数年前から上方(京・大坂)で活動した人物が登場したことには、江藤にも協力者がいたのではないかという推測と、構成上の都合があります。
不穏な空気の漂う京の都。新選組などの幕末の大河ドラマの“常連組”が、出揃う前の時期。そこには、激動の始まりとでも言うべき事件がありました。
――ここで、「幕末!京都事件ファイル①」です。
前回描いた「①寺田屋騒動」から。薩摩藩(鹿児島)の同士討ちの事件ですが、現在の“福岡県”の志士たちとも関わりが深いです。
〔参照:
「寺田屋事件」と呼ばれることもありますが、他にも同名称の事件があるため、“本編”では「寺田屋騒動」で通しています。
事件の発生時期は、文久二年(1862年)四月。新暦でいえば初夏の5月頃。場所は現・京都市南部。“川の港町”として栄えた水運の拠点・伏見です。

――この「①寺田屋騒動」は
「薩摩藩志士粛清事件」という事件名でも表されるようです。
伏見の船宿・寺田屋に集結した薩摩の勤王派志士が、幕府寄りの公家だった関白・九条尚忠の暗殺を計画したことが事件の背景にあります。
その動機は幕府に近い要人の襲撃を強行し、薩摩の国父(藩主の父)・島津久光が「もう“倒幕”に立つしかない状況」を作り出す事。
しかし、国父・島津久光の狙いは“公武合体”による幕府の改革で、主導権を取ること。亡兄・島津斉彬が熱心だった“一橋派”の復権運動にも見えます。
〔参照:
そして、“倒幕”は考えていなかったようです。逆に薩摩藩側は過激な志士たちを制圧するため、剣術に長けた藩士を派遣し、事態の収拾をはかります。
――鎮撫(制圧)する側の薩摩藩士は、
結局、説得に応じない勤王派に斬りかかりました。
制圧に赴いた側にも犠牲者が出ましたが、勤王派の被害は凄まじく、斬り合いの時点だけで6名が落命したそうです。
この壮絶な場面は、2018年大河ドラマ『西郷どん』でも描かれました。薩摩藩士・有馬新七〔演:増田修一郎〕が印象的だったように思います。
〔参照(中盤):
倒幕への熱すぎる想いのもとで、同士討ちに散った“勤王派”。
同郷の者たちが残した“無念”が、のちに薩摩藩士たちが“武力倒幕”に執念を燃やす伏線とも考えられます。

――なお、同じ寺田屋には、
薩摩藩士のほか、公家の関係者、現在は福岡県内にあたる久留米藩、秋月藩などの志士も居ました。
久留米の真木和泉などは自藩に引き渡されたようですが、秋月の海賀宮門など薩摩方面に送られる方々も…。この辺り、本編でも表現を試みたいです。
本編によく名前が出る福岡の志士・平野国臣は、福岡藩も“倒幕”に協力するよう工作に動いており、事件現場には不在だったようです。
――こうして薩摩藩は、勤王派を追放し…
「幕府寄り・開国受容の薩摩 VS 倒幕派・攘夷実行の長州」という対立軸が、しばらく展開するようです。
そんな中、佐賀藩のある動きにより、薩摩藩との間に軋轢(あつれき)が生じるのですが、続きは“本編”の展開にあわせて書こうと思います。
なお、この『事件ファイル』は、中編に続く予定です。