2022年04月26日
第18話「京都見聞」⑥(もう1人の脱藩者)
こんばんは。しばらく間が空きましたが、前回の続きです。
単身、佐賀を発った江藤新平。九州から出て瀬戸内では、大木喬任(民平)が用立てた旅費で、海路を利用して上方(京・大坂)に向かったとも聞きます。
福岡では、その人脈を当てにした勤王の志士・平野国臣の所在がつかめず、頼りとなる情報は、かなり乏しい状況でした。
そんな中、江藤は親友・中野方蔵の手紙によく出てきた長州藩士・久坂玄瑞を尋ねるべく行動します。

次第に目的地である京の都へと近づく江藤。その後の展開を見ると、誰か、足跡の残っていない協力者がいたのではないか…という気がしています。
――京。伏見の港。
大坂(大阪)へと流れていく川沿いに“港”が開ける。そこには、昼夜を問わずに乗合いの“三十石船”が入って来ていた。
この伏見の“京都港”は内陸にある。そもそも京の都は海に面してはいない。そのため、水運には川を使う。京から大坂方面へは下りの流れがある。
「ふぇ~い」「やっと伏見や…、」
口々に疲労感を訴える。くたびれ果てた人足たちの声が響く。大坂方面より、川の流れに逆らって、岸から縄を使って船を引っ張ってきた者たちだ。
「世話をかけた。」
伏見で船から降りる人々の中に、佐賀の脱藩浪士・江藤新平の姿もあった。

――江藤のよく通る声に、反応する人足たち。
「…おおっ、」「なんや、礼を言うとるで。」「あれ侍か?変わった奴やな…」
ひとしきり、その場がざわざわとした。
京から大坂への下りは、川の流れに乗り半日。大坂から京への上りは人力で頑張って遡り、約一日の行程だったという。
市街地へと水路を小舟で移動する、旅人や積荷が行き交う。川沿いは大いに賑わっている。伏見の船宿が並ぶ通りを行く江藤。
水が良く、酒どころとも評判がある伏見。酒蔵が並ぶ通りへと歩を進める。
――木陰から、その姿を見つめる者がいた。
「さて、あいつやな…。」
一言、たどたどしい上方(京・大坂)の言葉をつぶやいた男。少しずつ、江藤の背後に近づいていく。
掟を破って脱藩したと聞くが、その質素過ぎる身なりは、佐賀藩で奨励される倹約そのもの。「規則に背いて、決まり事を守る…」よくわからぬ男と見えた。
「あれっ…居らんぞ。」
曲がり角にさしかかった時、男は江藤を見失った様子だ。
「私に、何か用向きがあるのか。」
「おっ…!」

――不意に江藤の声が通る。近づいた男は絶句した。
「…え~っと。えーっとやな…」
気付かぬうちに、江藤の方が背後に回り込んでいたらしい。慌てた様子の男。
「そうや…あれや。」
この男の発する上方の言葉は、抑揚(よくよう)が安定しない。
「何用であるか。」
「待て、しばし待て!そがんに急ぐな。」
江藤の声は鋭い。そして、男の発する“上方ことば”は既に崩れている。
――男は右掌で「少し待って」と示し、ひと呼吸を入れた。
そして物々しく「行くで!」と発した。“禅問答”でも仕掛けるような空気だ。
「清水と言えば、何か!」
「…滝。」
「…なれば、清水の滝は、何処(いずこ)に在りや!」
「小城に在り。」
期せずに行うことになった、このやり取り。佐賀からの脱藩の実行前に、剣術道場の兄弟子で、小城支藩の代官を務める富岡敬明との話に出た内容だ。
〔参照:第18話「京都見聞」⑤(清水の滝、何処…)〕
「名は、何と言う。」
「江藤と申す。佐賀より出でて、京に参った。」

――江藤と、問答を仕掛けた男との間に流れる、微妙な沈黙の時。
「かくいうお主も、佐賀の者だな。」
スパッと言い放つ江藤。いわば“偽装”した関西人である「上方ことばの男」の面目は丸つぶれである。
「…なんね!そがん言わんでも、よかばってん。おいも気張って、上方の言葉を学びよるけん!」
色々と溜めていた気持ちがあふれたか“佐賀ことば”でまくしたてる、元・上方ことばの男。
「それは、済まぬ事を言った。」
いささか空気を読まない傾向の江藤だが、ここまで言葉が重なればわかる。おそらくは志を胸に佐賀から出てきた、この男も相当に苦労したのだ。
――ひとまずは、男が信用できそうな人物である事も見えた。
「名は、何と申されるか。」
「“祇園太郎”と名乗っておる。」
「幾分、わかりやすい“偽名”だな。」
「いきなり“偽名”やら言わんでよか…」
江藤の登場から調子が狂いっぱなしの“祇園太郎”だが、当時「ほぼ居ない」と言ってよいほど稀少な、佐賀からの脱藩者だった。
数年前から播磨(兵庫)を拠点に、京・大坂の様子を見聞している志士である。
(続く)
単身、佐賀を発った江藤新平。九州から出て瀬戸内では、大木喬任(民平)が用立てた旅費で、海路を利用して上方(京・大坂)に向かったとも聞きます。
福岡では、その人脈を当てにした勤王の志士・平野国臣の所在がつかめず、頼りとなる情報は、かなり乏しい状況でした。
そんな中、江藤は親友・中野方蔵の手紙によく出てきた長州藩士・久坂玄瑞を尋ねるべく行動します。

次第に目的地である京の都へと近づく江藤。その後の展開を見ると、誰か、足跡の残っていない協力者がいたのではないか…という気がしています。
――京。伏見の港。
大坂(大阪)へと流れていく川沿いに“港”が開ける。そこには、昼夜を問わずに乗合いの“三十石船”が入って来ていた。
この伏見の“京都港”は内陸にある。そもそも京の都は海に面してはいない。そのため、水運には川を使う。京から大坂方面へは下りの流れがある。
「ふぇ~い」「やっと伏見や…、」
口々に疲労感を訴える。くたびれ果てた人足たちの声が響く。大坂方面より、川の流れに逆らって、岸から縄を使って船を引っ張ってきた者たちだ。
「世話をかけた。」
伏見で船から降りる人々の中に、佐賀の脱藩浪士・江藤新平の姿もあった。

――江藤のよく通る声に、反応する人足たち。
「…おおっ、」「なんや、礼を言うとるで。」「あれ侍か?変わった奴やな…」
ひとしきり、その場がざわざわとした。
京から大坂への下りは、川の流れに乗り半日。大坂から京への上りは人力で頑張って遡り、約一日の行程だったという。
市街地へと水路を小舟で移動する、旅人や積荷が行き交う。川沿いは大いに賑わっている。伏見の船宿が並ぶ通りを行く江藤。
水が良く、酒どころとも評判がある伏見。酒蔵が並ぶ通りへと歩を進める。
――木陰から、その姿を見つめる者がいた。
「さて、あいつやな…。」
一言、たどたどしい上方(京・大坂)の言葉をつぶやいた男。少しずつ、江藤の背後に近づいていく。
掟を破って脱藩したと聞くが、その質素過ぎる身なりは、佐賀藩で奨励される倹約そのもの。「規則に背いて、決まり事を守る…」よくわからぬ男と見えた。
「あれっ…居らんぞ。」
曲がり角にさしかかった時、男は江藤を見失った様子だ。
「私に、何か用向きがあるのか。」
「おっ…!」

――不意に江藤の声が通る。近づいた男は絶句した。
「…え~っと。えーっとやな…」
気付かぬうちに、江藤の方が背後に回り込んでいたらしい。慌てた様子の男。
「そうや…あれや。」
この男の発する上方の言葉は、抑揚(よくよう)が安定しない。
「何用であるか。」
「待て、しばし待て!そがんに急ぐな。」
江藤の声は鋭い。そして、男の発する“上方ことば”は既に崩れている。
――男は右掌で「少し待って」と示し、ひと呼吸を入れた。
そして物々しく「行くで!」と発した。“禅問答”でも仕掛けるような空気だ。
「清水と言えば、何か!」
「…滝。」
「…なれば、清水の滝は、何処(いずこ)に在りや!」
「小城に在り。」
期せずに行うことになった、このやり取り。佐賀からの脱藩の実行前に、剣術道場の兄弟子で、小城支藩の代官を務める富岡敬明との話に出た内容だ。
〔参照:
「名は、何と言う。」
「江藤と申す。佐賀より出でて、京に参った。」

――江藤と、問答を仕掛けた男との間に流れる、微妙な沈黙の時。
「かくいうお主も、佐賀の者だな。」
スパッと言い放つ江藤。いわば“偽装”した関西人である「上方ことばの男」の面目は丸つぶれである。
「…なんね!そがん言わんでも、よかばってん。おいも気張って、上方の言葉を学びよるけん!」
色々と溜めていた気持ちがあふれたか“佐賀ことば”でまくしたてる、元・上方ことばの男。
「それは、済まぬ事を言った。」
いささか空気を読まない傾向の江藤だが、ここまで言葉が重なればわかる。おそらくは志を胸に佐賀から出てきた、この男も相当に苦労したのだ。
――ひとまずは、男が信用できそうな人物である事も見えた。
「名は、何と申されるか。」
「“祇園太郎”と名乗っておる。」
「幾分、わかりやすい“偽名”だな。」
「いきなり“偽名”やら言わんでよか…」
江藤の登場から調子が狂いっぱなしの“祇園太郎”だが、当時「ほぼ居ない」と言ってよいほど稀少な、佐賀からの脱藩者だった。
数年前から播磨(兵庫)を拠点に、京・大坂の様子を見聞している志士である。
(続く)