2022年04月06日
第18話「京都見聞」①(新平、東へ)
こんばんは。
“本編”第18話をスタートします。本日の「新平、東へ」は以前から考えていたサブタイトル。元ネタは、“本編”を開始した頃の大河ドラマからです。
2020年大河ドラマ『麒麟がくる』初回のタイトルが「光秀、西へ」でした。江藤の脱藩まで書き続けられたら、使ってみようと思っていました。
なお、江藤新平の脱藩経路には諸説あるようで、未だ明確ではありません。
周辺地理に詳しい方には、疑問符も付くかもしれませんが、なるべく佐賀近くで“映える”風景を…という意図もあります。

――筑前国(福岡県北部)の海岸を望む。
現代では、海沿いの美景が話題となっている糸島市近辺であろうか。玄界灘の波がさざめき、強い朝日が1人歩む男の頬を照らしていた。
年の頃、三十歳手前。やや浅黒い肌色。質素な身なりの旅姿である。特筆すべきはその歩速で、静かな波打ち際を横目にすいすいと進んでいく。
その男、江藤新平は親友から渡された資金の重みを感じていた。貧しい暮らしが長かったため、大金を携えたことなど記憶に無い。
――「大木さん、恩に着るぞ。」
背負っているのは、二つ年上の親友・大木喬任(民平)の期待だ。そして、もう1人の親友は、もはやこの世を辞していた。
年の初めに老中・安藤信正が襲撃された「坂下門外の変」への関与を疑われ、獄中で落命した中野方蔵である。
「…中野、既に斃(たお)る。吾人をおいて、ほかに立つべき者なし!」
尊王の志厚く、朝廷の下に人々が集う“あるべき姿”を求めた中野の想いは、期せぬ形で、江藤に受け継がれた。

――他藩の志士に豊富な人脈があった、中野はもういない。
江藤自身も「“国事”を動かすための伝手(つて)は、中野がどうにかする。」と、どこかに甘えがあったと顧みた。
勤王か佐幕か、開国か攘夷か。立ち位置は如何にせよ、新しい世を目指すうねりがある。
誰かが動かねば、西洋を知る雄藩でありながら、佐賀は時流に取り残される。前藩主・鍋島直正(閑叟)が京の調べを始めた、今がその時と江藤は判じた。
――ザァザァ…と浜辺に続く、波の音。
“義祭同盟”の仲間の協力もあって三瀬の番所を回避し、佐賀藩境を抜けた。ここから江藤は“脱藩者”である。しばらくは人目に付かない道を選んでいた。
急に眼前が開けたと思えば、広い玄界灘を望んだ。遠浅の有明の海とも、入り組んだ伊万里の湾内とも異なる。
佐賀を出た、江藤に新しい世界を予感させる景色だ。
――朝廷のある京の都へ。
現状ではその権威をどう利用してやろうかと、幕府と雄藩たちの駆け引きが繰り広げられることは見当がつく。
欧米の列強が日本の様子をうかがっている。無謀な攘夷論や、拙速な倒幕論が世を支配するのは危うい。
「閑叟さまは…佐賀は、如何に動くべきか。それを見極めねばならん。」

――しばしの回り道を経て、福岡城下に至る。
黒田家が治める福岡藩。筑前五十二万石、外様の大藩で、佐賀藩と交互に長崎の警備を担当している。
京の都の事情を探りたい江藤は、先年、佐賀に来訪した“福岡のさぶらい”・平野国臣を尋ねたのである。
〔参照(後半):第17話「佐賀脱藩」⑧(福岡から来た“さぶらい”)〕
「御免!平野さまは居られるか。」
平野の居宅、門前で江藤が問う。
「あいにくだが…先生は居られぬ。」
扉の向こうから、古めかしい格好をした人物が応じる。
――おそらくは地元・福岡の者で、平野の門下生。
平野国臣は、鎌倉期までの古式に則ることを理想とするため、弟子の志向も影響を受けているのだろう。
江戸期の侍としては、髪型や装束にも珍しいこだわりが見られる。
「枝吉神陽門下で、佐賀より来た。江藤と申す。」
「佐賀から?よく出て来られましたな…。」
門下生は少し驚いた表情を見せた。九州各地から志士たちは尋ねてくるが、“二重鎖国”と評される佐賀からの来訪者は珍しいのだ。
師匠・枝吉神陽の名も効いたようで、平野の留守を預かる様子の門下生は、江藤からの問いかけに応じるようだ。
(続く)
“本編”第18話をスタートします。本日の「新平、東へ」は以前から考えていたサブタイトル。元ネタは、“本編”を開始した頃の大河ドラマからです。
2020年大河ドラマ『麒麟がくる』初回のタイトルが「光秀、西へ」でした。江藤の脱藩まで書き続けられたら、使ってみようと思っていました。
なお、江藤新平の脱藩経路には諸説あるようで、未だ明確ではありません。
周辺地理に詳しい方には、疑問符も付くかもしれませんが、なるべく佐賀近くで“映える”風景を…という意図もあります。
――筑前国(福岡県北部)の海岸を望む。
現代では、海沿いの美景が話題となっている糸島市近辺であろうか。玄界灘の波がさざめき、強い朝日が1人歩む男の頬を照らしていた。
年の頃、三十歳手前。やや浅黒い肌色。質素な身なりの旅姿である。特筆すべきはその歩速で、静かな波打ち際を横目にすいすいと進んでいく。
その男、江藤新平は親友から渡された資金の重みを感じていた。貧しい暮らしが長かったため、大金を携えたことなど記憶に無い。
――「大木さん、恩に着るぞ。」
背負っているのは、二つ年上の親友・大木喬任(民平)の期待だ。そして、もう1人の親友は、もはやこの世を辞していた。
年の初めに老中・安藤信正が襲撃された「坂下門外の変」への関与を疑われ、獄中で落命した中野方蔵である。
「…中野、既に斃(たお)る。吾人をおいて、ほかに立つべき者なし!」
尊王の志厚く、朝廷の下に人々が集う“あるべき姿”を求めた中野の想いは、期せぬ形で、江藤に受け継がれた。
――他藩の志士に豊富な人脈があった、中野はもういない。
江藤自身も「“国事”を動かすための伝手(つて)は、中野がどうにかする。」と、どこかに甘えがあったと顧みた。
勤王か佐幕か、開国か攘夷か。立ち位置は如何にせよ、新しい世を目指すうねりがある。
誰かが動かねば、西洋を知る雄藩でありながら、佐賀は時流に取り残される。前藩主・鍋島直正(閑叟)が京の調べを始めた、今がその時と江藤は判じた。
――ザァザァ…と浜辺に続く、波の音。
“義祭同盟”の仲間の協力もあって三瀬の番所を回避し、佐賀藩境を抜けた。ここから江藤は“脱藩者”である。しばらくは人目に付かない道を選んでいた。
急に眼前が開けたと思えば、広い玄界灘を望んだ。遠浅の有明の海とも、入り組んだ伊万里の湾内とも異なる。
佐賀を出た、江藤に新しい世界を予感させる景色だ。
――朝廷のある京の都へ。
現状ではその権威をどう利用してやろうかと、幕府と雄藩たちの駆け引きが繰り広げられることは見当がつく。
欧米の列強が日本の様子をうかがっている。無謀な攘夷論や、拙速な倒幕論が世を支配するのは危うい。
「閑叟さまは…佐賀は、如何に動くべきか。それを見極めねばならん。」
――しばしの回り道を経て、福岡城下に至る。
黒田家が治める福岡藩。筑前五十二万石、外様の大藩で、佐賀藩と交互に長崎の警備を担当している。
京の都の事情を探りたい江藤は、先年、佐賀に来訪した“福岡のさぶらい”・平野国臣を尋ねたのである。
〔参照(後半):
「御免!平野さまは居られるか。」
平野の居宅、門前で江藤が問う。
「あいにくだが…先生は居られぬ。」
扉の向こうから、古めかしい格好をした人物が応じる。
――おそらくは地元・福岡の者で、平野の門下生。
平野国臣は、鎌倉期までの古式に則ることを理想とするため、弟子の志向も影響を受けているのだろう。
江戸期の侍としては、髪型や装束にも珍しいこだわりが見られる。
「枝吉神陽門下で、佐賀より来た。江藤と申す。」
「佐賀から?よく出て来られましたな…。」
門下生は少し驚いた表情を見せた。九州各地から志士たちは尋ねてくるが、“二重鎖国”と評される佐賀からの来訪者は珍しいのだ。
師匠・枝吉神陽の名も効いたようで、平野の留守を預かる様子の門下生は、江藤からの問いかけに応じるようだ。
(続く)
Posted by SR at 22:03 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」
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