2022年04月20日
第18話「京都見聞」⑤(清水の滝、何処…)
こんばんは。
江藤新平が京へと向かう道のり。手持ちの資金で小倉から船に乗り、瀬戸内を海路で進んだ…という説も聞くところです。
構成の都合上、脱藩する前の話が駆け足となってしまったので、京に向かう旅の途上で、佐賀への“回想”場面として表現しています。
江藤は少年期、小城の剣術道場で修業をしていました。当時からの兄弟子・富岡敬明は、江藤より一回り(12歳ほど)年上。
脱藩より戻ってからの江藤との関わりが深く、この兄弟子も事情を知っていた可能性を考えます。佐賀から福岡へ抜ける時に、関与した説もあるようです。

――夕日が差す、瀬戸内の海をゆく。
揺れる船中で甲板へと上がる。佐賀を抜けてから、数日。江藤は、眼前の島々を見つめながら、西へと離れていく国元・佐賀を想った
開国後、異国船の往来も増えている。どうにか長崎に行けそうな機会はあったが、下級武士である江藤には、江戸や京への留学の話は遠かった。
佐賀から脱藩してはじめて触れる、未知の世界である。九州に居る時は、己の足で歩き続けていた。船に乗っては歩む必要もなく、色々の事を想いだす。
――江藤が尋ねた、ある代官所は自然豊かな場所にあった。
小城の剣術道場での兄弟子、富岡敬明。山内郷の大野で代官を務めていた。何かを思い付いた様子で、目を丸くする。
「そうだ、よか事を教えておこう。」
少し勿体(もったい)ぶる、富岡。これは、中年の茶目っ気なのであろうか。
「もしや、京に関わる事をお教えいただけるのか。」
一方で、やはり真っ直ぐな受け答えの江藤。
「…まぁ、そう急かすな。」
ひと呼吸を置く、富岡。
――山間部のため“山内”は、初夏の風も涼しい。
山あいの清流の地。大野代官所は石垣も立派だが、周りは静かなものだ。
富岡は江藤に問いかける。
「“清水の滝”は、何処にあるか。」
「…京にも、清水の観音があると聞くが。」
怪訝な表情をする、江藤。
「そこにも滝はあるが、そいは“音羽の滝”と呼ばれるそうだ。」
「なれば小城に在る、“清水の滝”を指すか。」

――富岡は「そがんたい。」とうなずいた。
得心したように「その通りだ」と言っている、兄弟子・富岡。その真意を量りかねる、江藤である。
富岡は言葉を続けた。
「もし、小城の者に会ったら、そう言ってやってくれ。喜ぶ。」
「なにゆえ京で、小城の者と出会うのか。」
「まぁ、念のために、教えておくだけばい。」
上方の商人などに知り合いがいるのかと尋ねると、「居らん」との返答だった。
――大野代官所を後にする、江藤。
現代で言えば、佐賀市富士町辺り。古湯温泉なども近い、風光の地である…
代官の任にあり、当地では一定の融通が効く、富岡は頼りにして良さそうだ。自身の脱藩後に、立場の危うくなる家族。ひとまず行く先の目途は付いた。
しかし、最後のやり取りは何やら兄弟子にからかわれているようで、少し腹立たしさを感じる。
さておき、京の時勢は動いている。旅支度も脱藩となれば、表立っては動きづらいが、準備は急がねばならない。

――時間は限られる。急ぎ足にて、佐賀城下に戻る。
すると“義祭同盟”の仲間、坂井辰之允が家の近くに来ていた。
〔参照(中盤):第17話「佐賀脱藩」⑰(救おうとする者たち)〕
「坂井さん、何用か。」
「江藤…、私も助右衛門さんのお立場が危うくならぬよう手を尽くすぞ。」
えらく先走った言葉で励まされる。秘密裡に進めているはずの脱藩計画だが、既に幾人かは知っている様子だ。
坂井の励ましは、江藤の父・助右衛門を気にかけているところに配慮がある。「家族は守りたい」という江藤の気持ちを、よく汲んでいた。
――ただ、江藤には、確認したい事があった。
「坂井さん、ありがたい。ただ、その話は誰から聞いたか。」
「…大木民平。」
坂井の返答を聞いて、江藤は腹をくくった。ここは、大木民平(喬任)の根回しを信じるほか無さそうだ。
「京で形勢を探り、文(ふみ)を書く。坂井さんも頼みとするぞ。」
「心得た。」
佐賀を出て動くからには、京周辺で入手した情報を国元で受け止める役回りの者が要る。きっと大木は、その人選を進めているのだ。
――慌ただしかった一日。その夜、江藤家の屋敷。
「今宵の月は美しいな。」
江藤が言葉を発すると、クスクスと笑う、妻・千代子。
「何か、可笑しいか。」
「新平さまは、綺麗な月を見ると、わたくしに語り出すのですね。」
「…おっしゃってくださいな。」
「済まぬ。近々、京に向けて発つ。」
こうして江藤は、佐賀を発つ決意を妻・千代子に話し始めた。

――それを、物陰から見つめる者が二人…
「やはり、月の綺麗かごた夜に伝えおったか。」
「ええ、そこはいつもの事ですわね。」
そこに居たのは、江藤の両親である。父・助右衛門と母・浅子だった。行きがかり上、浅子は孫の熊太郎を抱きかかえていた。
グズグズ…と熊太郎が起きそうになる。
「いかん、浅子。早う、熊太郎をあやすのじゃ。」
「あなた、声が大きうございます。」
――その様子をじっと見つめ返す、江藤と妻・千代子。
「親父どのと母上は、何を騒いでおるのか。」
「…仲のよろしいこと。」
千代子とて、夫・新平がいつかは激動の時代に立ち向かっていく、そんな存在になることは予期していた。
そして勤王の志が高い、この一家が流転の日々を送ることも覚悟していた…とはいえ、強い不安を感じるのは仕方の無いことであった。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」⑫(陽だまりの下で)〕
――結局、ワーッと泣き出した熊太郎。概ね1歳半である。
「はい、はい…」
江藤の両親に駆け寄っていく、千代子。
「こんなに泣くのは、珍しいねぇ。」
困惑する江藤の母・浅子。熊太郎にも幼いなりに何か不穏な空気が伝わったのかもしれない。
「…済まぬ。千代子。」
江藤は聞き手が、その音声でビリビリと震えるほどに声が通るのだが、ここは千代子に聞こえぬよう抑えてつぶやいていた。
京へと発つ事は「自身の使命である」と迷いは無かった。しかし、江藤新平の気がかりは老親と妻子にあったのだ。
(続く)
江藤新平が京へと向かう道のり。手持ちの資金で小倉から船に乗り、瀬戸内を海路で進んだ…という説も聞くところです。
構成の都合上、脱藩する前の話が駆け足となってしまったので、京に向かう旅の途上で、佐賀への“回想”場面として表現しています。
江藤は少年期、小城の剣術道場で修業をしていました。当時からの兄弟子・富岡敬明は、江藤より一回り(12歳ほど)年上。
脱藩より戻ってからの江藤との関わりが深く、この兄弟子も事情を知っていた可能性を考えます。佐賀から福岡へ抜ける時に、関与した説もあるようです。
――夕日が差す、瀬戸内の海をゆく。
揺れる船中で甲板へと上がる。佐賀を抜けてから、数日。江藤は、眼前の島々を見つめながら、西へと離れていく国元・佐賀を想った
開国後、異国船の往来も増えている。どうにか長崎に行けそうな機会はあったが、下級武士である江藤には、江戸や京への留学の話は遠かった。
佐賀から脱藩してはじめて触れる、未知の世界である。九州に居る時は、己の足で歩き続けていた。船に乗っては歩む必要もなく、色々の事を想いだす。
――江藤が尋ねた、ある代官所は自然豊かな場所にあった。
小城の剣術道場での兄弟子、富岡敬明。山内郷の大野で代官を務めていた。何かを思い付いた様子で、目を丸くする。
「そうだ、よか事を教えておこう。」
少し勿体(もったい)ぶる、富岡。これは、中年の茶目っ気なのであろうか。
「もしや、京に関わる事をお教えいただけるのか。」
一方で、やはり真っ直ぐな受け答えの江藤。
「…まぁ、そう急かすな。」
ひと呼吸を置く、富岡。
――山間部のため“山内”は、初夏の風も涼しい。
山あいの清流の地。大野代官所は石垣も立派だが、周りは静かなものだ。
富岡は江藤に問いかける。
「“清水の滝”は、何処にあるか。」
「…京にも、清水の観音があると聞くが。」
怪訝な表情をする、江藤。
「そこにも滝はあるが、そいは“音羽の滝”と呼ばれるそうだ。」
「なれば小城に在る、“清水の滝”を指すか。」
――富岡は「そがんたい。」とうなずいた。
得心したように「その通りだ」と言っている、兄弟子・富岡。その真意を量りかねる、江藤である。
富岡は言葉を続けた。
「もし、小城の者に会ったら、そう言ってやってくれ。喜ぶ。」
「なにゆえ京で、小城の者と出会うのか。」
「まぁ、念のために、教えておくだけばい。」
上方の商人などに知り合いがいるのかと尋ねると、「居らん」との返答だった。
――大野代官所を後にする、江藤。
現代で言えば、佐賀市富士町辺り。古湯温泉なども近い、風光の地である…
代官の任にあり、当地では一定の融通が効く、富岡は頼りにして良さそうだ。自身の脱藩後に、立場の危うくなる家族。ひとまず行く先の目途は付いた。
しかし、最後のやり取りは何やら兄弟子にからかわれているようで、少し腹立たしさを感じる。
さておき、京の時勢は動いている。旅支度も脱藩となれば、表立っては動きづらいが、準備は急がねばならない。
――時間は限られる。急ぎ足にて、佐賀城下に戻る。
すると“義祭同盟”の仲間、坂井辰之允が家の近くに来ていた。
〔参照(中盤):
「坂井さん、何用か。」
「江藤…、私も助右衛門さんのお立場が危うくならぬよう手を尽くすぞ。」
えらく先走った言葉で励まされる。秘密裡に進めているはずの脱藩計画だが、既に幾人かは知っている様子だ。
坂井の励ましは、江藤の父・助右衛門を気にかけているところに配慮がある。「家族は守りたい」という江藤の気持ちを、よく汲んでいた。
――ただ、江藤には、確認したい事があった。
「坂井さん、ありがたい。ただ、その話は誰から聞いたか。」
「…大木民平。」
坂井の返答を聞いて、江藤は腹をくくった。ここは、大木民平(喬任)の根回しを信じるほか無さそうだ。
「京で形勢を探り、文(ふみ)を書く。坂井さんも頼みとするぞ。」
「心得た。」
佐賀を出て動くからには、京周辺で入手した情報を国元で受け止める役回りの者が要る。きっと大木は、その人選を進めているのだ。
――慌ただしかった一日。その夜、江藤家の屋敷。
「今宵の月は美しいな。」
江藤が言葉を発すると、クスクスと笑う、妻・千代子。
「何か、可笑しいか。」
「新平さまは、綺麗な月を見ると、わたくしに語り出すのですね。」
「…おっしゃってくださいな。」
「済まぬ。近々、京に向けて発つ。」
こうして江藤は、佐賀を発つ決意を妻・千代子に話し始めた。
――それを、物陰から見つめる者が二人…
「やはり、月の綺麗かごた夜に伝えおったか。」
「ええ、そこはいつもの事ですわね。」
そこに居たのは、江藤の両親である。父・助右衛門と母・浅子だった。行きがかり上、浅子は孫の熊太郎を抱きかかえていた。
グズグズ…と熊太郎が起きそうになる。
「いかん、浅子。早う、熊太郎をあやすのじゃ。」
「あなた、声が大きうございます。」
――その様子をじっと見つめ返す、江藤と妻・千代子。
「親父どのと母上は、何を騒いでおるのか。」
「…仲のよろしいこと。」
千代子とて、夫・新平がいつかは激動の時代に立ち向かっていく、そんな存在になることは予期していた。
そして勤王の志が高い、この一家が流転の日々を送ることも覚悟していた…とはいえ、強い不安を感じるのは仕方の無いことであった。
〔参照:
――結局、ワーッと泣き出した熊太郎。概ね1歳半である。
「はい、はい…」
江藤の両親に駆け寄っていく、千代子。
「こんなに泣くのは、珍しいねぇ。」
困惑する江藤の母・浅子。熊太郎にも幼いなりに何か不穏な空気が伝わったのかもしれない。
「…済まぬ。千代子。」
江藤は聞き手が、その音声でビリビリと震えるほどに声が通るのだが、ここは千代子に聞こえぬよう抑えてつぶやいていた。
京へと発つ事は「自身の使命である」と迷いは無かった。しかし、江藤新平の気がかりは老親と妻子にあったのだ。
(続く)