2022年03月09日
「ロード・オブ・サガ ~三つの“佐賀”~(前編)」
こんばんは。
一時、ブログが閲覧できなかっただけで仰々しくも「心新たに“佐賀”を語ろう」と決意した前回。
今回は、何やら洋画劇場っぽいタイトルですが、それほど壮大な話ではなく、佐賀ローカルの話を展開します。
でも、県内在住の皆様ならば、日常にある“冒険”の世界。「もっと、サガを探索しよう…」と前振りをしてみます。
――ふと、気付いた事があります。
それは「私にとって“佐賀”とは何処なのか…」という問題。とくに哲学的な物語が待っているわけではありません。
私は地名として“佐賀”と書く時に、おそらくは3種類の意味で使い分けます。
①佐賀県
②佐賀市
③佐賀藩
…「以上の3つのうち、正解はどれ?」という、三択クイズではありません。
気付いたのは最近ですが、無意識に“三つの佐賀”を記していたようです。

――まずは、「①佐賀県」。
写真は、有名な県境の橋から…おそらく私が単に“佐賀”と書けば「佐賀県」の意味で使っていることが最も多いと思います。
これは九州以外の他地域に住む、佐賀の出身者には、ある程度は共通する感覚なのではないか…と考えるところ。
いざ、関門海峡を渡ってしまうと、市町単位ではなく、都道府県単位で捉えて話をすることが多いと思うのですね。
九州の出身者同士とわかった時、例えば「長崎の出身」と聞けば、「私は佐賀なんですよ~」という流れです。

――続いて、「②佐賀市」。
これが最も、佐賀に住む皆様の感覚に近いかもしれませんね。県内の方が、「今日は“佐賀”に行ってきたとよ。」とか会話する時。
これは、佐賀市内と見て間違いない…あるいは、もっと狭く、佐賀市中心街を指している事もあるかもしれません。
当ブログは、県内に居住していない私が書いているので、このような場面では「佐賀」とは言わず、なるべく“佐賀市内”と表現することを心がけています。
なお、書籍などで「佐賀じゃなかよ、唐津ばい…」という表現を見かけることもあります。これは唐津市であって佐賀市ではないという意味なのか、それとも…
――そして、「③佐賀藩」。
佐賀藩のことをそのまま「佐賀」と語ってしまうのは“歴史好き”に限定されるでしょう。日常会話で使うと誤解が生じそうです。
ただ、当ブログは一応は“歴史系”のブログに分類されると思うので、“佐賀”という言葉がそのまま「佐賀藩」を指す記事も多いです。
「この時、佐賀の存在が…」とか書く時は、ほぼ佐賀藩を表現しています。
現在の佐賀市中心部に近い佐賀城周辺を語る時には、“佐賀城下”という表現を使っていることが多いはず。

――“佐賀”という、地名1つで語っても…
このように多面的な解釈が可能です。とくに「③佐賀藩」については、当ブログが最も熱く語りたいところです。
なお、先ほどの唐津市の「佐賀じゃなかばい」アピールは、歴史的経過が関係するところが大きいかと。
――ご存知のように、佐賀県北西部の唐津市周辺は
佐賀藩ではなく、唐津藩が統治していました。そして、佐賀県東部・基山町と鳥栖市(東部)には、対馬藩の田代領がありました。
以前は「…わかりづらい」とか思っていましたが、最近では「佐賀は、この複雑さが面白い」と感じるようになっています。詳しくは後編で語ろうと思います。

――よく佐賀県の地図を眺めながら…
私の手元には、叔父上から届いた地図があります。佐賀県の道路を示したものですが、ここに「…ロード(Road)・オブ・サガ」との英字表記が含まれます。
こうして加齢に伴う記憶力の低下、仕事で降り注ぐ情報による記憶の容量不足をものともせず、私の佐賀に関する知識は増える一方です。
――後編も「ロード・オブ・サガ」で語る予定ですが、
英単語は、「Road(道路)」から「Lord(領主、所有者)」へと変わります。
洋画「ロード・オブ・ザ・リング」、そして大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の英語副題(The 13 Lords of the Shogun)は、こちらのロード(Lord)のようですね。
前編は現代を中心に語りましたが、後編は幕末に話を寄せたいと思います。
一時、ブログが閲覧できなかっただけで仰々しくも「心新たに“佐賀”を語ろう」と決意した前回。
今回は、何やら洋画劇場っぽいタイトルですが、それほど壮大な話ではなく、佐賀ローカルの話を展開します。
でも、県内在住の皆様ならば、日常にある“冒険”の世界。「もっと、サガを探索しよう…」と前振りをしてみます。
――ふと、気付いた事があります。
それは「私にとって“佐賀”とは何処なのか…」という問題。とくに哲学的な物語が待っているわけではありません。
私は地名として“佐賀”と書く時に、おそらくは3種類の意味で使い分けます。
①佐賀県
②佐賀市
③佐賀藩
…「以上の3つのうち、正解はどれ?」という、三択クイズではありません。
気付いたのは最近ですが、無意識に“三つの佐賀”を記していたようです。
――まずは、「①佐賀県」。
写真は、有名な県境の橋から…おそらく私が単に“佐賀”と書けば「佐賀県」の意味で使っていることが最も多いと思います。
これは九州以外の他地域に住む、佐賀の出身者には、ある程度は共通する感覚なのではないか…と考えるところ。
いざ、関門海峡を渡ってしまうと、市町単位ではなく、都道府県単位で捉えて話をすることが多いと思うのですね。
九州の出身者同士とわかった時、例えば「長崎の出身」と聞けば、「私は佐賀なんですよ~」という流れです。
――続いて、「②佐賀市」。
これが最も、佐賀に住む皆様の感覚に近いかもしれませんね。県内の方が、「今日は“佐賀”に行ってきたとよ。」とか会話する時。
これは、佐賀市内と見て間違いない…あるいは、もっと狭く、佐賀市中心街を指している事もあるかもしれません。
当ブログは、県内に居住していない私が書いているので、このような場面では「佐賀」とは言わず、なるべく“佐賀市内”と表現することを心がけています。
なお、書籍などで「佐賀じゃなかよ、唐津ばい…」という表現を見かけることもあります。これは唐津市であって佐賀市ではないという意味なのか、それとも…
――そして、「③佐賀藩」。
佐賀藩のことをそのまま「佐賀」と語ってしまうのは“歴史好き”に限定されるでしょう。日常会話で使うと誤解が生じそうです。
ただ、当ブログは一応は“歴史系”のブログに分類されると思うので、“佐賀”という言葉がそのまま「佐賀藩」を指す記事も多いです。
「この時、佐賀の存在が…」とか書く時は、ほぼ佐賀藩を表現しています。
現在の佐賀市中心部に近い佐賀城周辺を語る時には、“佐賀城下”という表現を使っていることが多いはず。
――“佐賀”という、地名1つで語っても…
このように多面的な解釈が可能です。とくに「③佐賀藩」については、当ブログが最も熱く語りたいところです。
なお、先ほどの唐津市の「佐賀じゃなかばい」アピールは、歴史的経過が関係するところが大きいかと。
――ご存知のように、佐賀県北西部の唐津市周辺は
佐賀藩ではなく、唐津藩が統治していました。そして、佐賀県東部・基山町と鳥栖市(東部)には、対馬藩の田代領がありました。
以前は「…わかりづらい」とか思っていましたが、最近では「佐賀は、この複雑さが面白い」と感じるようになっています。詳しくは後編で語ろうと思います。
――よく佐賀県の地図を眺めながら…
私の手元には、叔父上から届いた地図があります。佐賀県の道路を示したものですが、ここに「…ロード(Road)・オブ・サガ」との英字表記が含まれます。
こうして加齢に伴う記憶力の低下、仕事で降り注ぐ情報による記憶の容量不足をものともせず、私の佐賀に関する知識は増える一方です。
――後編も「ロード・オブ・サガ」で語る予定ですが、
英単語は、「Road(道路)」から「Lord(領主、所有者)」へと変わります。
洋画「ロード・オブ・ザ・リング」、そして大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の英語副題(The 13 Lords of the Shogun)は、こちらのロード(Lord)のようですね。
前編は現代を中心に語りましたが、後編は幕末に話を寄せたいと思います。
Posted by SR at 22:40 | Comments(0) | 佐賀への道
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