2023年03月02日
「出られるが入れない、SAGA」
こんばんは。
最近、佐賀の話が出るたびに、よく耳にするキーワードが、幾つかあります。その1つが「佐賀は、出られるけど入れない」です。
ご存知の方も多いと思いますが、元ネタは昨年12月の漫才コンクール『M-1グランプリ』で“さや香”というコンビが披露した「免許返納」を題材にした漫才。
その終盤では「免許返納でタクシー料金を割り引く」という“佐賀県”の存在が、カギとなっていました。佐賀以外では、難しい構成ではないかとも感じます。
おそらくは会場でも、全国のお茶の間でも、「佐賀はでれるけど入られへん」というフレーズで、爆笑の渦が巻き起こったと思われます。

――ネットニュース等でも話題となった、この漫才。
佐賀県が直近の「都道府県魅力度ランキング」で、47位となってしまった事と並んで、よく使われるネタです。
このように佐賀県出身者である私にとっては“道具”が次々と手元に集まって、もはや故郷・佐賀を紹介する材料には事欠きません。
そして以前に比して、近隣の商業施設では、佐賀県産の商品が陳列棚で、次々と良いポジションを確保。
〔参照(前半):「オールド・イマリ・ロマンス」〕
民放テレビ局の全国放送でも、佐賀の番組が連発されるなど、実のところ、「佐賀の勢い」を生活の端々で感じているところです。
〔参照:「もしかしてだけど、言いたい事がある」〕
――しかし、先ほどの漫才のセリフは結構、響きました。
「佐賀は出れるけど入られへん!」
これは県外(特に九州の外まで)出てしまった人、そして、年齢が高い人ほど、染み入る言葉ではないかと思います。
「故郷は遠くにありて…」とか言いますが、他地域に「生活基盤ができており、もはや簡単には動けない」という方も多いでしょう。
今春にも「佐賀を愛するものの、あえて大都市圏に向かう」若者が、県内から数多く旅立っていくことと思います。
心のどこかで「佐賀への帰り道」は意識してほしいと考えますし、また佐賀県も「出てからも入れる場所」であってほしいと、切に思います。

――長い前置きでしたが、本題です。
「幕末!出られるが入れない、佐賀藩」
いや、基本的には出る事も難しかったのですが、本編・第18話のおさらいも兼ねて、2人の脱藩者のその後を追います。
○ケース1:佐賀藩士・江藤新平
文久二年(1862年)六月に佐賀を脱藩し、京都での情報収集にあたります。
この脱藩の目的は、佐賀の大殿(前藩主)・鍋島直正に、幕末動乱の中心地・京の都の情勢を伝えること。
本編でも、夜更けまで報告書をまとめて寝不足の江藤の姿を描いています。
〔参照(中盤):第18話「京都見聞」⑱(秋風の吹く頃に)〕
――結果から言えば、江藤が頑張って書いた報告書は、
身分の差を超えて、しっかり鍋島直正に届きました。直正公は報告書を一読して、江藤新平の才能に気付きます。
そして、江藤の父・助右衛門に長男・新平を連れ戻すよう命じたそうです。
⇒〔ケース1:結論〕飛び抜けた才能があれば、佐賀から出ても呼び戻される。

○ケース2:小城の大庄屋・古賀利渉
安政五年(1858年)に佐賀、詳しく言えば小城支藩から抜け出した人物。
本編でも登場していますが、「祇園太郎」と名乗って幕末の京都などで活動した、尊王攘夷の志士です。
脱藩の動機や活動にも不明な点が多く、小城では立派な大庄屋だったものの、尊攘思想に感化されて脱藩したと言われます。
江藤新平が脱藩した時点では、長崎に居た可能性もありますが、本編では京都の“案内役”として登場しました。
〔参照:第18話「京都見聞」⑦(ちょっと、待たんね!)〕
幕末の京都では“佐賀の志士”がほぼ活動しておらず、江藤の脱藩にも何か「祇園太郎」が関わったのでは…という推測からの筋書きです。
――なお、祇園太郎(古賀利渉)の行き着いた先ですが、
幕末のうちに、地元・小城に戻ってきています。
佐賀藩の重臣で様々な記録を残している、鍋島夏雲によると、この祇園太郎は「三百諸侯の情報を送ってくる」と評されたそうです。
各地の志士たちと関わって、持ち帰った全国の情報は、佐賀藩にとって価値のある内容でした。
⇒〔ケース2:結論〕地元のために役立つと、佐賀から出ても帰って来られる。

――この「幕末、佐賀藩から出ても入れた」条件を見ると…
意外や、幕末でも現代でも、基本はあまり変わらないようにも思います。
先ほどの漫才では「人間が普通に生きてたら、佐賀に行くタイミングはない!」という旨の強烈なセリフもありました。
私の曲解では「漫然と日々を生きるようでは、“佐賀への道”は開かないぞ!」という警句に聞こえてきます。
「佐賀は出られるばってん、入れんとよ…」
忙しく歳月が過ぎれば、遙かに遠くに感じる佐賀。普通以上の生き方をすれば、たどり着くことが出来るのか。とりあえず私も、頑張ってみます。
最近、佐賀の話が出るたびに、よく耳にするキーワードが、幾つかあります。その1つが「佐賀は、出られるけど入れない」です。
ご存知の方も多いと思いますが、元ネタは昨年12月の漫才コンクール『M-1グランプリ』で“さや香”というコンビが披露した「免許返納」を題材にした漫才。
その終盤では「免許返納でタクシー料金を割り引く」という“佐賀県”の存在が、カギとなっていました。佐賀以外では、難しい構成ではないかとも感じます。
おそらくは会場でも、全国のお茶の間でも、「佐賀はでれるけど入られへん」というフレーズで、爆笑の渦が巻き起こったと思われます。
――ネットニュース等でも話題となった、この漫才。
佐賀県が直近の「都道府県魅力度ランキング」で、47位となってしまった事と並んで、よく使われるネタです。
このように佐賀県出身者である私にとっては“道具”が次々と手元に集まって、もはや故郷・佐賀を紹介する材料には事欠きません。
そして以前に比して、近隣の商業施設では、佐賀県産の商品が陳列棚で、次々と良いポジションを確保。
〔参照(前半):
民放テレビ局の全国放送でも、佐賀の番組が連発されるなど、実のところ、「佐賀の勢い」を生活の端々で感じているところです。
〔参照:
――しかし、先ほどの漫才のセリフは結構、響きました。
「佐賀は出れるけど入られへん!」
これは県外(特に九州の外まで)出てしまった人、そして、年齢が高い人ほど、染み入る言葉ではないかと思います。
「故郷は遠くにありて…」とか言いますが、他地域に「生活基盤ができており、もはや簡単には動けない」という方も多いでしょう。
今春にも「佐賀を愛するものの、あえて大都市圏に向かう」若者が、県内から数多く旅立っていくことと思います。
心のどこかで「佐賀への帰り道」は意識してほしいと考えますし、また佐賀県も「出てからも入れる場所」であってほしいと、切に思います。
――長い前置きでしたが、本題です。
「幕末!出られるが入れない、佐賀藩」
いや、基本的には出る事も難しかったのですが、本編・第18話のおさらいも兼ねて、2人の脱藩者のその後を追います。
○ケース1:佐賀藩士・江藤新平
文久二年(1862年)六月に佐賀を脱藩し、京都での情報収集にあたります。
この脱藩の目的は、佐賀の大殿(前藩主)・鍋島直正に、幕末動乱の中心地・京の都の情勢を伝えること。
本編でも、夜更けまで報告書をまとめて寝不足の江藤の姿を描いています。
〔参照(中盤):
――結果から言えば、江藤が頑張って書いた報告書は、
身分の差を超えて、しっかり鍋島直正に届きました。直正公は報告書を一読して、江藤新平の才能に気付きます。
そして、江藤の父・助右衛門に長男・新平を連れ戻すよう命じたそうです。
⇒〔ケース1:結論〕飛び抜けた才能があれば、佐賀から出ても呼び戻される。
○ケース2:小城の大庄屋・古賀利渉
安政五年(1858年)に佐賀、詳しく言えば小城支藩から抜け出した人物。
本編でも登場していますが、「祇園太郎」と名乗って幕末の京都などで活動した、尊王攘夷の志士です。
脱藩の動機や活動にも不明な点が多く、小城では立派な大庄屋だったものの、尊攘思想に感化されて脱藩したと言われます。
江藤新平が脱藩した時点では、長崎に居た可能性もありますが、本編では京都の“案内役”として登場しました。
〔参照:
幕末の京都では“佐賀の志士”がほぼ活動しておらず、江藤の脱藩にも何か「祇園太郎」が関わったのでは…という推測からの筋書きです。
――なお、祇園太郎(古賀利渉)の行き着いた先ですが、
幕末のうちに、地元・小城に戻ってきています。
佐賀藩の重臣で様々な記録を残している、鍋島夏雲によると、この祇園太郎は「三百諸侯の情報を送ってくる」と評されたそうです。
各地の志士たちと関わって、持ち帰った全国の情報は、佐賀藩にとって価値のある内容でした。
⇒〔ケース2:結論〕地元のために役立つと、佐賀から出ても帰って来られる。
――この「幕末、佐賀藩から出ても入れた」条件を見ると…
意外や、幕末でも現代でも、基本はあまり変わらないようにも思います。
先ほどの漫才では「人間が普通に生きてたら、佐賀に行くタイミングはない!」という旨の強烈なセリフもありました。
私の曲解では「漫然と日々を生きるようでは、“佐賀への道”は開かないぞ!」という警句に聞こえてきます。
「佐賀は出られるばってん、入れんとよ…」
忙しく歳月が過ぎれば、遙かに遠くに感じる佐賀。普通以上の生き方をすれば、たどり着くことが出来るのか。とりあえず私も、頑張ってみます。
Posted by SR at 23:19 | Comments(0) | 佐賀への道
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