2021年05月29日
「夢の舞台は、隣の県」〔長崎駅〕
こんばんは。
“西九州新幹線”の開業を控えた沿線のシリーズも、ひとまず最終回。
これは余談ですが、他地域に住む私は、たぶん佐賀の皆様より先に見た「ゾンビランドサガR」がまさかの展開だったので、衝撃を受けながら書いてます。
――さて終着点は、長崎駅。
江戸時代。オランダを通じて西洋に開かれた唯一の窓口・長崎。
幕末の開国後も存在感が大きかった理由は、国際都市としての蓄積。そして長崎が“自由な場所”だったことが挙げられます。
横浜は開港後、江戸に近いことで急速に発展しました。一方で“首都”に近すぎる港町には、厳しい出入りの監視はあったそうです。

――「それに比べて、長崎は動きやすいぜよ!」
…という言葉を発したかは、定かではありません。坂本龍馬などの志士が長崎で活動したのは有名な話。
大河ドラマ『龍馬伝』の放映中は、主演の福山雅治さんが長崎出身ということも手伝ってか、かなりの経済効果があったと聞きます。
――その龍馬が作った“亀山社中”は…
ざっくり分類すると“貿易商社”ですね。長崎の商人である大浦慶も『龍馬伝』に登場していました。余貴美子さんが演じていたかと思います。
凄腕の貿易商だった女性。彼女の活躍により、佐賀の製茶ブランド“嬉野茶”はさり気なく世界進出を果たしています。
〔参照:「主に嬉野市民の方を対象にしたつぶやき(前編)」〕

――長崎の幕末に、大浦慶という人物を語ると…
幕末の志士たちの支援者としての姿が。この貿易商とのつながりを調べると、なぜだか坂本龍馬より先に名前が出て来ることもあるのが…大隈重信。
“本編”では、大隈を小さいときから母親大好き、わりと要領が良く先輩にはしっかり甘える…感じに描いています。
〔参照:連続ブログ小説「旅立の剣」(14)限りなき“母の愛”〕
――何冊かの書籍を参照し、私が知ったこと。
大隈重信は、幕末期の長崎で、かなり貿易業務に当たっているようです。
当時、藩の重役だった鍋島河内(現・佐賀県みやき町の領主)の影も見え隠れ。佐賀藩の資金調達のために、秘密裡に動いていた可能性が高そうです。
“嬉野茶”を扱った、大浦慶とのつながりには説得力を感じます。大隈だと10歳ほど年上の“お姉さん”のような感覚だった…としても不思議はないです。
――そして、大隈には長崎での“お兄さん”的存在も居ます。
明治期に“外務卿”となる副島種臣。大隈にお願いされて、佐賀藩の英学校・致遠館の責任者になります。
「難しい顔で洋書を翻訳し、数頁ずつ理解できると嬉しそうだった…」との微笑ましいエピソードも。
ちなみに、この英学校は“長崎の佐賀藩士”である諫早家家臣・山本家の屋敷内にあったと聞きます。

――そして、もう1人のお兄さん(?)は…
佐賀藩は英学校に、長崎奉行所でも英語を教えていた先生を呼びます。
オランダ生まれで若くしてアメリカに渡り、そして長崎に来た宣教師フルベッキ。大隈より8歳ほど年上なので、“お兄さん”呼ばわりしてみました!
「フルベッキなくして、大隈なし」とも言われ、早稲田大学で“建学の父”とまで称される存在だそうです。
――長崎の街を、自由闊達(かったつ)に動き回った大隈は…
のちに「もっと幕末に勉強しておけば良かった!」と語ったそうです。
近代の日本を引っ張っていく人材の多くが、自由な空気のあった長崎で学んでいます。まさに西洋の学問を志す者たちの“夢の舞台”であり続けた街。
佐賀藩が日本の近代化を先導できた理由は色々と考えますが、決定的な要因は「長崎に近かったから」というのは否めません。
…長崎駅。物話はこの街から始まるのでしょう。「幕末佐賀藩の大河ドラマ」が実現すれば、地元・佐賀以上に観光に来るべき場所なのかもしれません。
“西九州新幹線”の開業を控えた沿線のシリーズも、ひとまず最終回。
これは余談ですが、他地域に住む私は、たぶん佐賀の皆様より先に見た「ゾンビランドサガR」がまさかの展開だったので、衝撃を受けながら書いてます。
――さて終着点は、長崎駅。
江戸時代。オランダを通じて西洋に開かれた唯一の窓口・長崎。
幕末の開国後も存在感が大きかった理由は、国際都市としての蓄積。そして長崎が“自由な場所”だったことが挙げられます。
横浜は開港後、江戸に近いことで急速に発展しました。一方で“首都”に近すぎる港町には、厳しい出入りの監視はあったそうです。
――「それに比べて、長崎は動きやすいぜよ!」
…という言葉を発したかは、定かではありません。坂本龍馬などの志士が長崎で活動したのは有名な話。
大河ドラマ『龍馬伝』の放映中は、主演の福山雅治さんが長崎出身ということも手伝ってか、かなりの経済効果があったと聞きます。
――その龍馬が作った“亀山社中”は…
ざっくり分類すると“貿易商社”ですね。長崎の商人である大浦慶も『龍馬伝』に登場していました。余貴美子さんが演じていたかと思います。
凄腕の貿易商だった女性。彼女の活躍により、佐賀の製茶ブランド“嬉野茶”はさり気なく世界進出を果たしています。
〔参照:
――長崎の幕末に、大浦慶という人物を語ると…
幕末の志士たちの支援者としての姿が。この貿易商とのつながりを調べると、なぜだか坂本龍馬より先に名前が出て来ることもあるのが…大隈重信。
“本編”では、大隈を小さいときから母親大好き、わりと要領が良く先輩にはしっかり甘える…感じに描いています。
〔参照:
――何冊かの書籍を参照し、私が知ったこと。
大隈重信は、幕末期の長崎で、かなり貿易業務に当たっているようです。
当時、藩の重役だった鍋島河内(現・佐賀県みやき町の領主)の影も見え隠れ。佐賀藩の資金調達のために、秘密裡に動いていた可能性が高そうです。
“嬉野茶”を扱った、大浦慶とのつながりには説得力を感じます。大隈だと10歳ほど年上の“お姉さん”のような感覚だった…としても不思議はないです。
――そして、大隈には長崎での“お兄さん”的存在も居ます。
明治期に“外務卿”となる副島種臣。大隈にお願いされて、佐賀藩の英学校・致遠館の責任者になります。
「難しい顔で洋書を翻訳し、数頁ずつ理解できると嬉しそうだった…」との微笑ましいエピソードも。
ちなみに、この英学校は“長崎の佐賀藩士”である諫早家家臣・山本家の屋敷内にあったと聞きます。
――そして、もう1人のお兄さん(?)は…
佐賀藩は英学校に、長崎奉行所でも英語を教えていた先生を呼びます。
オランダ生まれで若くしてアメリカに渡り、そして長崎に来た宣教師フルベッキ。大隈より8歳ほど年上なので、“お兄さん”呼ばわりしてみました!
「フルベッキなくして、大隈なし」とも言われ、早稲田大学で“建学の父”とまで称される存在だそうです。
――長崎の街を、自由闊達(かったつ)に動き回った大隈は…
のちに「もっと幕末に勉強しておけば良かった!」と語ったそうです。
近代の日本を引っ張っていく人材の多くが、自由な空気のあった長崎で学んでいます。まさに西洋の学問を志す者たちの“夢の舞台”であり続けた街。
佐賀藩が日本の近代化を先導できた理由は色々と考えますが、決定的な要因は「長崎に近かったから」というのは否めません。
…長崎駅。物話はこの街から始まるのでしょう。「幕末佐賀藩の大河ドラマ」が実現すれば、地元・佐賀以上に観光に来るべき場所なのかもしれません。