2021年05月18日
「多くの仕事を成し遂げた者」〔武雄温泉駅〕
こんばんは。
西九州新幹線の開業後は、長崎方面への“乗り換え駅”となる武雄温泉駅。
今のところ、この新幹線の停車予定は5駅。
武雄温泉駅-嬉野温泉駅-新大村駅-諫早駅-長崎駅と聞いております!
…これは、2022年秋の開業が楽しみになってきましたね。

――まず、佐賀県の武雄と言えば…
歴史と伝統の武雄温泉ですね。一方で、どことなく西洋の風が吹き込んでいるモダンな感じもします。
…そして最近、疲れ気味の私も“武雄の湯”で癒されたい。
新型コロナが抑え込めたら、西九州新幹線に乗られるつもりの皆様。
ホームで乗り換えるだけでは勿体ないです、ぜひ武雄で下車しましょう!
――私が、「佐賀の大河ドラマ」で武雄について語る時…
以前から、当ブログをお読みの方は予想が付くことでしょう。
「日本の近代化を先導した佐賀藩を、さらに先導した武雄領。」
蘭癖(西洋かぶれ)でお馴染みの、武雄のご領主(ご隠居)・鍋島茂義さま。
佐賀藩の自治領の1つ・武雄のご領主だったのですが、当初から凄い存在感を発揮。“本編”第1部の序盤。茂義さまの登場場面には、特に力が入りました。

――第2話「算盤大名」からご登場いただいた、茂義さま。
第1話「長崎警護」(1808年~)の開始時に誕生していた数少ない登場人物。1800年生まれ。現代の小学生くらいの年齢でフェートン号事件を知ったはず。
幕末期。佐賀の“西洋化”を引っ張ったのは、武雄の“蘭学兄貴”だったと言って良いでしょう。
ちなみに佐賀本藩の殿様・鍋島直正から見ると姉の夫(義兄)なので、当ブログでは“兄貴”と呼ばせていただいております。
〔参照:第2話「算盤大名」②-1〕※この話に登場する藩主・斉直さまは、鍋島直正の父です。
――のちに殿・直正(実は江戸期には斉正というお名前)は…
何かと蒸気船に乗っていますが、どう見ても義兄・茂義さまの影響に見えます。
まるで、親戚のお兄さんがカッコ良くバイクに乗っているのに憧れる少年のよう。私はこの2人の関係性を、そんな感覚で捉えています。

――そして、ついに殿・直正に、“蘭学兄貴”との別れの時が…
鍋島茂義さまも当時としては高齢となりました。史実では、そろそろ書かねばならないようです。でも“ナレーション”だけで退場のような扱いにはしたくなくて…
武雄市の方はご存じかもしれない言葉。以前にも当ブログでは語ったのですが、何度でも。
――茂義さまの銅像の台座にはこんな一言が刻まれます。
「人間は一生の中に 多くの仕事を成し遂げた者が 長生きしたのである」
いざ佐賀藩のこととなると、やたら涙もろい私。このセリフだけで泣きそうです。
いつか茂義さまが集めていた“蘭学コレクション”を、武雄まで見に行きたい!

――幕末から明治へ。次の時代にも武雄が激動の時代に関わった証拠が。
明治維新150周年の2018年。東北三大祭りの1つが武雄で見られました。秋田の「竿燈まつり」が、佐賀までお越しいただいた時の写真です。
この画像だけを見て、早くも私が言いたいことがわかった方へ。「貴方も佐賀の夜明けば目指して、走るべき人ではなかね!?」という言葉を送ってみます。
佐賀にとって武雄にとって。その応援を受けて一緒に戦った秋田にとっても。本当は“不本意”だったかもしれない戦いの歴史がつないだ縁があったようです。
…武雄温泉駅。日本近代化の息吹を感じる、入口になるかもしれませんね。
西九州新幹線の開業後は、長崎方面への“乗り換え駅”となる武雄温泉駅。
今のところ、この新幹線の停車予定は5駅。
武雄温泉駅-嬉野温泉駅-新大村駅-諫早駅-長崎駅と聞いております!
…これは、2022年秋の開業が楽しみになってきましたね。
――まず、佐賀県の武雄と言えば…
歴史と伝統の武雄温泉ですね。一方で、どことなく西洋の風が吹き込んでいるモダンな感じもします。
…そして最近、疲れ気味の私も“武雄の湯”で癒されたい。
新型コロナが抑え込めたら、西九州新幹線に乗られるつもりの皆様。
ホームで乗り換えるだけでは勿体ないです、ぜひ武雄で下車しましょう!
――私が、「佐賀の大河ドラマ」で武雄について語る時…
以前から、当ブログをお読みの方は予想が付くことでしょう。
「日本の近代化を先導した佐賀藩を、さらに先導した武雄領。」
蘭癖(西洋かぶれ)でお馴染みの、武雄のご領主(ご隠居)・鍋島茂義さま。
佐賀藩の自治領の1つ・武雄のご領主だったのですが、当初から凄い存在感を発揮。“本編”第1部の序盤。茂義さまの登場場面には、特に力が入りました。
――第2話「算盤大名」からご登場いただいた、茂義さま。
第1話「長崎警護」(1808年~)の開始時に誕生していた数少ない登場人物。1800年生まれ。現代の小学生くらいの年齢でフェートン号事件を知ったはず。
幕末期。佐賀の“西洋化”を引っ張ったのは、武雄の“蘭学兄貴”だったと言って良いでしょう。
ちなみに佐賀本藩の殿様・鍋島直正から見ると姉の夫(義兄)なので、当ブログでは“兄貴”と呼ばせていただいております。
〔参照:
――のちに殿・直正(実は江戸期には斉正というお名前)は…
何かと蒸気船に乗っていますが、どう見ても義兄・茂義さまの影響に見えます。
まるで、親戚のお兄さんがカッコ良くバイクに乗っているのに憧れる少年のよう。私はこの2人の関係性を、そんな感覚で捉えています。
――そして、ついに殿・直正に、“蘭学兄貴”との別れの時が…
鍋島茂義さまも当時としては高齢となりました。史実では、そろそろ書かねばならないようです。でも“ナレーション”だけで退場のような扱いにはしたくなくて…
武雄市の方はご存じかもしれない言葉。以前にも当ブログでは語ったのですが、何度でも。
――茂義さまの銅像の台座にはこんな一言が刻まれます。
「人間は一生の中に 多くの仕事を成し遂げた者が 長生きしたのである」
いざ佐賀藩のこととなると、やたら涙もろい私。このセリフだけで泣きそうです。
いつか茂義さまが集めていた“蘭学コレクション”を、武雄まで見に行きたい!
――幕末から明治へ。次の時代にも武雄が激動の時代に関わった証拠が。
明治維新150周年の2018年。東北三大祭りの1つが武雄で見られました。秋田の「竿燈まつり」が、佐賀までお越しいただいた時の写真です。
この画像だけを見て、早くも私が言いたいことがわかった方へ。「貴方も佐賀の夜明けば目指して、走るべき人ではなかね!?」という言葉を送ってみます。
佐賀にとって武雄にとって。その応援を受けて一緒に戦った秋田にとっても。本当は“不本意”だったかもしれない戦いの歴史がつないだ縁があったようです。
…武雄温泉駅。日本近代化の息吹を感じる、入口になるかもしれませんね。