2021年05月03日
連続ブログ小説「旅立の剣」(37)佐賀の者の誇り
こんばんは。
2019年10月19日。私は「第2回さが維新まつり」の真っ只中にいました。
イベントも演劇も、おそらくは一期一会のもの。私は「この時、この場所」でしか見られないものを見たのだと思います。
いまや、人が密集した行事には注意を払わねばなりません。しかし「新しい佐賀のお祭り」は、時代にあわせて進化してくれると信じています。
――13:05。通行止めとなった路上で、次の展開を待つ私。
テーマソングらしき音楽。幕末の風を感じるBGMが、再び力強く響き始めた。
~♪~ さが維新まつり(https://saga-ishinmatsuri.jp/)※外部サイト
(同ページの「ダイジェスト版映像」のBGMと思われます。)
そして道路の向こう側から、さざ波のように歓声が伝わり始める。
「誰かが、こちらに進んで来ている…」

※一般の方も写っているため、画像を強めに加工しています。
――いや、厳密に言えば、「何かが向かってきている。」
路上を水平移動する台車。パレード等で使われる“フロート”というものらしい。“舞台”がそのまま、こちらに移動して来るのだ。
私がこの場にいる理由は、歴史寸劇の鑑賞だ。そのため、どなたが乗っているのかは予想できている。
――「いま、会いに行ける殿。」
まるでアイドルグループの歌い文句のようだが、私はそんな感覚で捉えている。
郷土が誇る佐賀の賢人たちも書物や銅像で仰ぎ見るだけでは、きっと存在感は現代に発揮されない。身近に感じることが次につながると思うのだ。
目標になる“先輩”の存在は、たぶん現代を生きる“後輩たち”の行動も変えていく。きっと、この方々の活動には、そのような力もある。

――そして、目の前を滑るように、通過する“先輩”方。
青い旗を振る来場者。私も振りたかったが、その小道具の入手先を知らない。
公家のような装束を纏う、明治期の新政府でも要人となった、殿・鍋島直正。
黒の紋付に白袴の姿が、北海道の開拓を進め、札幌を創った男・島義勇。
…と、ざっくり説明を試みる。

※2019年10月時点のキャストの方々です。
――13:15。「佐賀の“八賢人”」のうち、五名が揃う。
先輩たちの集結。現在の私なら、大ヒットアニメ「鬼滅の刃」の“柱”が集合したのに、近いイメージと考える。
ちなみに真ん中が、日本の近代司法を築いた、江藤新平。その右隣が、義務教育制度を形作っていった、大木喬任。
右端は、この2人をはじめ、新時代を拓いた多くの人材たちの師匠・枝吉神陽。
「佐賀の七賢人」に、この先生を加えると“八賢人”になる。
――13:30頃。私を含め、来場者はじっと前を向いていた。
“幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊”による、歴史劇「さがんもん」が上演されている。
教科書では、初期の“士族反乱”として「佐賀の乱」と習った。私が佐賀出身者として、聞くだけで残念な気持ちになるNGワード。
近年では、当時の政府が攻撃に積極的で、佐賀方はやむを得ず応戦したとの解釈もある。反乱とは言い難いので「佐賀戦争」と呼称すべきという主張だ。

――舞台設定は、1874年(明治七年)。
敗色が濃厚となった佐賀城内。江藤新平と、島義勇との最後の対話が演目となっているようだ。
史実では、この2人は政治的には立場が異なるものの「郷土を防衛するため」と共闘していたと聞く。
ここで島義勇が語るのは、北海道開拓の思い出話。
屋外の会場。私を含む聴衆たちは皆、青い空のもとにいる。嬉々として札幌の事を語る、島が見遣る先には、北の大地が広がるようだった。
――頭上の空の青さが、何だか切ないほどだ。
諦めの言葉を口にする江藤。島は先輩らしく、その弱気を叱咤(しった)する。
自身が信じてきた正義を想い、熱い気持ちを取り戻す江藤。
江藤、そして島が“生きるために”敵陣に向かう姿で、劇は終幕となった。

――そこに、殿・鍋島直正の“天の声”。
「…思えば、この2人は、生粋のさがんもん(佐賀の者)じゃった…」
抑えたナレーションが、心に響く。これも涙腺に来る展開だ。先ほどから、普段のドライアイを忘れるほど、私の瞳は潤っている。
そしてこの瞬間が、この旅の目的地だったのかもしれない。
(続く)
〔参考記事(題材が同一):「“さが維新まつり”について」〕
2019年10月19日。私は「第2回さが維新まつり」の真っ只中にいました。
イベントも演劇も、おそらくは一期一会のもの。私は「この時、この場所」でしか見られないものを見たのだと思います。
いまや、人が密集した行事には注意を払わねばなりません。しかし「新しい佐賀のお祭り」は、時代にあわせて進化してくれると信じています。
――13:05。通行止めとなった路上で、次の展開を待つ私。
テーマソングらしき音楽。幕末の風を感じるBGMが、再び力強く響き始めた。
~♪~ さが維新まつり(https://saga-ishinmatsuri.jp/)※外部サイト
(同ページの「ダイジェスト版映像」のBGMと思われます。)
そして道路の向こう側から、さざ波のように歓声が伝わり始める。
「誰かが、こちらに進んで来ている…」
※一般の方も写っているため、画像を強めに加工しています。
――いや、厳密に言えば、「何かが向かってきている。」
路上を水平移動する台車。パレード等で使われる“フロート”というものらしい。“舞台”がそのまま、こちらに移動して来るのだ。
私がこの場にいる理由は、歴史寸劇の鑑賞だ。そのため、どなたが乗っているのかは予想できている。
――「いま、会いに行ける殿。」
まるでアイドルグループの歌い文句のようだが、私はそんな感覚で捉えている。
郷土が誇る佐賀の賢人たちも書物や銅像で仰ぎ見るだけでは、きっと存在感は現代に発揮されない。身近に感じることが次につながると思うのだ。
目標になる“先輩”の存在は、たぶん現代を生きる“後輩たち”の行動も変えていく。きっと、この方々の活動には、そのような力もある。
――そして、目の前を滑るように、通過する“先輩”方。
青い旗を振る来場者。私も振りたかったが、その小道具の入手先を知らない。
公家のような装束を纏う、明治期の新政府でも要人となった、殿・鍋島直正。
黒の紋付に白袴の姿が、北海道の開拓を進め、札幌を創った男・島義勇。
…と、ざっくり説明を試みる。
※2019年10月時点のキャストの方々です。
――13:15。「佐賀の“八賢人”」のうち、五名が揃う。
先輩たちの集結。現在の私なら、大ヒットアニメ「鬼滅の刃」の“柱”が集合したのに、近いイメージと考える。
ちなみに真ん中が、日本の近代司法を築いた、江藤新平。その右隣が、義務教育制度を形作っていった、大木喬任。
右端は、この2人をはじめ、新時代を拓いた多くの人材たちの師匠・枝吉神陽。
「佐賀の七賢人」に、この先生を加えると“八賢人”になる。
――13:30頃。私を含め、来場者はじっと前を向いていた。
“幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊”による、歴史劇「さがんもん」が上演されている。
教科書では、初期の“士族反乱”として「佐賀の乱」と習った。私が佐賀出身者として、聞くだけで残念な気持ちになるNGワード。
近年では、当時の政府が攻撃に積極的で、佐賀方はやむを得ず応戦したとの解釈もある。反乱とは言い難いので「佐賀戦争」と呼称すべきという主張だ。
――舞台設定は、1874年(明治七年)。
敗色が濃厚となった佐賀城内。江藤新平と、島義勇との最後の対話が演目となっているようだ。
史実では、この2人は政治的には立場が異なるものの「郷土を防衛するため」と共闘していたと聞く。
ここで島義勇が語るのは、北海道開拓の思い出話。
屋外の会場。私を含む聴衆たちは皆、青い空のもとにいる。嬉々として札幌の事を語る、島が見遣る先には、北の大地が広がるようだった。
――頭上の空の青さが、何だか切ないほどだ。
諦めの言葉を口にする江藤。島は先輩らしく、その弱気を叱咤(しった)する。
自身が信じてきた正義を想い、熱い気持ちを取り戻す江藤。
江藤、そして島が“生きるために”敵陣に向かう姿で、劇は終幕となった。

――そこに、殿・鍋島直正の“天の声”。
「…思えば、この2人は、生粋のさがんもん(佐賀の者)じゃった…」
抑えたナレーションが、心に響く。これも涙腺に来る展開だ。先ほどから、普段のドライアイを忘れるほど、私の瞳は潤っている。
そしてこの瞬間が、この旅の目的地だったのかもしれない。
(続く)
〔参考記事(題材が同一):