2020年12月15日
「睦月・一月」(歳末反省会②)
こんばんは。前回の続きです。
――2020年(令和2年)1月。
“新型コロナ”という言葉が聞こえ始めた頃。
不穏な空気が漂ってきた時期ですが、私は投稿に熱を入れていました。まさか「年間を通じて、佐賀に帰藩できない!」とも知らずに。
――その年末から、お正月にかけては…
”佐賀七賢人”の人物紹介編を何とか書き終えて、次の展開へと移りました。
私のブログでアクセス数第1位の記事は、ブログ開始時の“ご挨拶”。
第2位は新年のご挨拶も兼ねた、この記事です。
〔参照:「佐賀の物語を描け!」(独自色③)〕
――「幕末佐賀藩の大河ドラマ」は、3部構成で見たい!
新年早々に暑苦しい投稿でしたが、そこそこ共感は得られたようです。
年末年始に佐賀の名言、功績…そして物語!と連続で語りました。
〔参照:「佐賀の名言を探せ!」(独自色①),「佐賀の功績を語れ!」(独自色②)〕
――そこからは、迷いが生じました。
正月休み中に武雄市、白石町など各地域にフォーカスした記事を投稿。
このあたりまでは、勢いがあったのですが、その後、急に失速します。
歴代の「大河ドラマ」を意識した記事を入れてみますが、停滞は否めません。

――ここで、私は遠大なチャレンジを試みます。
「私に、才能は…たぶん無い!」
“幕末佐賀藩の大河ドラマ”について考え始めたとき、年表を並べ「放送47話(年間の目安)では収まらない情報量」をどう捌くかが課題と感じました。
幕末・明治期における、佐賀の先人たちの活躍。素材は豊富にある。
どんな脚本家の方が書けば、面白い話になるだろうか…と考えていました。
――しかし、私に脚本家への伝手(つて)はありません。
「この際だから、自分でも書いてみよう!」
当初は“場面解説”だけのイメージでしたが、これが“本編”の始まりです。
また、写真素材が足りず、思案することに。
そして「弟に描いてもらうか…」との結論に至りました。
――とりあえず、弟に電話する、私。
「ひとまず“フェートン号”と、長崎奉行所がほしい!」
電話なので、弟の表情は見えていません。たぶん豆鉄砲をくらった、柴犬のように、きょとんとした顔をした事と思います。
「兄貴は…相変わらず、おかしな事を言う…」
こうして弟がカリカリと描いた絵。序盤の写真不足を支えることになります。
…長文になったので、第1話「長崎警護」については、あらためて振り返ります。
――2020年(令和2年)1月。
“新型コロナ”という言葉が聞こえ始めた頃。
不穏な空気が漂ってきた時期ですが、私は投稿に熱を入れていました。まさか「年間を通じて、佐賀に帰藩できない!」とも知らずに。
――その年末から、お正月にかけては…
”佐賀七賢人”の人物紹介編を何とか書き終えて、次の展開へと移りました。
私のブログでアクセス数第1位の記事は、ブログ開始時の“ご挨拶”。
第2位は新年のご挨拶も兼ねた、この記事です。
〔参照:
――「幕末佐賀藩の大河ドラマ」は、3部構成で見たい!
新年早々に暑苦しい投稿でしたが、そこそこ共感は得られたようです。
年末年始に佐賀の名言、功績…そして物語!と連続で語りました。
〔参照:
――そこからは、迷いが生じました。
正月休み中に武雄市、白石町など各地域にフォーカスした記事を投稿。
このあたりまでは、勢いがあったのですが、その後、急に失速します。
歴代の「大河ドラマ」を意識した記事を入れてみますが、停滞は否めません。

――ここで、私は遠大なチャレンジを試みます。
「私に、才能は…たぶん無い!」
“幕末佐賀藩の大河ドラマ”について考え始めたとき、年表を並べ「放送47話(年間の目安)では収まらない情報量」をどう捌くかが課題と感じました。
幕末・明治期における、佐賀の先人たちの活躍。素材は豊富にある。
どんな脚本家の方が書けば、面白い話になるだろうか…と考えていました。
――しかし、私に脚本家への伝手(つて)はありません。
「この際だから、自分でも書いてみよう!」
当初は“場面解説”だけのイメージでしたが、これが“本編”の始まりです。
また、写真素材が足りず、思案することに。
そして「弟に描いてもらうか…」との結論に至りました。
――とりあえず、弟に電話する、私。
「ひとまず“フェートン号”と、長崎奉行所がほしい!」
電話なので、弟の表情は見えていません。たぶん豆鉄砲をくらった、柴犬のように、きょとんとした顔をした事と思います。
「兄貴は…相変わらず、おかしな事を言う…」
こうして弟がカリカリと描いた絵。序盤の写真不足を支えることになります。
…長文になったので、第1話「長崎警護」については、あらためて振り返ります。