2020年12月27日

「文月・七月」(歳末反省会⑩)

こんばんは。
遅めの年賀状作成の傍ら、歳末反省会を続けます。今回の振り返りは7月

大都市圏を中心に、緊急事態宣言が出されたのが4・5月でしたから、一見して、平穏を取り戻しつつあった時期…と言えるかもしれません。


――県内ではご存じの方が多いと思いますが…

佐賀藩の領地は、現在の佐賀県の範囲とは一致していません。県内には、唐津藩対馬藩田代領)といった他藩や、幕府の領地もありました。

当ブログのテーマは「幕末佐賀藩大河ドラマ」ですが、全国に「佐賀ブランド魅力」を轟かせるという裏テーマもあり、県内全体のアピールが要るのです。


――“各地域の皆様へのつぶやき”企画…

7月で1本目の投稿は、主に唐津市民の皆様に向けたもの。ここで唐津藩(藩主名代)・小笠原長行様についても語っています。
〔参照(後半):「主に唐津市民の方を対象にしたつぶやき」

小笠原様。なかなか不憫(ふびん)な立場でしたが、幕末期にすごく頑張っていて“本編”でも描きたい方です。


――唐津藩は、佐賀藩と違ってお殿様が次々に代わる国。

佐賀藩領民たちは「鍋島さまは、我らの殿様」と当然に考えていたでしょう。地元の実情を掌握するのに、代々の信頼関係はわかりやすく効果があります。

しかし唐津藩では「いまは小笠原、前は水野、その前は土井…だったか?」
殿様の立場からすれば、これでは統治しにくいです!

棚倉(福島)からの国替え。莫大な費用を使って、小笠原家が唐津に入ったのは1817年頃。財政難もあって、領民の協力がなければ物事も進みません。



――時は進んで小笠原長行が、唐津で藩政の舵取りを始めた、1858年頃…

隣の佐賀藩では、改革の成果も出て、長崎海軍伝習所に優秀な人材を次々に送り込んでいました。
〔参照(後半):第12話「海軍伝習」⑧(いざ、長崎へ)

7月に“本編”を投稿した、第12話海軍伝習」で描いた内容です。掲載年代は、諸外国との条約締結が問題となった、1854年1858年頃。


――“本編”でも、県内の地域性を出そうと試みます。

第12話の終盤で、有田町とつながりのある人物を2人登場させています。

海軍伝習生で、日本電信を普及した石丸安世
〔参照(前半):第12話「海軍伝習」⑨-1(悔しかごたぁ・前編)

有田皿山代官の子息として育ち、のちに歴史学者として著名になる久米邦武
〔参照(前半):第12話「海軍伝習」⑦(有田の“坊ちゃん”)

長文になりがちな“本編”ですが、書きたい人物は多く、話の整理が追い付きません。本編が「大河ドラマ」イメージに届くには、長い道のりがありそうです。

  


Posted by SR at 22:25 | Comments(0) | 歳末反省会