2023年02月05日
「“大河ドラマ” 誕生秘話を見て」
こんにちは。
昨夜、たぶん私は見ておかねばならない…ドラマがNHKで放送されました。そのタイトルは『大河ドラマが生まれた日 笑いと涙の大河ドラマ誕生秘話』。
昭和の真っ只中、戦後の復興も進み、右肩上がりの経済成長の明るい空気があった時代。

テレビのある家には、ご近所さんが集結。良くも悪くも、熱気のあった仕事場。これぞ“昭和”というポイントの描写が続きます。
なお、ドラマの感想に、私が空想する「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージが混ざりますが、いつもの事ですのでご容赦ください。
東京オリンピックを2年後に控えた、1962年(昭和37年)からその誕生秘話はスタートするようです。
――そんな時代背景で描かれるのは、あるテレビマンたちの奮闘。
大河ドラマの第1作『花の生涯』は、日本のテレビ放送開始から10年ほどが経過した時期、1963年(昭和38年)に放送されています。
当時のNHK局内の雰囲気の再現を試みるか、いきなり“親分”・芸能局長〔演:中井貴一〕の無茶振り。
空前絶後を超える連続大型時代劇の制作を命じられた、上司・楠田〔演:阿部サダヲ〕と部下・山岡〔演:生田斗真〕。

――“大河ドラマ”で「東京オリンピック」と言えば…
2019年大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』を思い出します。そういえば、阿部サダヲさんも、生田斗真さんも、同作の出演者でした。
今回のドラマの話に戻すと、もともとは映画会社志望で、不本意にもテレビの仕事をしているのが、生田さん演じる山岡青年。
テレビ業界に不満を持ちながらも、若手アシスタントディレクター(AD)として、悶々とした日々を送っています。
――当時のテレビドラマは、生放送で…
行き当たりばったりの展開となることも多く、映画と比して随分と見劣りがすることを嘆く、若手ADの山岡。
先ほどの“親分”からの無理難題には、上司・楠田とともに巻き込まれますが、映画会社の協定により出演者の確保は困難を極めます。
やがて山岡青年は『花の生涯』に映画スター・佐田啓二〔演:中村七之助〕の出演を目指して、足しげく説明に通います。
――そして、風向きが変わる。
アメリカのテレビ事情まで情報収集し、熟慮した映画スター・佐田啓二は、その大型時代劇への出演を承諾し、本格的に撮影が始まった『花の生涯』。
当時は“大河ドラマ”という呼称はなかったようで、後に、この大型時代劇枠に「大河ドラマ」という名称が定着したので、遡って第1作の扱いのようです。
この辺り、とくに私には、いろいろと勉強になります。

――なお『花の生涯』で佐田啓二は、彦根藩士・長野主膳役。
長野主膳は、やがて幕府の大老となっていく、彦根藩主・井伊直弼を語るうえで、すごく重要な人物です。
若い頃の井伊直弼は、藩主を継承する見込みはかなり低い位置におり、ひっそりと学問と芸事を深める文化人の路線でした。
〔参照:第13話「通商条約」②(埋木に陽が当たるとき)〕
もともと長野はその時、井伊の和歌や国学の師匠だった学者だったようです。
――『花の生涯』での、淡島千景〔演:ともさかりえ〕の配役が
村山たかという女性の役です。井伊直弼と長野主膳と、村山たか。この3人の関係性はとても濃いようなので、『花の生涯』では深く描かれた事でしょう。
当時、京都で勤王や攘夷の活動をした各藩の志士たちを「安政の大獄」で取り締まる際に、長野主膳と村山たかの2人は深く関与しています。
ちなみに、私が書く「幕末佐賀藩の大河ドラマ」イメージでは、彦根藩の動向を詳しくは描いていません。
但し、「副島種臣に、佐賀藩の京都出兵を打診した公家が、彦根藩士に連行される」という場面は、当時の状況として入れています。
〔参照(終盤):第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)〕

――ちなみに、大老となった井伊直弼が信頼したのは、
徳川政権に近い親藩・譜代の中では会津藩(松平容保)、外様大名の中では佐賀藩(鍋島直正)だったそうです。
江戸末期から幕府に気を遣いながら、韮山反射炉の建設や、品川台場への鉄製大砲の設置などに協力し、日本の近代化を進めてきた佐賀藩。
幕府が選択した「武備開国」の方針には、鍋島直正は良き理解者だったようで、井伊直弼が、江戸の佐賀藩邸を訪ねた場面も書きました。
〔参照(後半):第15話「江戸動乱」⑭(“赤鬼”が背負うもの)〕
ところが、1860年(安政七年)“桜田門外の変”での井伊大老の急死により、幕府と佐賀藩のつながりは一気に薄れてしまった…という展開になります。
〔参照:第15話「江戸動乱」⑮(雪の舞う三月)〕
――京都警備における彦根藩の存在感も…
井伊直弼亡き後には、こちらも一気に薄れてしまったため、志士側からの報復により、今度は幕府側の関係者が危うい状態に。
京の都には、「天誅」という言葉と、襲撃が横行することになります。
江藤新平が佐賀を脱藩した1862年(文久二年)頃には、各地から過激化した志士も、続々と京都に集まってきていました。
〔参照(中盤):第18話「京都見聞」⑱(秋風の吹く頃に)〕
この年、幕府に近い立場の会津藩主・松平容保が、まるで“火中の栗”を拾うかのように、新設された京都守護職を引き受けます。

――そして、“大河ドラマ”誕生を描く物語で、私に一番響いたこと。
作中で阿部サダヲさんの演じる上司・楠田が、彦根藩のお殿様・井伊直弼を題材にしたきっかけは、おそらくは妻の故郷だったから。
夜明けまでの撮影の後に行く、行きつけの屋台のおでんが美味いのは、店主が孫に味見させて「おいしい」と言ったものを出しているから。
最初は無茶振りから始まった“大河ドラマ”。やがて、その企画に関わる人々の想いは「身近な人への愛」というところに集約されて…
山岡青年と、ヒロインである下宿の娘・明恵〔演:松本穂香〕とのエピソードを軸に、1つの話にまとまっていく。
――この物語、好きな感じの描き方でした。
本日、2月5日(日)午後4:30~には、最新のAI技術を駆使して、当時は、白黒だった映像をカラーで再現した『花の生涯』が見られるようです。
「新しいテレビが家に来た日」の描写など、何だか「昔にあって、今には無い」そんな、ときめきを想い出すような要素も多かった“大河ドラマ”誕生秘話。
このところ、少し疲れていましたが、また、頑張ろうと思える物語でした。
○関連記事
・「花の生涯…」
・「茶歌(ちゃか)ポン。」
昨夜、たぶん私は見ておかねばならない…ドラマがNHKで放送されました。そのタイトルは『大河ドラマが生まれた日 笑いと涙の大河ドラマ誕生秘話』。
昭和の真っ只中、戦後の復興も進み、右肩上がりの経済成長の明るい空気があった時代。
テレビのある家には、ご近所さんが集結。良くも悪くも、熱気のあった仕事場。これぞ“昭和”というポイントの描写が続きます。
なお、ドラマの感想に、私が空想する「幕末佐賀藩の大河ドラマ」のイメージが混ざりますが、いつもの事ですのでご容赦ください。
東京オリンピックを2年後に控えた、1962年(昭和37年)からその誕生秘話はスタートするようです。
――そんな時代背景で描かれるのは、あるテレビマンたちの奮闘。
大河ドラマの第1作『花の生涯』は、日本のテレビ放送開始から10年ほどが経過した時期、1963年(昭和38年)に放送されています。
当時のNHK局内の雰囲気の再現を試みるか、いきなり“親分”・芸能局長〔演:中井貴一〕の無茶振り。
空前絶後を超える連続大型時代劇の制作を命じられた、上司・楠田〔演:阿部サダヲ〕と部下・山岡〔演:生田斗真〕。
――“大河ドラマ”で「東京オリンピック」と言えば…
2019年大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』を思い出します。そういえば、阿部サダヲさんも、生田斗真さんも、同作の出演者でした。
今回のドラマの話に戻すと、もともとは映画会社志望で、不本意にもテレビの仕事をしているのが、生田さん演じる山岡青年。
テレビ業界に不満を持ちながらも、若手アシスタントディレクター(AD)として、悶々とした日々を送っています。
――当時のテレビドラマは、生放送で…
行き当たりばったりの展開となることも多く、映画と比して随分と見劣りがすることを嘆く、若手ADの山岡。
先ほどの“親分”からの無理難題には、上司・楠田とともに巻き込まれますが、映画会社の協定により出演者の確保は困難を極めます。
やがて山岡青年は『花の生涯』に映画スター・佐田啓二〔演:中村七之助〕の出演を目指して、足しげく説明に通います。
――そして、風向きが変わる。
アメリカのテレビ事情まで情報収集し、熟慮した映画スター・佐田啓二は、その大型時代劇への出演を承諾し、本格的に撮影が始まった『花の生涯』。
当時は“大河ドラマ”という呼称はなかったようで、後に、この大型時代劇枠に「大河ドラマ」という名称が定着したので、遡って第1作の扱いのようです。
この辺り、とくに私には、いろいろと勉強になります。
――なお『花の生涯』で佐田啓二は、彦根藩士・長野主膳役。
長野主膳は、やがて幕府の大老となっていく、彦根藩主・井伊直弼を語るうえで、すごく重要な人物です。
若い頃の井伊直弼は、藩主を継承する見込みはかなり低い位置におり、ひっそりと学問と芸事を深める文化人の路線でした。
〔参照:
もともと長野はその時、井伊の和歌や国学の師匠だった学者だったようです。
――『花の生涯』での、淡島千景〔演:ともさかりえ〕の配役が
村山たかという女性の役です。井伊直弼と長野主膳と、村山たか。この3人の関係性はとても濃いようなので、『花の生涯』では深く描かれた事でしょう。
当時、京都で勤王や攘夷の活動をした各藩の志士たちを「安政の大獄」で取り締まる際に、長野主膳と村山たかの2人は深く関与しています。
ちなみに、私が書く「幕末佐賀藩の大河ドラマ」イメージでは、彦根藩の動向を詳しくは描いていません。
但し、「副島種臣に、佐賀藩の京都出兵を打診した公家が、彦根藩士に連行される」という場面は、当時の状況として入れています。
〔参照(終盤):
――ちなみに、大老となった井伊直弼が信頼したのは、
徳川政権に近い親藩・譜代の中では会津藩(松平容保)、外様大名の中では佐賀藩(鍋島直正)だったそうです。
江戸末期から幕府に気を遣いながら、韮山反射炉の建設や、品川台場への鉄製大砲の設置などに協力し、日本の近代化を進めてきた佐賀藩。
幕府が選択した「武備開国」の方針には、鍋島直正は良き理解者だったようで、井伊直弼が、江戸の佐賀藩邸を訪ねた場面も書きました。
〔参照(後半):
ところが、1860年(安政七年)“桜田門外の変”での井伊大老の急死により、幕府と佐賀藩のつながりは一気に薄れてしまった…という展開になります。
〔参照:
――京都警備における彦根藩の存在感も…
井伊直弼亡き後には、こちらも一気に薄れてしまったため、志士側からの報復により、今度は幕府側の関係者が危うい状態に。
京の都には、「天誅」という言葉と、襲撃が横行することになります。
江藤新平が佐賀を脱藩した1862年(文久二年)頃には、各地から過激化した志士も、続々と京都に集まってきていました。
〔参照(中盤):
この年、幕府に近い立場の会津藩主・松平容保が、まるで“火中の栗”を拾うかのように、新設された京都守護職を引き受けます。
――そして、“大河ドラマ”誕生を描く物語で、私に一番響いたこと。
作中で阿部サダヲさんの演じる上司・楠田が、彦根藩のお殿様・井伊直弼を題材にしたきっかけは、おそらくは妻の故郷だったから。
夜明けまでの撮影の後に行く、行きつけの屋台のおでんが美味いのは、店主が孫に味見させて「おいしい」と言ったものを出しているから。
最初は無茶振りから始まった“大河ドラマ”。やがて、その企画に関わる人々の想いは「身近な人への愛」というところに集約されて…
山岡青年と、ヒロインである下宿の娘・明恵〔演:松本穂香〕とのエピソードを軸に、1つの話にまとまっていく。
――この物語、好きな感じの描き方でした。
本日、2月5日(日)午後4:30~には、最新のAI技術を駆使して、当時は、白黒だった映像をカラーで再現した『花の生涯』が見られるようです。
「新しいテレビが家に来た日」の描写など、何だか「昔にあって、今には無い」そんな、ときめきを想い出すような要素も多かった“大河ドラマ”誕生秘話。
このところ、少し疲れていましたが、また、頑張ろうと思える物語でした。
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Posted by SR at 12:48 | Comments(0) | 「大河ドラマ」関連
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