2021年03月03日
「花の生涯…」
こんばんは。
本日は、3月3日ですね。
旧暦ですが、幕末の大事件「桜田門外の変」が起きた日でもあります。現代の暦(季節感)では、3月下旬頃になります。
…華やかな気分の“ひな祭り”に、なんだか物騒な話始めで恐縮です。
――今日のタイトルは、大河ドラマ第1作『花の生涯』から…
実は、初めて「大河ドラマ」の主人公になった方が、井伊直弼です。
当時の映像は、一部しか現存しないそうです。放映は、1963年(昭和38年)。この翌年には、東京オリンピックが開催されたのですね。
…実際に視聴した方の記憶の中には“名作”として刻まれていることでしょう。
以前、歴代「大河ドラマ」の主人公と、佐賀の主役候補をつなぐ…という投稿をしたことがあり、井伊直弼と鍋島直正の関わりも少し書いています。
〔参照:「“大河の主役”と並ぶ」(関係性③‐1鍋島直正編)〕
――“本編”の直近の投稿は、かなり井伊直弼の立場に寄っています。
「井伊さまの地元・彦根(滋賀)の皆様にも届け!」という想いで書き進めました。
大河ドラマ「青天を衝け」では、水戸藩が準主役と言って良いでしょう。敵対する井伊大老は、あまり良く描いてもらえないと想像し、より気合が入りました。
〔参照:第15話「江戸動乱」⑭(“赤鬼”が背負うもの)〕
…ここは、“青天”の井伊直弼役・岸谷五朗さんの熱演にも期待したいです。

――ちなみに「幕末佐賀藩の大河ドラマ」が実現すれば…
大老・井伊直弼は、好意的に描けると思います。殿・鍋島直正が見込んだ「国を背負うべき士」みたく表現できそうです。
彦根(滋賀)の情報も参照してみましたが、井伊直弼は「志士の弾圧」と「開国の英断」で評価が両極端。もう少し冷静に見てほしい…という声もあるようです。
キーワードは「朝廷への工作で、政治の体制を揺るがした」と判断された“戊午(ぼご)の密勅”。ここの経緯を丁寧に追う必要があるという意見でした。
〔参照:「京の宵闇」〕
…幕府のルールを大事にし、決断をした責任は背負う。井伊直弼が地道に頑張るタイプならば、佐賀の殿・鍋島直正とは、やっぱり気が合うように思います。
――何やら「彦根市民の皆様へのつぶやき」になっていますが…
幕末期。“安政の大獄”の際、京都では井伊直弼の側近が指揮にあたり、親しかった女性まで“密偵”として活動したそうです。
そして京都を守備する彦根藩士たちが、主力として探索にあたった結果。尊王攘夷の志士たちも、まず彦根城に囚われる事が多かったと聞きます。
〔参照(終盤):第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)〕
その後、井伊直弼がいなくなった彦根藩。幕府からの扱いは冷たいものでした。こうして戊辰戦争時には、早々と新政府側に付くことになります。

――そして現在、“国宝”の天守を持つ彦根城。
いまや、ゆるキャラ界の大物“ひこにゃん”も有する、強力観光スポットですが、この彦根城にもピンチがありました。
かつて明治初期に無用扱いとなった、江戸期の城郭は、全国で壊されました。
「城さえ残っていれば…」と涙を流す、各地の観光関係者も少なくないはず。
しかし彦根には救いのヒーローが現れます。明治天皇の北陸巡幸に随行した、大隈重信が、解体準備が進む、彦根城に立ち寄ったのです。
大隈は「こん城の消失は惜しか。保存せんばならんばい!」とか決意したのか、天皇に保存を奏上します。…なかなか美味しいところを持っていく大隈さん。
…高い価値が守られた彦根城。井伊直弼の旧暦命日に見つけたお話でした。
本日は、3月3日ですね。
旧暦ですが、幕末の大事件「桜田門外の変」が起きた日でもあります。現代の暦(季節感)では、3月下旬頃になります。
…華やかな気分の“ひな祭り”に、なんだか物騒な話始めで恐縮です。
――今日のタイトルは、大河ドラマ第1作『花の生涯』から…
実は、初めて「大河ドラマ」の主人公になった方が、井伊直弼です。
当時の映像は、一部しか現存しないそうです。放映は、1963年(昭和38年)。この翌年には、東京オリンピックが開催されたのですね。
…実際に視聴した方の記憶の中には“名作”として刻まれていることでしょう。
以前、歴代「大河ドラマ」の主人公と、佐賀の主役候補をつなぐ…という投稿をしたことがあり、井伊直弼と鍋島直正の関わりも少し書いています。
〔参照:
――“本編”の直近の投稿は、かなり井伊直弼の立場に寄っています。
「井伊さまの地元・彦根(滋賀)の皆様にも届け!」という想いで書き進めました。
大河ドラマ「青天を衝け」では、水戸藩が準主役と言って良いでしょう。敵対する井伊大老は、あまり良く描いてもらえないと想像し、より気合が入りました。
〔参照:
…ここは、“青天”の井伊直弼役・岸谷五朗さんの熱演にも期待したいです。
――ちなみに「幕末佐賀藩の大河ドラマ」が実現すれば…
大老・井伊直弼は、好意的に描けると思います。殿・鍋島直正が見込んだ「国を背負うべき士」みたく表現できそうです。
彦根(滋賀)の情報も参照してみましたが、井伊直弼は「志士の弾圧」と「開国の英断」で評価が両極端。もう少し冷静に見てほしい…という声もあるようです。
キーワードは「朝廷への工作で、政治の体制を揺るがした」と判断された“戊午(ぼご)の密勅”。ここの経緯を丁寧に追う必要があるという意見でした。
〔参照:
…幕府のルールを大事にし、決断をした責任は背負う。井伊直弼が地道に頑張るタイプならば、佐賀の殿・鍋島直正とは、やっぱり気が合うように思います。
――何やら「彦根市民の皆様へのつぶやき」になっていますが…
幕末期。“安政の大獄”の際、京都では井伊直弼の側近が指揮にあたり、親しかった女性まで“密偵”として活動したそうです。
そして京都を守備する彦根藩士たちが、主力として探索にあたった結果。尊王攘夷の志士たちも、まず彦根城に囚われる事が多かったと聞きます。
〔参照(終盤):
その後、井伊直弼がいなくなった彦根藩。幕府からの扱いは冷たいものでした。こうして戊辰戦争時には、早々と新政府側に付くことになります。
――そして現在、“国宝”の天守を持つ彦根城。
いまや、ゆるキャラ界の大物“ひこにゃん”も有する、強力観光スポットですが、この彦根城にもピンチがありました。
かつて明治初期に無用扱いとなった、江戸期の城郭は、全国で壊されました。
「城さえ残っていれば…」と涙を流す、各地の観光関係者も少なくないはず。
しかし彦根には救いのヒーローが現れます。明治天皇の北陸巡幸に随行した、大隈重信が、解体準備が進む、彦根城に立ち寄ったのです。
大隈は「こん城の消失は惜しか。保存せんばならんばい!」とか決意したのか、天皇に保存を奏上します。…なかなか美味しいところを持っていく大隈さん。
…高い価値が守られた彦根城。井伊直弼の旧暦命日に見つけたお話でした。
Posted by SR at 21:56 | Comments(0) | 出来事編(E)
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