2022年01月18日

「伊万里から西に向かって振り返る。」

こんばんは。
前回、ご案内した“本編”振り返りシリーズ第1回目です。

全3回のうち、本日が“前編”ということに。キーワードは『松浦鉄道』です。例によって、鉄道そのものの写真はございませんが、語ることはできます。


――登場する駅名は東から西へ。「伊万里」→「楠久」→「久原」の3か所。

なお、私は10年ほど前に松浦鉄道沿線を回る計画を立てましたが、その時は諸事情により断念しました。

それゆえ地元に住まう方から見れば、おかしな記述もあるかもしれませんが、思い切って書きます。構成の都合上、「伊万里」「久原」「楠久」の順番で…

――まず、1本目・「伊万里」について。

“本編”では、佐賀藩の産業政策を支える“柱”の1つ、陶磁器産業を語るため、賑わう積出港として舞台になることが多いです。

なお、伊万里商人について、深く描くことは出来ていませんが、場面設定で用いることは時折あります。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑰(積出港の昼下がり)



――次に、2本目・「久原」について。

“本編”には、創作要素の強い話が含まれることがあります。例えば、第16話「攘夷沸騰」から、なぜか度々、伊万里湾を望む高台に現れる、江藤新平
〔参照(後半):第16話「攘夷沸騰」⑩(英国船の行方)

これは、江藤が藩の貿易部門・代品方に移る前振り。また第18話「京都見聞」の展開の都合で考えた設定です。

史実寄りの情報では、江藤の剣術道場の先輩で、小城(支藩)の富岡敬明が、伊万里にいろいろと関わりがありそうです。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」②(小城の秘剣)


――佐賀の支藩・小城藩の飛び地だったという「久原」。

“本編”では少し先の時期になりますが、1864年頃に小城藩内の抗争で責任を取る形になった富岡は、囚われの身として当地にいたようです。

富岡敬明に恩のあった、江藤は「久原」まで足を運び、剣舞を踊って励ました…らしいのです。

江藤には伊万里の土地勘があったのでは…」との推測はこの辺りからです。

明治に入ってから、江藤らの助力で赦免された富岡。新政府の地方官僚として“伊万里県”から仕事を始め、熊本県山梨県での活躍が伝わります。
〔参照:「励まし方も、人による(第16話・場面解説①)」



――そして、3本目・「楠久」について。

佐賀藩海軍の拠点として描くことが多い、伊万里鍋島直正の“相棒”のように描くこともある、オランダ生まれの蒸気船・電流丸
〔参照(前半):第15話「江戸動乱」⑫(その船、電流丸)

なお時々、殿様に呼びかけられると、電流丸が「ボッ…!」とか応えるのは、私の趣味による脚色です。

文久元年(1861年)。対馬に上陸したロシア船への警戒のため、佐賀藩海軍は電流丸を派遣します。その寄港地として、記述を見つけたのが「楠久」です。


――幕末期。蒸気船が行き交った、伊万里の海。

当時の対馬藩主・宗義和から、電流丸乗組員たちへの労(ねぎら)いとして“酒のつまみ”が授与されたといいます。高級珍味だったのか…気になります。

他の資料では、伊万里の浅瀬の多い場所からは小舟で、水深のある「楠久」に物資を移してから、大船で動かす…という話もありました。

港での操船には、かつて伊万里近辺で活躍した“松浦党”の水軍技術が活きたとか。“元寇”を描いた2001年大河ドラマ『北条時宗』を想い出します。



――この“ポサドニック号”事件の時に、

もう1つの蒸気船・観光丸の艦長として対馬に上陸したのが、佐野常民長崎に近い優位性。佐賀藩士は海軍技術に通じた人材が多いのが特徴的です。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑱(蒸気船の集まる海域)

幕府から佐賀が預かっていた、観光丸の方は「久原」に寄港したという話も。

外輪蒸気船・観光丸。2010年大河ドラマ『龍馬伝』でもロケに使われた“復元船”が存在し、長崎で運行されていますが、いまはシーズンオフのようです。


――“観光丸”は、勝海舟や坂本龍馬も関わった船なのですが…

私の視点だと、鍋島直正が「この船(のちの観光丸)は、幾らで買えるのか?」と質問して、オランダの関係者を慌てさせたとか…
〔参照:第11話「蝦夷探検」①(殿、蒸気船に乗る)

幕府から佐賀藩に預けられた時に佐野常民だけでなく、島義勇も艦長だったことがあるとか…佐賀に関するエピソードが満載の蒸気船です。

佐賀藩士たちが蒸気船を運用して、伊万里の港からも海を駆けていた姿を、想う人が増えると良いな…という気持ちで書きました。





  


Posted by SR at 22:09 | Comments(0) | 佐賀への道