2022年01月29日
第17話「佐賀脱藩」⑮(急転、江戸からの風)
こんにちは。
年が明けてからしばらく後、江戸から佐賀に届いた一通の手紙。大都会から届く中野方蔵の便りは、佐賀の同志たちの希望となっていたのですが…
少しばかり時間を遡って、舞台は文久二年(1862年)の年明け直後の江戸。現代では東京にあたる大都会。各地の出身者に“物語”があったことでしょう。
志士への追跡が強まる江戸で不急の外出を避けている中野方蔵。明治初期に東京への首都移転に活躍した大木喬任・江藤新平の親友の“物語”です。

――澄み切った正月の空気が漂う、江戸の街。
歳末を乗り切った長屋の町人たちの声が響く。
「おぅ、今年もよろしくな。」
「元気そうじゃねぇか、おっかねえ“掛取り”から逃げ切ったようだな。」
「おうよ、この通り清々しい新年だ。」
江戸期の商慣習で、歳末には売掛金の回収が集中する傾向があったようだ。いわば、年越しまで借金取りから逃げ切った男の武勇伝である。
「でもな、一時は逃げ切っても、後が怖えぞ…。」
「めでてぇ、正月から野暮(やぼ)な話は言いっこなしでぃ!」
――町人地に近い通りを行く、佐賀藩士・中野方蔵。
「年始まで、“掛取り”から逃げ切ったか…。」
少し風もある日だ。流れてくる、江戸の日常に耳を傾けながら小路を行く。
当時、勤王を唱える、諸藩の志士たちへの取り締まりは厳しくなる一方だ。
とくに皇女・和宮の降嫁に際して、挙兵のうえで“奪還”を図ったという儒学者・大橋訥庵の一派への追及は厳しい。
その大橋の私塾に出入りした中野も、幕府の捕り方に気をつけねばならない。
「無用な動きは、避けるに越した事はなかね…」

――『君子、危うきに近寄らず』と行きたい状況である。
佐賀の先輩・副島種臣とも相談し、しばらく中野は幕府の昌平坂学問所への出席を見送っていた。もちろん、市中の私塾にも出入りはしない。
〔参照(終盤):第17話「佐賀脱藩」⑬(籠鳥は、雲を恋う)〕
日用品の確保など所用を済ませ、急ぎ足で江戸での居宅に戻る。佐賀での住まいに比べれば、相当に狭いが単身で暮らすには問題はない。
郷里に置いてきた家族、離れている仲間たち。このように籠もった暮らし振りならば、もはや江戸に居続ける値打ちは無いのかもしれない。
中野は居宅に落ち着くと、佐賀から届いていた手紙に目を通した。
――「中野へ。この度“代品方”に転じることとなった。」
「へぇ、江藤くんは、いよいよ交易に関わるか。これは幸いだ。」
情報収集に熱心で“早耳”の中野。佐賀藩の貿易部門は、上方(京・大坂)への拠点強化に乗り出している。
「中野とともに“国事”に奔走するには、まだ時がかかりそうだ。」
「…承知。佐賀に戻るまでに、こちらもひと踏ん張りせんばね。」
これが都市生活の孤独か。江藤からの手紙に、中野は言葉を返してしまう。
――「近々、大木さんからも文(ふみ)を書き送る。」
江藤からの手紙は、大木からの通信の予告で結んでいた。この三人の関わり方は親友というより、もはや兄弟のようですらあった。
「…楽しみにしていますね。」
手紙を読み終えた、中野は軽く笑みを見せた。
一人の時間が戻る。学問所や私塾で志士たちと交流してきたが、取り締まりを警戒して、今は自粛をしている。
江戸での充実した日々を送ってきた中野にとっては、珍しく暇がある。
「そういえば、初風呂ぐらいは行っておくか。」

――江戸市中の湯屋(銭湯)に、出向いた中野。
そんな銭湯の脱衣所だ。また、活気のある江戸庶民の声が響いている。
「おう、今年は初顔合わせか。」
「あ~あ、新年もお前さんの、しけた面(つら)見ながら暮らすのかぁ…」
中野は都会にも馴染み、活きの良い江戸っ子の会話はむしろ耳に優しい。
「…もはや、こういった喧噪(けんそう)も落ち着くな。」
一言、つぶやいた中野。これからの佐賀のため、いや日本のためには諸藩との人脈を築いておくべきで、時間も足らない。
しかし、たまには町人の世間話に耳を傾ける、穏やかな時間も良いものだ。
――その時、にわかに出入り口が騒がしくなった。
その場に居合わせた町人たちが、さざめく。
「お役人だ…。」
「何の騒ぎでぃ…。」
物々しい幕府の捕り方が数人。ずかずかと銭湯に乗り込んできた。そして、あっという間に中野の周囲を取り巻いた。
「佐賀の中野方蔵だな。おぬし…、大橋訥庵の塾に出入りしたであろう!」
人が集まり、狭い銭湯に逃げ場は無い。腰の刀も、先だって預けてしまった。
中野はスッと前を向いて、居並ぶ捕り方たちと目を合わせた。
(続く)
年が明けてからしばらく後、江戸から佐賀に届いた一通の手紙。大都会から届く中野方蔵の便りは、佐賀の同志たちの希望となっていたのですが…
少しばかり時間を遡って、舞台は文久二年(1862年)の年明け直後の江戸。現代では東京にあたる大都会。各地の出身者に“物語”があったことでしょう。
志士への追跡が強まる江戸で不急の外出を避けている中野方蔵。明治初期に東京への首都移転に活躍した大木喬任・江藤新平の親友の“物語”です。

――澄み切った正月の空気が漂う、江戸の街。
歳末を乗り切った長屋の町人たちの声が響く。
「おぅ、今年もよろしくな。」
「元気そうじゃねぇか、おっかねえ“掛取り”から逃げ切ったようだな。」
「おうよ、この通り清々しい新年だ。」
江戸期の商慣習で、歳末には売掛金の回収が集中する傾向があったようだ。いわば、年越しまで借金取りから逃げ切った男の武勇伝である。
「でもな、一時は逃げ切っても、後が怖えぞ…。」
「めでてぇ、正月から野暮(やぼ)な話は言いっこなしでぃ!」
――町人地に近い通りを行く、佐賀藩士・中野方蔵。
「年始まで、“掛取り”から逃げ切ったか…。」
少し風もある日だ。流れてくる、江戸の日常に耳を傾けながら小路を行く。
当時、勤王を唱える、諸藩の志士たちへの取り締まりは厳しくなる一方だ。
とくに皇女・和宮の降嫁に際して、挙兵のうえで“奪還”を図ったという儒学者・大橋訥庵の一派への追及は厳しい。
その大橋の私塾に出入りした中野も、幕府の捕り方に気をつけねばならない。
「無用な動きは、避けるに越した事はなかね…」
――『君子、危うきに近寄らず』と行きたい状況である。
佐賀の先輩・副島種臣とも相談し、しばらく中野は幕府の昌平坂学問所への出席を見送っていた。もちろん、市中の私塾にも出入りはしない。
〔参照(終盤):
日用品の確保など所用を済ませ、急ぎ足で江戸での居宅に戻る。佐賀での住まいに比べれば、相当に狭いが単身で暮らすには問題はない。
郷里に置いてきた家族、離れている仲間たち。このように籠もった暮らし振りならば、もはや江戸に居続ける値打ちは無いのかもしれない。
中野は居宅に落ち着くと、佐賀から届いていた手紙に目を通した。
――「中野へ。この度“代品方”に転じることとなった。」
「へぇ、江藤くんは、いよいよ交易に関わるか。これは幸いだ。」
情報収集に熱心で“早耳”の中野。佐賀藩の貿易部門は、上方(京・大坂)への拠点強化に乗り出している。
「中野とともに“国事”に奔走するには、まだ時がかかりそうだ。」
「…承知。佐賀に戻るまでに、こちらもひと踏ん張りせんばね。」
これが都市生活の孤独か。江藤からの手紙に、中野は言葉を返してしまう。
――「近々、大木さんからも文(ふみ)を書き送る。」
江藤からの手紙は、大木からの通信の予告で結んでいた。この三人の関わり方は親友というより、もはや兄弟のようですらあった。
「…楽しみにしていますね。」
手紙を読み終えた、中野は軽く笑みを見せた。
一人の時間が戻る。学問所や私塾で志士たちと交流してきたが、取り締まりを警戒して、今は自粛をしている。
江戸での充実した日々を送ってきた中野にとっては、珍しく暇がある。
「そういえば、初風呂ぐらいは行っておくか。」
――江戸市中の湯屋(銭湯)に、出向いた中野。
そんな銭湯の脱衣所だ。また、活気のある江戸庶民の声が響いている。
「おう、今年は初顔合わせか。」
「あ~あ、新年もお前さんの、しけた面(つら)見ながら暮らすのかぁ…」
中野は都会にも馴染み、活きの良い江戸っ子の会話はむしろ耳に優しい。
「…もはや、こういった喧噪(けんそう)も落ち着くな。」
一言、つぶやいた中野。これからの佐賀のため、いや日本のためには諸藩との人脈を築いておくべきで、時間も足らない。
しかし、たまには町人の世間話に耳を傾ける、穏やかな時間も良いものだ。
――その時、にわかに出入り口が騒がしくなった。
その場に居合わせた町人たちが、さざめく。
「お役人だ…。」
「何の騒ぎでぃ…。」
物々しい幕府の捕り方が数人。ずかずかと銭湯に乗り込んできた。そして、あっという間に中野の周囲を取り巻いた。
「佐賀の中野方蔵だな。おぬし…、大橋訥庵の塾に出入りしたであろう!」
人が集まり、狭い銭湯に逃げ場は無い。腰の刀も、先だって預けてしまった。
中野はスッと前を向いて、居並ぶ捕り方たちと目を合わせた。
(続く)