2021年09月21日
第16話「攘夷沸騰」⑰(積出港の昼下がり)
こんばんは。
“本編”の第16話は、佐賀県各地の視点でお送りする“特別編”が含まれます。
もし映像化すれば、一瞬の登場になる場面かもしれません。そこを深掘りして、セリフを付けている感じです。
直前の2回は、対馬藩士を描いた佐賀県東部の話。今度は県西部でカメラを回すイメージ。こうして長くなった第16話も、あと4回ほどで完了の予定です。
〔参照:第16話「攘夷沸騰」⑮(“薬の街”に吹く風)〕
1861年(文久元年)春。舞台は伊万里周辺を軸として展開します。

――ある暖かい日。そろそろ陽が西に傾き始める。
川沿いに広がる荷下ろし場。この日も多数の陶磁器が肥前国(佐賀・長崎)の各地から集められていた。
地元・伊万里のみではなく、有田・波佐見・吉田…まるで毎日が陶磁器見本市の様相となっている。
「ようやっと、伊万里に着いたばい。」
街道を進んできた運び手が、肩から背負子(しょいこ)を外して慎重に荷を置く。高価な陶磁器の様子。荷車での運搬を避けて、人が背負って運んだようだ。
賑わう街中。ある伊万里商人が、立派な身なりの商家の若旦那に声をかける。
「壱州屋さん、えすか(怖い)事ば起きましたなぁ。」
「ええ、少し港の騒がしかですね。」
――話題は、対馬に停泊しているロシア船のことだ。
海運で成り立つ商家にとって、航行の安全は一大事。とくに外国への出荷を成り立たせるために、長崎周辺の“海の道”はとても重要だ。
「今のところ、海路に影響は出ていませんよ。」
若旦那は落ち着いている。“壱州屋”は先代・森永太兵衛の才覚もあり、陶磁器と漁業で大きな財を成している。
いまや大商家となった、この家にはあと4年ほどで、のちに凄まじい苦労のすえ、日本の“西洋菓子”の先駆者になる人物が誕生するが、それはまた別の話だ。
〔参照(後半):「あゝ西洋菓子(西)」〕
――同日の晩。春霞のかかる、夜の長崎港にて。
佐賀藩の蒸気軍艦が停泊する。すっかり日は暮れ、“電流丸”の黒い船体も宵闇に溶け込む。大きい船影に向けて、乗船命令を受けた3人が乗り込んでいく。
〔参照(後半):第16話「攘夷沸騰」⑭(多良海道の往還)〕
「石丸、それに中牟田も!懐かしかなぁ。」
長崎で海軍伝習を受けた仲間たちの集結。軍艦を動かす訓練を受けたものだから、やはり再会も船上になってくる。

「秀島さん!アメリカの話ば聞かせてください。」
佐賀藩の電流丸は、幕府の咸臨丸と同型艦だから、それで太平洋を往復した秀島藤之助の体験談は皆が聞きたいところだ。
〔参照:第14話「遣米使節」⑭(太平洋の嵐)〕
「…今は忙しいから、また機を見て語る。」
秀島は淡々と返事をした。やはり新式大砲の設計が頭から離れない様子だ。
仲間との再会で盛り上がる石丸虎五郎(安世)・中牟田倉之助の両名とは違い、いまの秀島には何やら近寄りがたい雰囲気もあった。
――ここで、艦長の声が響く。
「よし、総員揃ったな。これより我々は伊万里に向けて出航する。」
船出の目的は対馬での非常事態が他に飛び火しないよう警戒にあたること。
佐賀藩としては、経済の動線である“海路”を守る必要がある。事と次第によっては、“応戦”する…そのような巡視でもあった。
バシッ!とオランダ仕込みに敬礼する、佐賀藩士たち。武力行使を目的とする出航ではないが、海路を守る中での衝突は想定せねばならない。
「出航用意!総員、配置に付け!」
…ダンダンダッと響く足音。
指揮官の号令のもと、小走りに甲板を行き交う藩士たち。
この頃には、有明海側で三重津海軍所の整備も進み、佐賀藩の近代海軍は本格始動していたのである。
(続く)
“本編”の第16話は、佐賀県各地の視点でお送りする“特別編”が含まれます。
もし映像化すれば、一瞬の登場になる場面かもしれません。そこを深掘りして、セリフを付けている感じです。
直前の2回は、対馬藩士を描いた佐賀県東部の話。今度は県西部でカメラを回すイメージ。こうして長くなった第16話も、あと4回ほどで完了の予定です。
〔参照:
1861年(文久元年)春。舞台は伊万里周辺を軸として展開します。
――ある暖かい日。そろそろ陽が西に傾き始める。
川沿いに広がる荷下ろし場。この日も多数の陶磁器が肥前国(佐賀・長崎)の各地から集められていた。
地元・伊万里のみではなく、有田・波佐見・吉田…まるで毎日が陶磁器見本市の様相となっている。
「ようやっと、伊万里に着いたばい。」
街道を進んできた運び手が、肩から背負子(しょいこ)を外して慎重に荷を置く。高価な陶磁器の様子。荷車での運搬を避けて、人が背負って運んだようだ。
賑わう街中。ある伊万里商人が、立派な身なりの商家の若旦那に声をかける。
「壱州屋さん、えすか(怖い)事ば起きましたなぁ。」
「ええ、少し港の騒がしかですね。」
――話題は、対馬に停泊しているロシア船のことだ。
海運で成り立つ商家にとって、航行の安全は一大事。とくに外国への出荷を成り立たせるために、長崎周辺の“海の道”はとても重要だ。
「今のところ、海路に影響は出ていませんよ。」
若旦那は落ち着いている。“壱州屋”は先代・森永太兵衛の才覚もあり、陶磁器と漁業で大きな財を成している。
いまや大商家となった、この家にはあと4年ほどで、のちに凄まじい苦労のすえ、日本の“西洋菓子”の先駆者になる人物が誕生するが、それはまた別の話だ。
〔参照(後半):
――同日の晩。春霞のかかる、夜の長崎港にて。
佐賀藩の蒸気軍艦が停泊する。すっかり日は暮れ、“電流丸”の黒い船体も宵闇に溶け込む。大きい船影に向けて、乗船命令を受けた3人が乗り込んでいく。
〔参照(後半):
「石丸、それに中牟田も!懐かしかなぁ。」
長崎で海軍伝習を受けた仲間たちの集結。軍艦を動かす訓練を受けたものだから、やはり再会も船上になってくる。
「秀島さん!アメリカの話ば聞かせてください。」
佐賀藩の電流丸は、幕府の咸臨丸と同型艦だから、それで太平洋を往復した秀島藤之助の体験談は皆が聞きたいところだ。
〔参照:
「…今は忙しいから、また機を見て語る。」
秀島は淡々と返事をした。やはり新式大砲の設計が頭から離れない様子だ。
仲間との再会で盛り上がる石丸虎五郎(安世)・中牟田倉之助の両名とは違い、いまの秀島には何やら近寄りがたい雰囲気もあった。
――ここで、艦長の声が響く。
「よし、総員揃ったな。これより我々は伊万里に向けて出航する。」
船出の目的は対馬での非常事態が他に飛び火しないよう警戒にあたること。
佐賀藩としては、経済の動線である“海路”を守る必要がある。事と次第によっては、“応戦”する…そのような巡視でもあった。
バシッ!とオランダ仕込みに敬礼する、佐賀藩士たち。武力行使を目的とする出航ではないが、海路を守る中での衝突は想定せねばならない。
「出航用意!総員、配置に付け!」
…ダンダンダッと響く足音。
指揮官の号令のもと、小走りに甲板を行き交う藩士たち。
この頃には、有明海側で三重津海軍所の整備も進み、佐賀藩の近代海軍は本格始動していたのである。
(続く)