2024年03月17日
第20話「長崎方控」③(西洋風の“紳士”)
こんばんは。
2026年大河ドラマが『豊臣兄弟!』に決定…とか、『光る君へ』の感想とか…先週の『歴史探偵』とか…いろいろと語りたくはありますが、“本編”を続けます。
さて、ここ数話で登場している山口範蔵(尚芳)は、佐賀藩の武雄領出身。
のち明治期には、岩倉使節団の副使・山口尚芳(ますか)として、歴史番組にも、時々出てくる集合写真で、その姿を見かけます。
〔参考(終盤):「武雄よ、共〔とも〕に…」〕※集合写真が一部映り込んでいます。

山口尚芳は、少年期より当地・武雄の自治領主で、極端な“西洋かぶれ”だった、鍋島茂義にその才覚を見いだされたそうです。
15歳頃から蘭学の修業のため、長崎に派遣され、まずオランダ語を身につけ、次に英語の習得にもあたりました。では、ここから本編に戻ります。
――気取った“西洋かぶれ”と見えていた、山口範蔵(尚芳)だったが…
この多良海道を並んで歩くうち、だんだんと山口は、“勤王の志士”としての顔を見せ始めた。
「そがんですね…、事が動くまでは、語らん方がよか事もありますけん。」
「おお、そうたい。賢くやらんば。」
わりと無鉄砲な大隈八太郎(重信)だが、今回は、山口が「もはや、幕府(徳川政権)は長続きしない」と発言したのを、諭(さと)す感じになっている。

――大隈も、藩の上層部に“儲け話”の提案をはじめてから、
知らず“空気を読む”ことを覚えたか、“実利を取る”考え方になってしまったのかもしれない。
「…ばってん、山口さんの言いたかことは良くわかるとよ。」
大隈は、うんうんと大きくうなずきながら、こう続けた。
当時の佐賀藩は、幕府の海外使節団に藩士たちを同行させ、イギリスやアメリカで通用する、英語の重要性を意識した時期だ。
大隈もアメリカへの派遣から帰った、小出千之助から体験談を聞いて、今までのオランダ語にこだわるよりも、英語の習得が必要だと思うようになった。

ところが、一緒に勉強するはずの面々に蒸気船での出動命令が出たり、他にも貿易調査の任務が入ったり…と集中して、学習する機会を逃している。
この山口範蔵(尚芳)なら、開国により新たな貿易相手も増えた長崎にいて、西洋に詳しく、幕府の通訳たちに混ざって英語も学んでいる。
その経歴で“勤王の志”もあるという、すごく珍しくて値打ちのある存在だ。
――ここで、友達になっておけば、極めて“お得”である。
そして、大隈が学生の時からよく取る手段は、「賢い奴に勉強させれば、大体のことは聞けばわかる」だ。ぜひとも山口とは、ここで仲良くなっておこう。
とりあえず、高い志への感銘を伝えて、親しくなるのが良さそうだ。
「山口さんね、」と、大隈が話を切り出した。
「大隈さん!“勤王の同志”に、ここで出会うとは嬉しかことです。」
意外や今度も、山口の方が前のめりだ。右手を差し伸べて、こう続けた。
「もう、我らは同志ですけん。“シェイクハンド”を願うても、よかですか。」

山口が提案をする。この儀礼は大隈も知っていた。西洋人は両者が手を握ることで、敵意の無いことを示すのだと。
「よかごた!」
大隈が応じ、山口とグッと手を握り合う。秋の陽が2人の長い影を作りだした。
「なんね…??」
さっきまで川向かいで歌っていた村娘の1人が不思議そうに、その一部始終を見つめていた。がっちり手を握り合う、若い男2人の様子が気になるようだ。
――山口は、その村娘の方を向いて「バァイ!」と、掌を挙げた。
軽く微笑む山口、これも英米での別れの表現か。視線が合った娘は、何だか照れているが、つられて掌を挙げて返した。気が合うのかもしれない。
「…よく、女子に色目を使う奴ばい。」
大隈八太郎、この日はなんとなく、山口範蔵に振り回されっぱなしである。

「西洋では品格があり、女性にも優しか男をジェントルマンと呼びよるです。」
「“全取る”(ぜんとる)とは…、強欲のごた響きたい。」
大隈が、ちょっと投げやりな感じで言い放った。
「いえ、ジェントルマンです。“紳士”とでも言ったらよかですかね。」
山口が、真面目な顔で言い返した。
「よか。わかったばい。」
大隈は、山口の振る舞いを見て思い立った。何だか、西洋を知るふうで格好良いではないか。今度、長崎に行ったときに、ぜんぶ真似してみようかと。

わからなかったところは、藩校に戻った時に、アメリカから帰った小出千之助に聞いておけば、抜かりは無いだろう。
――そして、山口は、武雄に帰っている目的を語り始めた。
「武雄のご隠居さまに、ご機嫌うかがいに。」
「そがん、親しか間柄になるとね。」
武雄の前領主・鍋島茂義は、佐賀藩の大殿・鍋島直正の義兄にあたり“兄貴分”と言ってよい存在。藩の上層部の中でも、特に重要な人物だ。
「ご隠居さまのおかげで、今があるとです。」
山口は語学をはじめ、西洋を学ぶことができるのは、当時の領主・鍋島茂義の恩恵だと力説する。
こうして山口は、茂義公の期待どおり、立派な“西洋かぶれ”に育ったようだ。
「このところ、武雄からの“ご注文”が滞りおるので、気になりまして。」

――大隈は最近、長崎で商人とも関わり始めている。
たしかに以前より武雄からは、西洋の品物の注文が多くあったと聞く。長崎で取り寄せる舶来の品には、高く売れる物も多い。
武雄の鍋島茂義も、齢(よわい)六十を越えるが、老いたからといって海外への興味を無くす気性でもない。
こうして、山口範蔵(尚芳)は、自分の大切な“恩人”が心配になり、一時、武雄へと様子を見に戻ることにしたようだった。
(続く)
◎参考記事(文中記載の人物名について補足)
○小出千之助
幕府の遣米使節に随行して、アメリカを見聞し、佐賀藩の「英学の祖」とも呼ばれるそうです。
本編での関連記事
・第16話「攘夷沸騰」⑪(“英学”の風が吹く)
・第16話「攘夷沸騰」⑫(“錬金術”と闘う男)
・第16話「攘夷沸騰」⑬(あの者にも英学を)
・第16話「攘夷沸騰」⑭(多良海道の往還)
その他の関連記事
・「夜明けを目指して」
2026年大河ドラマが『豊臣兄弟!』に決定…とか、『光る君へ』の感想とか…先週の『歴史探偵』とか…いろいろと語りたくはありますが、“本編”を続けます。
さて、ここ数話で登場している山口範蔵(尚芳)は、佐賀藩の武雄領出身。
のち明治期には、岩倉使節団の副使・山口尚芳(ますか)として、歴史番組にも、時々出てくる集合写真で、その姿を見かけます。
〔参考(終盤):
山口尚芳は、少年期より当地・武雄の自治領主で、極端な“西洋かぶれ”だった、鍋島茂義にその才覚を見いだされたそうです。
15歳頃から蘭学の修業のため、長崎に派遣され、まずオランダ語を身につけ、次に英語の習得にもあたりました。では、ここから本編に戻ります。
――気取った“西洋かぶれ”と見えていた、山口範蔵(尚芳)だったが…
この多良海道を並んで歩くうち、だんだんと山口は、“勤王の志士”としての顔を見せ始めた。
「そがんですね…、事が動くまでは、語らん方がよか事もありますけん。」
「おお、そうたい。賢くやらんば。」
わりと無鉄砲な大隈八太郎(重信)だが、今回は、山口が「もはや、幕府(徳川政権)は長続きしない」と発言したのを、諭(さと)す感じになっている。
――大隈も、藩の上層部に“儲け話”の提案をはじめてから、
知らず“空気を読む”ことを覚えたか、“実利を取る”考え方になってしまったのかもしれない。
「…ばってん、山口さんの言いたかことは良くわかるとよ。」
大隈は、うんうんと大きくうなずきながら、こう続けた。
当時の佐賀藩は、幕府の海外使節団に藩士たちを同行させ、イギリスやアメリカで通用する、英語の重要性を意識した時期だ。
大隈もアメリカへの派遣から帰った、小出千之助から体験談を聞いて、今までのオランダ語にこだわるよりも、英語の習得が必要だと思うようになった。
ところが、一緒に勉強するはずの面々に蒸気船での出動命令が出たり、他にも貿易調査の任務が入ったり…と集中して、学習する機会を逃している。
この山口範蔵(尚芳)なら、開国により新たな貿易相手も増えた長崎にいて、西洋に詳しく、幕府の通訳たちに混ざって英語も学んでいる。
その経歴で“勤王の志”もあるという、すごく珍しくて値打ちのある存在だ。
――ここで、友達になっておけば、極めて“お得”である。
そして、大隈が学生の時からよく取る手段は、「賢い奴に勉強させれば、大体のことは聞けばわかる」だ。ぜひとも山口とは、ここで仲良くなっておこう。
とりあえず、高い志への感銘を伝えて、親しくなるのが良さそうだ。
「山口さんね、」と、大隈が話を切り出した。
「大隈さん!“勤王の同志”に、ここで出会うとは嬉しかことです。」
意外や今度も、山口の方が前のめりだ。右手を差し伸べて、こう続けた。
「もう、我らは同志ですけん。“シェイクハンド”を願うても、よかですか。」
山口が提案をする。この儀礼は大隈も知っていた。西洋人は両者が手を握ることで、敵意の無いことを示すのだと。
「よかごた!」
大隈が応じ、山口とグッと手を握り合う。秋の陽が2人の長い影を作りだした。
「なんね…??」
さっきまで川向かいで歌っていた村娘の1人が不思議そうに、その一部始終を見つめていた。がっちり手を握り合う、若い男2人の様子が気になるようだ。
――山口は、その村娘の方を向いて「バァイ!」と、掌を挙げた。
軽く微笑む山口、これも英米での別れの表現か。視線が合った娘は、何だか照れているが、つられて掌を挙げて返した。気が合うのかもしれない。
「…よく、女子に色目を使う奴ばい。」
大隈八太郎、この日はなんとなく、山口範蔵に振り回されっぱなしである。
「西洋では品格があり、女性にも優しか男をジェントルマンと呼びよるです。」
「“全取る”(ぜんとる)とは…、強欲のごた響きたい。」
大隈が、ちょっと投げやりな感じで言い放った。
「いえ、ジェントルマンです。“紳士”とでも言ったらよかですかね。」
山口が、真面目な顔で言い返した。
「よか。わかったばい。」
大隈は、山口の振る舞いを見て思い立った。何だか、西洋を知るふうで格好良いではないか。今度、長崎に行ったときに、ぜんぶ真似してみようかと。
わからなかったところは、藩校に戻った時に、アメリカから帰った小出千之助に聞いておけば、抜かりは無いだろう。
――そして、山口は、武雄に帰っている目的を語り始めた。
「武雄のご隠居さまに、ご機嫌うかがいに。」
「そがん、親しか間柄になるとね。」
武雄の前領主・鍋島茂義は、佐賀藩の大殿・鍋島直正の義兄にあたり“兄貴分”と言ってよい存在。藩の上層部の中でも、特に重要な人物だ。
「ご隠居さまのおかげで、今があるとです。」
山口は語学をはじめ、西洋を学ぶことができるのは、当時の領主・鍋島茂義の恩恵だと力説する。
こうして山口は、茂義公の期待どおり、立派な“西洋かぶれ”に育ったようだ。
「このところ、武雄からの“ご注文”が滞りおるので、気になりまして。」

――大隈は最近、長崎で商人とも関わり始めている。
たしかに以前より武雄からは、西洋の品物の注文が多くあったと聞く。長崎で取り寄せる舶来の品には、高く売れる物も多い。
武雄の鍋島茂義も、齢(よわい)六十を越えるが、老いたからといって海外への興味を無くす気性でもない。
こうして、山口範蔵(尚芳)は、自分の大切な“恩人”が心配になり、一時、武雄へと様子を見に戻ることにしたようだった。
(続く)
◎参考記事(文中記載の人物名について補足)
○小出千之助
幕府の遣米使節に随行して、アメリカを見聞し、佐賀藩の「英学の祖」とも呼ばれるそうです。
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Posted by SR at 22:10 | Comments(0) | 第20話「長崎方控」
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