2021年10月05日

「夜明けを目指して」

こんばんは。
先週に続き『青天を衝け』の大隈重信〔演:大倉孝二〕が話題になったようです。ネット上では、この大隈重信は「理想の上司だ!」なんて声も見かけるところ。

部下の適性を見極め、仕事は任せるが、上役からの矢面に立ち責任は取る。プロジェクトはまとめるが、各々が“”を果たせるよう自由な空気を保つ。


――たしかに…まさか“理想の上司”として描くとは。

脚本の大森美香さんの力量に驚愕すら感じますが、この頃の大隈重信30歳ちょっと。もう少し“やんちゃ”な描き方でも…と贅沢なことも考えます。

ただ、渋沢栄一〔演:吉沢亮〕の“暴走っぷり”を考えると、大隈さんは、少し落ち着いていないと収拾がつかなくなりそうです。


――さて、これ以上、何を望むのか。

今回は山崎育三郎版・伊藤博文による「“佐賀の功績”紹介コーナー」は無し。私が勝手に名付けた“コーナー名”ですが、もう見られないのでしょうか。
〔参照(後半):「【速報】『青天を衝け』が、大隈祭(?)に…」

その代わりか、大隈重信が「なんば言いよっと!佐賀は日本一、洋学通ぞ!」と、ご自分アピール

すぐに渋沢栄一が「異国帰りの旧・幕臣をくだりません!」と言い返していました、この“減らず口”対決、もっと見たいです。


――でも、私が想う“佐賀の洋学”のすごい所は…

海外への派遣人数以上に、西洋の知識を活用する姿勢です。

前回の放送で、大倉孝二版・大隈重信演説の中でも出てきましたが、薩長幕府といきなり戦争を始めた時、大隈は何をしていたか。

「夜明けを目指して」

長崎で、異人と一緒にビックリしていた…」とか語っています。国内で“西洋”を学べる環境を作っていたこと。これが“佐賀の洋学”の価値だと思っています。

当時、幕府奉行も退去してしまった、長崎大隈先輩副島種臣とともに、諸外国との調整に奮闘したはず。
〔参照(その時期をイメージした初期の企画)「副島種臣」(賢人その4)<前編>


――長崎でオランダと関わり、“蘭学”に強かった佐賀。

1860年代は、“英学夜明け”と言うべき時期かもしれません。西洋通である佐賀藩の姿は、やはり国際都市・長崎で完成していきます。

明治新政府大隈が活躍する契機になった英語。ここには先輩小出千之助の影響が見えます。アメリカを経て世界を一周。のちパリ万博に参加した人物。
〔参照(前半):第16話「攘夷沸騰」⑭(多良海道の往還)


――長崎で躍動する、佐賀藩士たちの姿も「大河ドラマ」で見てみたい。

そして、オランダ生まれでアメリカから来た宣教師・フルベッキが、佐賀藩士たちに教えたのは英語のみならず、“西洋”における国家仕組みまで。

大隈八太郎少年が、あの大隈重信になるまでの物語…いま全国的見たい人が増えてきていると感じます。

大倉孝二さんの熱演で広がった、佐賀の好機。実は、国際都市・長崎の価値を深く語るチャンスでもあるように思います。







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Posted by SR at 22:16 | Comments(0) | 佐賀への道
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