2024年03月11日
第20話「長崎方控」②(聞きまちがいから出た本音)
こんばんは。
場面設定は、文久二年(1862年)秋。長崎から佐賀を通って、小倉へと続く、長崎街道の中で“多良海道”とも呼ばれた、現在では佐賀県南西部の区間。
この頃から、藩校の蘭学教師としてだけでなく、“秘密の仕事”を始めており、長崎出張から帰る大隈八太郎(重信)。

所用があって出身の武雄領に戻る、山口範蔵(尚芳)と連れだって歩く、水車の回る小径で、村娘たちの歌声が気になる様子です。
――山口の“西洋風”の会釈(えしゃく)が、女子に受けている。
村娘たちは「エレガント」という言葉を知りようもないが、長崎仕込みの、山口の立ち振る舞いに“優雅さ”が見えたのか。
そして、女子のおしゃべりは労働の日々の潤いでもあるようで、川向かいから「え~、なんね―」「よかじゃない?」と盛り上がる様子だ。
その山口の傍で、負けず嫌いの大隈から、ちょっとした“嫉妬の炎”がプスプスとくすぶる。

――大隈八太郎は、幼少期こそ甘えん坊だったが、
少年期には性格も変わり、よく喧嘩もした。青年の今も負けん気は強い。
「山口範蔵…何ね。気取った男ばい…」と、少し苛(いら)立っている。
「あぁ、大隈さん。そろそろ先に進まんば、陽も傾くですよ。」
一方で何だか、余裕を感じる山口である。長崎奉行所が仕切る英語の伝習を受けるとは、最先端の「選ばれた人材」と言ってもよい。
――今回は大隈も、「この武雄の“西洋かぶれ”…手強い」と見たか。
ここでは、山口に対抗するのを断念したようで、こう、つぶやいた。
「ふん。おいには、美登(みと)さんの居(お)っけん。良かもんね。」
大隈は柄にもなく「その他大勢の“女子ウケ”が良くなくても構わないのだ…」とばかり、ぶつぶつと言っている。
その大隈の言葉が耳に入ったか。今度は、山口が気にするふうを見せる。
「いま…水戸(みと)さんと、言いよったですか?」
――なお、大隈が口にした“美登(みと)さん”という名は、
江副美登という女性で、佐賀藩士の娘。大隈八太郎の婚約者ということだ。

「…あぁ、良かごた。何でもなかばい。」
大隈は、急に身を乗り出してきた、山口の質問を受け流そうとした。
「水戸(みと)…、“水戸”の気になるごたです。」
しかし、山口はしつこく尋ねてくる。その思考の中では、水戸藩(茨城)の話になっている。
「そがん、美登(みと)の気になるとね?たしかに、器量の良か女子とよ。」
「おなご…?何の話でしょうか。」
――この山口。気取って見えたが、根は真面目な男らしい。
「“水戸烈公”の亡きいま、水戸はどう動くか、気になっとです。」
1858年頃だから、当時から4年ばかり前。井伊直弼が大老の時期の“安政の大獄”で、水戸の徳川斉昭は政治の表舞台から退いた。
そのまま失意のもと、2年後に世を去った。
「尊王攘夷」という言葉は水戸から全国に伝わったから、“烈公”こと徳川斉昭の存在感は、かなり大きいものだったのだ。

「山口範蔵…そがん、水戸が気になるとね?」
「水戸には、勤王の志ばあると思いますけん。」
大隈にとっては、意外だった。英語の伝習とはいえ、幕府の長崎奉行所に関わる、山口から朝廷を意識した“勤王”という言葉が出るとは。
蘭学・英学など西洋の学問を知る2人なので、“攘夷”については異国の排斥を行いたいなら、まず列強に実力で追いつかねば…と冷めて見ている。
しかし“勤王(尊王)”の方は本来、日本を率いるのは幕府ではなく朝廷であるべきで、佐賀藩こそが先導を務めねばならぬ…という熱い気持ちがある。

――大隈八太郎は、急に、山口に親しみを覚えた。
「そうたい。佐賀は、もっと“勤王の志”を持たんばならん。」
最近では、大隈が藩内で胸を張って、こう語れる機会は少なくなっていた。
かつては、佐賀城下では“義祭同盟”がその場所だったが、主宰の枝吉神陽が数か月前に流行病で世を去ったので、今後どうなるかはわからない。
――それに肩書は、藩校の蘭学教師となっている大隈。
最近では、大隈が貿易や利殖で、“佐賀藩が儲ける話”を提案した場合は、案外と重役たちも、興味を持って聞いてくれる。
ところが、「藩を挙げて、勤王のはたらきを為すべし」とか言うと、幕府を重視する佐賀藩では、ほぼ無視されるか、露骨に止められるかだとわかってきた。
「ばってん、“徳川の世”も、そう長くは続くまいと思うております。」
山口は涼しい顔で語り出す。幕府の奉行所に出入りするはずなのだが…

「そいは、言わん方がよかじゃなかとね!?」
大隈が驚くほど過激な発言をした、武雄領の山口。
その言葉には、佐賀本藩で賢く立ち回ろうと考え、まずは財力を確保する作戦に出た、大隈が語らなくなった“本音”があった。
(続く)
◎参考記事
○水戸藩(茨城県)関連
・(冒頭部分)「魅力度と“第三の男”(前編)」
・(本編)第11話「蝦夷探検」③(“懐刀”の想い)
○安政の大獄
・「“安政の大獄”をどう描くか?」
・(本編)第15話「江戸動乱」⑭(“赤鬼”が背負うもの)
○枝吉神陽
・(本編)第19話「閑叟上洛」⑦(愛する者へ、最後の講義)
場面設定は、文久二年(1862年)秋。長崎から佐賀を通って、小倉へと続く、長崎街道の中で“多良海道”とも呼ばれた、現在では佐賀県南西部の区間。
この頃から、藩校の蘭学教師としてだけでなく、“秘密の仕事”を始めており、長崎出張から帰る大隈八太郎(重信)。
所用があって出身の武雄領に戻る、山口範蔵(尚芳)と連れだって歩く、水車の回る小径で、村娘たちの歌声が気になる様子です。
――山口の“西洋風”の会釈(えしゃく)が、女子に受けている。
村娘たちは「エレガント」という言葉を知りようもないが、長崎仕込みの、山口の立ち振る舞いに“優雅さ”が見えたのか。
そして、女子のおしゃべりは労働の日々の潤いでもあるようで、川向かいから「え~、なんね―」「よかじゃない?」と盛り上がる様子だ。
その山口の傍で、負けず嫌いの大隈から、ちょっとした“嫉妬の炎”がプスプスとくすぶる。
――大隈八太郎は、幼少期こそ甘えん坊だったが、
少年期には性格も変わり、よく喧嘩もした。青年の今も負けん気は強い。
「山口範蔵…何ね。気取った男ばい…」と、少し苛(いら)立っている。
「あぁ、大隈さん。そろそろ先に進まんば、陽も傾くですよ。」
一方で何だか、余裕を感じる山口である。長崎奉行所が仕切る英語の伝習を受けるとは、最先端の「選ばれた人材」と言ってもよい。
――今回は大隈も、「この武雄の“西洋かぶれ”…手強い」と見たか。
ここでは、山口に対抗するのを断念したようで、こう、つぶやいた。
「ふん。おいには、美登(みと)さんの居(お)っけん。良かもんね。」
大隈は柄にもなく「その他大勢の“女子ウケ”が良くなくても構わないのだ…」とばかり、ぶつぶつと言っている。
その大隈の言葉が耳に入ったか。今度は、山口が気にするふうを見せる。
「いま…水戸(みと)さんと、言いよったですか?」
――なお、大隈が口にした“美登(みと)さん”という名は、
江副美登という女性で、佐賀藩士の娘。大隈八太郎の婚約者ということだ。

「…あぁ、良かごた。何でもなかばい。」
大隈は、急に身を乗り出してきた、山口の質問を受け流そうとした。
「水戸(みと)…、“水戸”の気になるごたです。」
しかし、山口はしつこく尋ねてくる。その思考の中では、水戸藩(茨城)の話になっている。
「そがん、美登(みと)の気になるとね?たしかに、器量の良か女子とよ。」
「おなご…?何の話でしょうか。」
――この山口。気取って見えたが、根は真面目な男らしい。
「“水戸烈公”の亡きいま、水戸はどう動くか、気になっとです。」
1858年頃だから、当時から4年ばかり前。井伊直弼が大老の時期の“安政の大獄”で、水戸の徳川斉昭は政治の表舞台から退いた。
そのまま失意のもと、2年後に世を去った。
「尊王攘夷」という言葉は水戸から全国に伝わったから、“烈公”こと徳川斉昭の存在感は、かなり大きいものだったのだ。

「山口範蔵…そがん、水戸が気になるとね?」
「水戸には、勤王の志ばあると思いますけん。」
大隈にとっては、意外だった。英語の伝習とはいえ、幕府の長崎奉行所に関わる、山口から朝廷を意識した“勤王”という言葉が出るとは。
蘭学・英学など西洋の学問を知る2人なので、“攘夷”については異国の排斥を行いたいなら、まず列強に実力で追いつかねば…と冷めて見ている。
しかし“勤王(尊王)”の方は本来、日本を率いるのは幕府ではなく朝廷であるべきで、佐賀藩こそが先導を務めねばならぬ…という熱い気持ちがある。
――大隈八太郎は、急に、山口に親しみを覚えた。
「そうたい。佐賀は、もっと“勤王の志”を持たんばならん。」
最近では、大隈が藩内で胸を張って、こう語れる機会は少なくなっていた。
かつては、佐賀城下では“義祭同盟”がその場所だったが、主宰の枝吉神陽が数か月前に流行病で世を去ったので、今後どうなるかはわからない。
――それに肩書は、藩校の蘭学教師となっている大隈。
最近では、大隈が貿易や利殖で、“佐賀藩が儲ける話”を提案した場合は、案外と重役たちも、興味を持って聞いてくれる。
ところが、「藩を挙げて、勤王のはたらきを為すべし」とか言うと、幕府を重視する佐賀藩では、ほぼ無視されるか、露骨に止められるかだとわかってきた。
「ばってん、“徳川の世”も、そう長くは続くまいと思うております。」
山口は涼しい顔で語り出す。幕府の奉行所に出入りするはずなのだが…

「そいは、言わん方がよかじゃなかとね!?」
大隈が驚くほど過激な発言をした、武雄領の山口。
その言葉には、佐賀本藩で賢く立ち回ろうと考え、まずは財力を確保する作戦に出た、大隈が語らなくなった“本音”があった。
(続く)
◎参考記事
○水戸藩(茨城県)関連
・(冒頭部分)
・(本編)
○安政の大獄
・
・(本編)
○枝吉神陽
・(本編)
Posted by SR at 21:47 | Comments(0) | 第20話「長崎方控」
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