2023年04月10日
第19話「閑叟上洛」⑦(愛する者へ、最後の講義)
こんばんは。本編を続けます。文久二年(1862年)の八月。
弟子の1人・江藤新平が脱藩している最中に、佐賀の志士の師匠・枝吉神陽は世を去ったといいます。
やがて、枝吉神陽の門下生たちは、明治の新時代の礎を築き、近代国家の屋台骨を支える人材となります。
実弟の副島種臣や、京都で情勢を見聞する江藤新平、その資金を調達した大木喬任、この時期から長崎にもよく出入りし始めた大隈重信…も弟子です。

神陽先生の学問は思想を唱えるだけでなく、律令(法律)を深く学ばせたので、実務に応用が利いたようです。
また、神陽のもとには、海軍の中牟田倉之助や、電信の石丸安世など“理系人材”と言うべき、科学技術の運用などに長じた門下生も集っていました。
――文久二年の夏。
異国から来たという、疫病・”虎狼痢”(コレラ)の影響は、佐賀城下にも及ぶ。普段は若手の藩士を、学問で鍛えた枝吉神陽だが、この時は、自宅に居た。
「おしづよ、加減はいかがか。」
「旦那さま…面目ございません。」
病の床に伏せっているのは、枝吉神陽の妻・しづである。神陽が、妻の身辺の世話をしている様子だ。
――神陽は、快活に笑って見せた。
「いつもわしは、おしづに弟子どもの面倒を見てもらっているのだ。」
「それは、枝吉神陽の妻として、当然のこと。」

しづは、起き上がれはしないものの、キリッと言葉を返した。佐賀の志士たちの師匠として崇敬される、枝吉神陽である。妻にも、相応の誇りがあるようだ。
「たまには、わしの方も、そなたの世話をいたさねば罰が当たろう。」
「…では、甘えておきますね。」
神陽は献身的に看病にあたるが、それでも妻・しづの病状は悪化していた。
――もはや、病名の察しは付いている。
嘔吐と下痢が続き、体から水分が失われ衰弱する。“虎狼痢(コロリ)”と呼ばれる流行の疫病だ。
「もう、わたくしは駄目のようでございます。」
この病は伝染するらしい。手遅れかもしれないが、看病する神陽を遠ざけようとする妻・しづ。
「ほう駄目ならば、なおの事。最期まで、わしに看病をさせよ。」
「…“先生”がいなくなっては、皆が困ります。」
しづも、次第に弱っているが、はっきりと言葉を発する。
「ならば、言おう。夫にも代わりは、おらぬはずだ。」
他藩から来た者も、ひとたび会えば敬服してしまうような威厳があったという、枝吉神陽。いまは、妻のためだけに自らの意思を語る。

――神陽の言葉を、妻・しづはじっと聞いていた。
「それに“先生”なら、代わりは育っておるやもしれぬぞ。」
いつもの調子で、枝吉神陽は言葉を続けた。
「年長者なら、団右衛門(島義勇)もおる。」
弟子たちに向けるかわりに、妻に対して、最後の講義をするようでもあった。
「才がある者なら、江藤(新平)がおる。思慮深さなら大木(喬任)だろう。」
覇気に満ちあふれた弁舌。妻から見れば、いつもと変わらない夫・枝吉神陽の姿がそこにあった。
――そして神陽は「わしの志を受け継ぐに足る者は…」と付け加える。
「そうじゃな、何より我が弟・次郎(副島種臣)がおったわ。」
これでもう、大丈夫だと神陽は豪快に笑う。しづもそれに応じて微笑んだ。
やがて枝吉神陽の妻・しづは、夫に看取られて世を去った。
「やはり、おしづは良く出来た妻だ。最後までわしの面目を立てたようじゃ。」
――妻を看取ったのちに、神陽は盛大に嘔吐をする。
ひとたび事物を知れば、記憶から失うことは無いという枝吉神陽である。始めから、わかっていた。コレラは伝染病である。

その学識だけでなく、富士山を下駄で登ったなど、超人的な体力でも知られる神陽だが、どうやらこの病には勝てぬようだ。
「ふふ、あまりに早く後を追いかけると、おしづには、笑われるかのう…」
多くの佐賀の志士たちを鍛え育てた、枝吉神陽。妻を見送る手筈(てはず)も残された時間で整え、その2日後には、この世から旅立っていくこととなる。
(続く)
弟子の1人・江藤新平が脱藩している最中に、佐賀の志士の師匠・枝吉神陽は世を去ったといいます。
やがて、枝吉神陽の門下生たちは、明治の新時代の礎を築き、近代国家の屋台骨を支える人材となります。
実弟の副島種臣や、京都で情勢を見聞する江藤新平、その資金を調達した大木喬任、この時期から長崎にもよく出入りし始めた大隈重信…も弟子です。
神陽先生の学問は思想を唱えるだけでなく、律令(法律)を深く学ばせたので、実務に応用が利いたようです。
また、神陽のもとには、海軍の中牟田倉之助や、電信の石丸安世など“理系人材”と言うべき、科学技術の運用などに長じた門下生も集っていました。
――文久二年の夏。
異国から来たという、疫病・”虎狼痢”(コレラ)の影響は、佐賀城下にも及ぶ。普段は若手の藩士を、学問で鍛えた枝吉神陽だが、この時は、自宅に居た。
「おしづよ、加減はいかがか。」
「旦那さま…面目ございません。」
病の床に伏せっているのは、枝吉神陽の妻・しづである。神陽が、妻の身辺の世話をしている様子だ。
――神陽は、快活に笑って見せた。
「いつもわしは、おしづに弟子どもの面倒を見てもらっているのだ。」
「それは、枝吉神陽の妻として、当然のこと。」
しづは、起き上がれはしないものの、キリッと言葉を返した。佐賀の志士たちの師匠として崇敬される、枝吉神陽である。妻にも、相応の誇りがあるようだ。
「たまには、わしの方も、そなたの世話をいたさねば罰が当たろう。」
「…では、甘えておきますね。」
神陽は献身的に看病にあたるが、それでも妻・しづの病状は悪化していた。
――もはや、病名の察しは付いている。
嘔吐と下痢が続き、体から水分が失われ衰弱する。“虎狼痢(コロリ)”と呼ばれる流行の疫病だ。
「もう、わたくしは駄目のようでございます。」
この病は伝染するらしい。手遅れかもしれないが、看病する神陽を遠ざけようとする妻・しづ。
「ほう駄目ならば、なおの事。最期まで、わしに看病をさせよ。」
「…“先生”がいなくなっては、皆が困ります。」
しづも、次第に弱っているが、はっきりと言葉を発する。
「ならば、言おう。夫にも代わりは、おらぬはずだ。」
他藩から来た者も、ひとたび会えば敬服してしまうような威厳があったという、枝吉神陽。いまは、妻のためだけに自らの意思を語る。
――神陽の言葉を、妻・しづはじっと聞いていた。
「それに“先生”なら、代わりは育っておるやもしれぬぞ。」
いつもの調子で、枝吉神陽は言葉を続けた。
「年長者なら、団右衛門(島義勇)もおる。」
弟子たちに向けるかわりに、妻に対して、最後の講義をするようでもあった。
「才がある者なら、江藤(新平)がおる。思慮深さなら大木(喬任)だろう。」
覇気に満ちあふれた弁舌。妻から見れば、いつもと変わらない夫・枝吉神陽の姿がそこにあった。
――そして神陽は「わしの志を受け継ぐに足る者は…」と付け加える。
「そうじゃな、何より我が弟・次郎(副島種臣)がおったわ。」
これでもう、大丈夫だと神陽は豪快に笑う。しづもそれに応じて微笑んだ。
やがて枝吉神陽の妻・しづは、夫に看取られて世を去った。
「やはり、おしづは良く出来た妻だ。最後までわしの面目を立てたようじゃ。」
――妻を看取ったのちに、神陽は盛大に嘔吐をする。
ひとたび事物を知れば、記憶から失うことは無いという枝吉神陽である。始めから、わかっていた。コレラは伝染病である。
その学識だけでなく、富士山を下駄で登ったなど、超人的な体力でも知られる神陽だが、どうやらこの病には勝てぬようだ。
「ふふ、あまりに早く後を追いかけると、おしづには、笑われるかのう…」
多くの佐賀の志士たちを鍛え育てた、枝吉神陽。妻を見送る手筈(てはず)も残された時間で整え、その2日後には、この世から旅立っていくこととなる。
(続く)
Posted by SR at 22:34 | Comments(0) | 第19話「閑叟上洛」
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