2021年12月25日
第17話「佐賀脱藩」⑬(籠鳥は、雲を恋う)
こんばんは。
第17話は年内完結を目指しましたが、なかなか年末も忙しく、思惑どおりにはいきません。自由に動けないもどかしさ…を感じるところも多い1年でした。
今回の文久元年の師走(十二月)をイメージした話で、年内の“本編”はラストの予定です。なお、年末年始にも別企画での投稿ができればと考えています。
――江戸城内。書院にて。
幕閣から期待される、唐津藩・小笠原長行も、忙しく政務にあたる。生まれ故郷の唐津から、参勤交代で江戸に来たが、早くも能力の一端を見せている。
幕政の中心人物、老中・安藤信正と話をする。
「ご老中。先刻から上様のお姿が見当たりませぬが…。」
「小笠原どの。上様とて、時には羽を伸ばしたい時もござろうて。」
「何処に、いらっしゃるのですか。」
まだ少年の“上様”の行先を心配する小笠原長行。まるで“保護者”の目線。
「心配は無用。お庭に居られる。」

――ピッ…、ピピッ…。
籠〔かご〕に入った鳥を、優し気な眼差しで見つめる。幼い頃から、小動物を愛する子どもだった“上様”。第14代将軍・徳川家茂である。
「心が、安らぐのう…。」
「そちも、大空に羽ばたきたいか。」
「ピッ…、ピッピ。」
「昔の私なら、籠を開け放ち、そちを逃がしたであろうな。」
「ピッ…?」
寒さの増す師走だが、その日の江戸は、穏やかな陽光に包まれていた。
――多忙な政務の気晴らしか。
小鳥と語らう“上様”。
「しかしながら、そちを空に放たば、立ちどころに猛禽の餌食となろう…。」
「…ピッ!」
小鳥に物騒なことを語る上様。幼き日と違って様々な事も見えてくる。年頃は少年だが、武家の棟梁(とうりょう)・将軍だ。万事に責任を持たねばならない。
「許せ。私は、そちが傷つかぬよう、籠に留め置く。」
「ピピッ…」

――屋内から、その様子を窺(うかが)う女性たち。
「…あれが、公方(くぼう)様にあらしゃいます。」
傍にいた御付きの女性が、顔立ちに、あどけなさを残した少女にささやく。
「あの御方が…、公方さまやと?」
さすが気品のある顔立ち…といった印象。皇女・和宮である。話し方は“御所ことば”で柔らかいが、気難しい表情をした。
険しい中山道を来た京から江戸への旅路。望んでいた“京風”とは、ほど遠い江戸城内の暮らしでは、前将軍の正室・天璋院(篤姫)からの重圧も感じる。
――京を出て、和宮の表情は曇りがちだった。
江戸城には入ったが“婚礼”は年を越してからである。同年齢の“夫”の姿を、突然に見かけ、戸惑いが見られる。
「…公方さんは、よもや小鳥と話をされておるのか?」
「ええ、いかなお考えであらしゃいますやら。」
将軍(公方)・徳川家茂をどう理解したものか、考え込む京ことばの二人。
――眺める先には、将軍・家茂と籠の小鳥。
その周りをふんわりと陽だまりが包み込む。
「なんや武家らしゅうない、優しげな御方やな…。」
「それは、そうやもしれまへんなぁ。」
和宮の言葉に御付きの女性が相づちを打つ。武家らしく気詰まりな“夫”の姿を想像していた。拍子抜けしたか、固かった表情からは安堵の気配が見える。

――だが、この師走。江戸の市中は荒れていた。
「御用の者だ。神妙にいたせ!」
「おのれっ…無礼な幕吏(ばくり)どもめ。」
「手向かいいたすにおいては、容赦はせぬぞ!」
幕府の捕方が、尊王攘夷の志士たちが集まる私塾などを一斉に取り締まる。皇女・和宮の江戸への降嫁に際し、武装蜂起などを企てた嫌疑だった。
――江戸城下。佐賀藩の屋敷。
江戸詰めの藩士たちに、学問を教える役割だった副島種臣を、中野方蔵が訪ねていた。
「大橋先生の塾も、公儀(幕府)の取り締まりが入ったそうだな。」
「ええ、相当に物騒な有様(ありさま)となっておりましたゆえ。」
佐賀藩士・中野方蔵も、大橋訥庵の私塾にはよく立ち寄ったが、淡々と語る。塾に過激な浪士が関わっているのが危険と察知し、距離を取ったところだ。
「…中野も、あの塾に出入りしておったな。身辺に用心をすることだ。」
「当面は“昌平黌”(昌平坂学問所)への通いも控えます。」
「それが良かろう。」
――幕府公式の学問所でも、人脈を築いた中野。
尊王攘夷の志士が集まる私塾はもちろん危険だが、学問所も完全に幕府の領分。いま立ち寄るのは危うい。
「副島先生も、ご用心のほどを。」
「…うむ。」
副島種臣とて、勤王の思想家として名が知られる。穏やかでない年の瀬だ。佐賀藩上層部の“勤王”への動きは鈍い。副島にも、焦りはある。
「…然しながら、もはや軽挙はならぬのだ。」
中野には用心を念押しして、退出する後ろ姿を見送った。最近、謹慎が解けたばかりの副島である。ふと、溜め息をついた。
(続く)
〔参照記事〕
・第15話「江戸動乱」⑩(いざゆけ!次郎)
・第15話「江戸動乱」⑪(親心に似たるもの)
・第16話「攘夷沸騰」⑨(玉石、相混じる)
第17話は年内完結を目指しましたが、なかなか年末も忙しく、思惑どおりにはいきません。自由に動けないもどかしさ…を感じるところも多い1年でした。
今回の文久元年の師走(十二月)をイメージした話で、年内の“本編”はラストの予定です。なお、年末年始にも別企画での投稿ができればと考えています。
――江戸城内。書院にて。
幕閣から期待される、唐津藩・小笠原長行も、忙しく政務にあたる。生まれ故郷の唐津から、参勤交代で江戸に来たが、早くも能力の一端を見せている。
幕政の中心人物、老中・安藤信正と話をする。
「ご老中。先刻から上様のお姿が見当たりませぬが…。」
「小笠原どの。上様とて、時には羽を伸ばしたい時もござろうて。」
「何処に、いらっしゃるのですか。」
まだ少年の“上様”の行先を心配する小笠原長行。まるで“保護者”の目線。
「心配は無用。お庭に居られる。」
――ピッ…、ピピッ…。
籠〔かご〕に入った鳥を、優し気な眼差しで見つめる。幼い頃から、小動物を愛する子どもだった“上様”。第14代将軍・徳川家茂である。
「心が、安らぐのう…。」
「そちも、大空に羽ばたきたいか。」
「ピッ…、ピッピ。」
「昔の私なら、籠を開け放ち、そちを逃がしたであろうな。」
「ピッ…?」
寒さの増す師走だが、その日の江戸は、穏やかな陽光に包まれていた。
――多忙な政務の気晴らしか。
小鳥と語らう“上様”。
「しかしながら、そちを空に放たば、立ちどころに猛禽の餌食となろう…。」
「…ピッ!」
小鳥に物騒なことを語る上様。幼き日と違って様々な事も見えてくる。年頃は少年だが、武家の棟梁(とうりょう)・将軍だ。万事に責任を持たねばならない。
「許せ。私は、そちが傷つかぬよう、籠に留め置く。」
「ピピッ…」
――屋内から、その様子を窺(うかが)う女性たち。
「…あれが、公方(くぼう)様にあらしゃいます。」
傍にいた御付きの女性が、顔立ちに、あどけなさを残した少女にささやく。
「あの御方が…、公方さまやと?」
さすが気品のある顔立ち…といった印象。皇女・和宮である。話し方は“御所ことば”で柔らかいが、気難しい表情をした。
険しい中山道を来た京から江戸への旅路。望んでいた“京風”とは、ほど遠い江戸城内の暮らしでは、前将軍の正室・天璋院(篤姫)からの重圧も感じる。
――京を出て、和宮の表情は曇りがちだった。
江戸城には入ったが“婚礼”は年を越してからである。同年齢の“夫”の姿を、突然に見かけ、戸惑いが見られる。
「…公方さんは、よもや小鳥と話をされておるのか?」
「ええ、いかなお考えであらしゃいますやら。」
将軍(公方)・徳川家茂をどう理解したものか、考え込む京ことばの二人。
――眺める先には、将軍・家茂と籠の小鳥。
その周りをふんわりと陽だまりが包み込む。
「なんや武家らしゅうない、優しげな御方やな…。」
「それは、そうやもしれまへんなぁ。」
和宮の言葉に御付きの女性が相づちを打つ。武家らしく気詰まりな“夫”の姿を想像していた。拍子抜けしたか、固かった表情からは安堵の気配が見える。
――だが、この師走。江戸の市中は荒れていた。
「御用の者だ。神妙にいたせ!」
「おのれっ…無礼な幕吏(ばくり)どもめ。」
「手向かいいたすにおいては、容赦はせぬぞ!」
幕府の捕方が、尊王攘夷の志士たちが集まる私塾などを一斉に取り締まる。皇女・和宮の江戸への降嫁に際し、武装蜂起などを企てた嫌疑だった。
――江戸城下。佐賀藩の屋敷。
江戸詰めの藩士たちに、学問を教える役割だった副島種臣を、中野方蔵が訪ねていた。
「大橋先生の塾も、公儀(幕府)の取り締まりが入ったそうだな。」
「ええ、相当に物騒な有様(ありさま)となっておりましたゆえ。」
佐賀藩士・中野方蔵も、大橋訥庵の私塾にはよく立ち寄ったが、淡々と語る。塾に過激な浪士が関わっているのが危険と察知し、距離を取ったところだ。
「…中野も、あの塾に出入りしておったな。身辺に用心をすることだ。」
「当面は“昌平黌”(昌平坂学問所)への通いも控えます。」
「それが良かろう。」
――幕府公式の学問所でも、人脈を築いた中野。
尊王攘夷の志士が集まる私塾はもちろん危険だが、学問所も完全に幕府の領分。いま立ち寄るのは危うい。
「副島先生も、ご用心のほどを。」
「…うむ。」
副島種臣とて、勤王の思想家として名が知られる。穏やかでない年の瀬だ。佐賀藩上層部の“勤王”への動きは鈍い。副島にも、焦りはある。
「…然しながら、もはや軽挙はならぬのだ。」
中野には用心を念押しして、退出する後ろ姿を見送った。最近、謹慎が解けたばかりの副島である。ふと、溜め息をついた。
(続く)
〔参照記事〕
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