2021年12月05日
第17話「佐賀脱藩」⑧(福岡から来た“さぶらい”)
こんにちは。
鍋島直正が佐賀藩主を退き「閑叟(かんそう)」と、正式に号した(名乗った)のは、1861年(文久元年)の晩秋と言われます。
その同じ年の秋。直正の“隠居”1か月ばかり前の10月頃、佐賀城下に、古い時代から来たような不思議な来訪者がありました。

――師匠・枝吉神陽の家に向かっている。
佐賀城の堀端を南に行くのは、大木喬任(民平)と江藤新平。この日も、江戸に出た親友・中野方蔵の話題をしている。
「次に、中野からの便りはいつ来ると思うか。」
「また催促が来るでしょう。中野は、よほど大木さんを引っ張り出したいらしい。」
大木の問いかけに、江藤が予測を述べる。
「ところで、江藤。“熊太郎”は、元気か?」
「ああ、健やかにしている。“赤子”も可愛いものだ。」
――「やはりお主のような者でも、“父親の顔”になるのか。」
少々ひねくれた言い方をする大木に、江藤が苦笑する。
「子を持てば、親になる。これも理に適(かな)った事。」
「…左様(さよう)か!」
江藤が幸せになるのは、大木とて嬉しいが、ぶっきらぼうな反応も大木らしい。
前年の11月頃に、江藤は妻・千代子との間に子を授かり、一児の父となった。その長男の名は熊太郎といって、もうじき1歳となる。

――遠目に見える屋敷の門前に、2つの人影がある。
うち1人は江藤らの仲間で、古賀一平。もう1人は、見かけぬ風体の人物だ。
「あん(の)一人は、佐賀の者では無かごたな…。」
「ええ、古賀さんに何事かを説くと見える。」
二人の反応には理由があった。古賀と向き合う謎の男の格好が奇妙なのだ。烏帽子(えぼし)を頭に乗せ、直垂(ひたたれ)を着る…という古風さである。
――その装束は、まるで“絵巻物”にでも出てきそうだ。
幕末からでも七百年ほど前になるが、朝廷で主に皇族を守る武士たちが居た。貴人に「候(さぶら)う」ので、後に武士たちは“さぶらい”と呼ばれたという。
それが“侍”の語源だというが、謎の男の服装には、その雰囲気がある。時代がかった“謎のさぶらい”と対話する古賀は、楽しげに盛り上がっている。
ここで古賀が、大木と江藤が来たことに気づいた。
「福岡から、珍しか客人ったい!」

――もともと福岡藩士だという、“さぶらい”。
二人と目線が合うと“さぶらい”は仰々しく一礼をした。時代を錯誤した服装で目立つだけでなく、何やら人を惹きつける魅力もある。
「筑前(福岡)より出た者で、平野国臣と申す!」
豪快に名乗った。“福岡脱藩”の志士というのが、現在の肩書きと見える。
「江藤と申す。平野さまに問う。その“装束”の意味するところは何か。」
まず名乗り返すものの、いきなり問答を始める江藤。
――向かい合う双方とも、声は大きい。
「我は、国のために動いておる。それを示す装束と心得ておる。」
福岡から来た勤王の志士・平野国臣。古めかしい服装に、信念がある様子だ。
「自分こそは、朝廷を守る武士」という真っ直ぐな想い。それが、朝廷を中心に世の中が回った“古い時代”を身に纏(まと)う理由らしい。
「貴殿の志、理解に至った。」
質素な身なりの江藤。平野と違って、服装で“志”を示したりはしない。しかし、その想いには得心したようだ。
(続く)
鍋島直正が佐賀藩主を退き「閑叟(かんそう)」と、正式に号した(名乗った)のは、1861年(文久元年)の晩秋と言われます。
その同じ年の秋。直正の“隠居”1か月ばかり前の10月頃、佐賀城下に、古い時代から来たような不思議な来訪者がありました。
――師匠・枝吉神陽の家に向かっている。
佐賀城の堀端を南に行くのは、大木喬任(民平)と江藤新平。この日も、江戸に出た親友・中野方蔵の話題をしている。
「次に、中野からの便りはいつ来ると思うか。」
「また催促が来るでしょう。中野は、よほど大木さんを引っ張り出したいらしい。」
大木の問いかけに、江藤が予測を述べる。
「ところで、江藤。“熊太郎”は、元気か?」
「ああ、健やかにしている。“赤子”も可愛いものだ。」
――「やはりお主のような者でも、“父親の顔”になるのか。」
少々ひねくれた言い方をする大木に、江藤が苦笑する。
「子を持てば、親になる。これも理に適(かな)った事。」
「…左様(さよう)か!」
江藤が幸せになるのは、大木とて嬉しいが、ぶっきらぼうな反応も大木らしい。
前年の11月頃に、江藤は妻・千代子との間に子を授かり、一児の父となった。その長男の名は熊太郎といって、もうじき1歳となる。
――遠目に見える屋敷の門前に、2つの人影がある。
うち1人は江藤らの仲間で、古賀一平。もう1人は、見かけぬ風体の人物だ。
「あん(の)一人は、佐賀の者では無かごたな…。」
「ええ、古賀さんに何事かを説くと見える。」
二人の反応には理由があった。古賀と向き合う謎の男の格好が奇妙なのだ。烏帽子(えぼし)を頭に乗せ、直垂(ひたたれ)を着る…という古風さである。
――その装束は、まるで“絵巻物”にでも出てきそうだ。
幕末からでも七百年ほど前になるが、朝廷で主に皇族を守る武士たちが居た。貴人に「候(さぶら)う」ので、後に武士たちは“さぶらい”と呼ばれたという。
それが“侍”の語源だというが、謎の男の服装には、その雰囲気がある。時代がかった“謎のさぶらい”と対話する古賀は、楽しげに盛り上がっている。
ここで古賀が、大木と江藤が来たことに気づいた。
「福岡から、珍しか客人ったい!」
――もともと福岡藩士だという、“さぶらい”。
二人と目線が合うと“さぶらい”は仰々しく一礼をした。時代を錯誤した服装で目立つだけでなく、何やら人を惹きつける魅力もある。
「筑前(福岡)より出た者で、平野国臣と申す!」
豪快に名乗った。“福岡脱藩”の志士というのが、現在の肩書きと見える。
「江藤と申す。平野さまに問う。その“装束”の意味するところは何か。」
まず名乗り返すものの、いきなり問答を始める江藤。
――向かい合う双方とも、声は大きい。
「我は、国のために動いておる。それを示す装束と心得ておる。」
福岡から来た勤王の志士・平野国臣。古めかしい服装に、信念がある様子だ。
「自分こそは、朝廷を守る武士」という真っ直ぐな想い。それが、朝廷を中心に世の中が回った“古い時代”を身に纏(まと)う理由らしい。
「貴殿の志、理解に至った。」
質素な身なりの江藤。平野と違って、服装で“志”を示したりはしない。しかし、その想いには得心したようだ。
(続く)