2021年12月29日
「“銀天”ば衝け…?」
こんばんは。
大河ドラマ『青天を衝け』最終回まで見事な展開だと感じました。明治期以降は、大隈重信がしっかり描かれ、佐賀の存在感も見えていました。
しかし“佐賀の大河ドラマ”を志向する私。この描き方で満足することはなく…
「言いたいことは、それだけか。」
「否(いな)、まだ山ほどございまする!」
…という感じです。こうして、本記事は『青天を衝け』最終回の感想を、2年前に撮った佐賀の風景とともにお送りするという複雑な試みとなりました。
――放送開始から4分頃。東京養育院の場面。
ここでは養育院の運営に力を注ぐ渋沢栄一〔演:吉沢亮〕の来訪に喜び、子供たちが出迎えます。ポイントは、子供たちが口ずさむ歌。
「青葉茂れる~、桜井の~♪」
この歌は南北朝時代に活躍した武将・楠木正成を題材としたもの。古くから、佐賀藩には、天皇に忠義を尽くした楠木正成を崇敬する傾向がありました。
幕末期の佐賀から見ても、大きな意味のある歌なのです。

――佐賀市の、龍造寺八幡宮の境内にある社。
佐賀の志士たちが集った“義祭同盟”。楠木正成を勤王の象徴として崇めるだけでなく、秘密結社という側面もあったようです。
写真にある“楠神社”は、その象徴的な場所。若き日の大隈重信(八太郎)も“義祭同盟”のメンバーとなっていました。
『青天を衝け』では、大倉孝二さんの熱演で強い印象を残した大隈重信。
ちなみに、大隈八太郎という名は、この場所・龍造寺八幡宮に由来するそう。本記事では、大隈も通ったはずの道をたどります。

――同じく佐賀市の中心街にある、白山通り。
江戸時代には長崎街道の賑わいに加えて、龍造寺八幡宮の参道としても、栄えたといいます。
現在は、佐賀市内で唯一と聞くアーケード街。
「おいは己の力で立ちよるばい!“銀の天”に拳ば衝き上げるとよ。」
言うまでもなく『青天を衝け』のパロディーのつもりです。私も佐賀に帰藩したら、ひとまず“銀天”〔アーケード〕にでも拳を衝き上げてみようかと思います。
…きっと、その姿は「肩が痛いから伸びをする人」に見えるはずです。
それはさておき、このアーケード街で例年行われ、夏の風物詩ともなっている『さが銀天夜市』には50年もの歴史があるとか。
――ここで話を戻して、“50年もの歳月”と言えば…
『青天を衝け』最終回では、放送開始から11分頃。大隈邸の場面。
病床にある大隈重信〔演:大倉孝二〕を、渋沢栄一〔演:吉沢亮〕が見舞います。概ね80歳ぐらいの大隈老侯。
明治初期、大隈は30歳ぐらいですから、この2人はおよそ50年来の付き合いということに。
大隈は自宅の庭園で栽培しているメロン〔“早稲田”という品種〕を客人・渋沢に食べてほしいと考えます。
国際情勢を語りながらも「メロンばあるとよ、早う食べんね。」という感じの展開ですが、「~であるんである。」「~であ~る。」と、なぜか演説調の大隈老侯。
――その場面で私は、こう思いました。
「普通に“佐賀ことば”で話しておけば良いのに…」と。
しかし、次の瞬間に気づきました。初対面の渋沢栄一と出会って、明治新政府に引き込んだ時の大隈重信の演説を。
高い志と堂々たる弁舌で、渋沢の胸を“ぐるぐる”とさせた大隈。
「…これは50年経っても、出会った頃のままの自分を見せたかったのか」と。
談笑の中にも「元気さを見せようとする」大隈侯の意地を感じる場面でした。

――前回(第40回)の放送を思い起こせば、
「80歳に近い年寄りになって、まだ首相などやっておるのか」と詰め寄る渋沢。
「おいは一人、大正になっても維新の世の尻拭いばしているのである」と大声で返す、大隈。
大隈の強い語気の中に、寂しさと心細さを感じた一言でした。セリフで名が挙がるのは、長州の人たちでしたが、ここを深読みしました。
“佐賀の七賢人”の中で、最年少だった大隈重信。一緒に頑張ってきた、支えてくれる、あるいは安心して喧嘩のできる“佐賀の兄貴分”たちは、その時には、もうこの世にいないのです。
――明治期からの付き合いである渋沢には、
どことなく意地を張っているようにも見えた、大隈重信。私がどこか期待した、故郷・佐賀を懐かしむ大隈は描かれませんでした。
しかし、このように幾らでも深読みしたくなるほど、魅力的な大隈像が描かれた『青天を衝け』だったと思います。
なお最終回の再放送は、本日29日(水)の昼。午後1時5分~のようです。
近いうち“佐賀ことば”全開で突き進む、青年・大隈八太郎にも、大河ドラマで出会えることを楽しみにしています。
大河ドラマ『青天を衝け』最終回まで見事な展開だと感じました。明治期以降は、大隈重信がしっかり描かれ、佐賀の存在感も見えていました。
しかし“佐賀の大河ドラマ”を志向する私。この描き方で満足することはなく…
「言いたいことは、それだけか。」
「否(いな)、まだ山ほどございまする!」
…という感じです。こうして、本記事は『青天を衝け』最終回の感想を、2年前に撮った佐賀の風景とともにお送りするという複雑な試みとなりました。
――放送開始から4分頃。東京養育院の場面。
ここでは養育院の運営に力を注ぐ渋沢栄一〔演:吉沢亮〕の来訪に喜び、子供たちが出迎えます。ポイントは、子供たちが口ずさむ歌。
「青葉茂れる~、桜井の~♪」
この歌は南北朝時代に活躍した武将・楠木正成を題材としたもの。古くから、佐賀藩には、天皇に忠義を尽くした楠木正成を崇敬する傾向がありました。
幕末期の佐賀から見ても、大きな意味のある歌なのです。
――佐賀市の、龍造寺八幡宮の境内にある社。
佐賀の志士たちが集った“義祭同盟”。楠木正成を勤王の象徴として崇めるだけでなく、秘密結社という側面もあったようです。
写真にある“楠神社”は、その象徴的な場所。若き日の大隈重信(八太郎)も“義祭同盟”のメンバーとなっていました。
『青天を衝け』では、大倉孝二さんの熱演で強い印象を残した大隈重信。
ちなみに、大隈八太郎という名は、この場所・龍造寺八幡宮に由来するそう。本記事では、大隈も通ったはずの道をたどります。
――同じく佐賀市の中心街にある、白山通り。
江戸時代には長崎街道の賑わいに加えて、龍造寺八幡宮の参道としても、栄えたといいます。
現在は、佐賀市内で唯一と聞くアーケード街。
「おいは己の力で立ちよるばい!“銀の天”に拳ば衝き上げるとよ。」
言うまでもなく『青天を衝け』のパロディーのつもりです。私も佐賀に帰藩したら、ひとまず“銀天”〔アーケード〕にでも拳を衝き上げてみようかと思います。
…きっと、その姿は「肩が痛いから伸びをする人」に見えるはずです。
それはさておき、このアーケード街で例年行われ、夏の風物詩ともなっている『さが銀天夜市』には50年もの歴史があるとか。
――ここで話を戻して、“50年もの歳月”と言えば…
『青天を衝け』最終回では、放送開始から11分頃。大隈邸の場面。
病床にある大隈重信〔演:大倉孝二〕を、渋沢栄一〔演:吉沢亮〕が見舞います。概ね80歳ぐらいの大隈老侯。
明治初期、大隈は30歳ぐらいですから、この2人はおよそ50年来の付き合いということに。
大隈は自宅の庭園で栽培しているメロン〔“早稲田”という品種〕を客人・渋沢に食べてほしいと考えます。
国際情勢を語りながらも「メロンばあるとよ、早う食べんね。」という感じの展開ですが、「~であるんである。」「~であ~る。」と、なぜか演説調の大隈老侯。
――その場面で私は、こう思いました。
「普通に“佐賀ことば”で話しておけば良いのに…」と。
しかし、次の瞬間に気づきました。初対面の渋沢栄一と出会って、明治新政府に引き込んだ時の大隈重信の演説を。
高い志と堂々たる弁舌で、渋沢の胸を“ぐるぐる”とさせた大隈。
「…これは50年経っても、出会った頃のままの自分を見せたかったのか」と。
談笑の中にも「元気さを見せようとする」大隈侯の意地を感じる場面でした。
――前回(第40回)の放送を思い起こせば、
「80歳に近い年寄りになって、まだ首相などやっておるのか」と詰め寄る渋沢。
「おいは一人、大正になっても維新の世の尻拭いばしているのである」と大声で返す、大隈。
大隈の強い語気の中に、寂しさと心細さを感じた一言でした。セリフで名が挙がるのは、長州の人たちでしたが、ここを深読みしました。
“佐賀の七賢人”の中で、最年少だった大隈重信。一緒に頑張ってきた、支えてくれる、あるいは安心して喧嘩のできる“佐賀の兄貴分”たちは、その時には、もうこの世にいないのです。
――明治期からの付き合いである渋沢には、
どことなく意地を張っているようにも見えた、大隈重信。私がどこか期待した、故郷・佐賀を懐かしむ大隈は描かれませんでした。
しかし、このように幾らでも深読みしたくなるほど、魅力的な大隈像が描かれた『青天を衝け』だったと思います。
なお最終回の再放送は、本日29日(水)の昼。午後1時5分~のようです。
近いうち“佐賀ことば”全開で突き進む、青年・大隈八太郎にも、大河ドラマで出会えることを楽しみにしています。