2021年12月11日
第17話「佐賀脱藩」⑨(佐賀に“三平”あり)
こんばんは。2周年の記事では、たくさんの方にお読みいただき、コメントをくださった方も。ありがとうございました。
“本編”を再開します。前回、登場した福岡の志士・平野国臣。平安・鎌倉期を思わせる古風な武士の姿。髭を蓄え、時代物の装束に志を込めた“さぶらい”。
諸国でも“尊王活動家”として一目置かれた存在だったそうで、薩摩(鹿児島)にも出入りし、西郷吉之助(隆盛)と深く関わっています。
1861年(文久元年)秋。佐賀を訪ねた福岡脱藩・平野国臣には、枝吉神陽との連携を図る目的があったそうです。
――福岡の“さぶらい”・平野と問答を続ける江藤新平。
無言で見守る大木喬任(民平)は、こう考えた。
「おそらく江藤、この男が気に入ったな…」
江藤は開明派だが、一本気で筋の通った“古武士”には好意的だ。
大木も服装に無頓着で古風な格好を真似しようとは思わないが、平野が語る「我こそは朝廷の臣!」という考え方には共感できる。

――平野との話に盛り上がる江藤、それを見守る大木。
時が過ぎている。最初から居た古賀一平が冷静になって気づいた。
「ここでは、いかんばい!お客人を別のところにお連れせんば。」
上機嫌で話し続ける、平野は快活に答えた。
「何処に行こうが、一向に構わぬぞ。」
「佐賀には、窮屈な掟(おきて)がございましてな。」
古賀が、師匠・枝吉神陽との面会の場所を別に用意するようだ。
持ち前の行動力で突き進んだ福岡脱藩の平野だが、江戸期の佐賀では旅人への規制が強く、立ち寄れる場所は限られる。面倒ごとは避けたいところだ。
――よく“義祭同盟”の会合で集う社にて。
「筑前(福岡)の平野と申す。神陽先生にお会いできて光栄だ。」
「平野どのの、ご令名(れいめい)は聞き及んでいる。」
堂内に姿を見せた枝吉神陽。江藤らの師匠でもあるが、佐賀の藩政にも関わりがある。さらに貫禄が増した。
かつての天皇親政の時代。朝廷を中心とする世を理想とするのは、両者とも。もはや幕府には、朝廷から政治を任される価値はないという見解も一致する。

――「古式に則り、“あるべき姿”へと戻す。」
「然(しか)り…、得心できることばかりだ。」
勤王の想いが強い古賀一平が、師匠と平野国臣の議論に感じ入っている。
「神陽先生。佐賀が勤王のはたらきを為せば“回天”すら為せるはず。」
平野の想いとしては、佐賀藩が決起すれば時代は動く。藩上層部と志士たちの双方に影響力がある、枝吉神陽の賛同を求めていた。
もはや薩摩の名君・島津斉彬はいない。残る実力者として、佐賀の鍋島直正の動向にも、自然と注目が集まっている。
――ここで、珍しく大木が口を挟んだ。
枝吉神陽は時勢を語る平野に共感を示すが、倒幕への決起話には乗らない。
「平野先生にお伺いするが、やはり福岡の黒田さまは動かぬか。」
大木は話の展開を察してか、福岡藩の事も聞くようだ。
「黒田の殿には幾度でも言上するが、まず我が身で事を為すほかあるまい。」
福岡藩(黒田家)にも意見をした平野。風変わりな提案を強引な手段で行ったので、処罰の対象となった。
むしろ福岡藩は平野の過激な言動と志士との人脈が、幕府から咎(とが)められると警戒。平野は脱藩をして浪人となり、よく藩の捕方から追われている。

――その場は、意見の交換に終わった。
「平野どの、近いうちに時節が来よう。」
枝吉神陽が、福岡の“さぶらい”・平野に包み込むような一声をかける。
「…神陽先生は、よき門下生を育てておられるな。」
平野が、枝吉神陽との別れ際に語る。
「三人とも名に“平”の字を持つ者。佐賀に“三平”あり!と言うべきか。」
平野の語る“三平”の1人目は、勤王の話に熱く、手配りの良い古賀一平。
――次に、鋭く問答を仕掛けてくるが、強い才気を感じる江藤新平。
そして、何を思うか判然としないが、様々な思考を巡らせる大木民平(喬任)。
平野の言葉を受けて、神陽がうなずく。
「佐賀の“三平”か。平野どのの言葉なれば、さぞ喜ぶだろう。」
「我は、勤王の同志を集め、佐賀が動くのを待っておりますぞ。」
「いずれ、お会いしよう。」
双方が低い声で挨拶をかわすと、平野は長崎街道の旅路へと戻った。
明日は何処に行くものか。枝吉神陽は、福岡からの脱藩者の背中を見送る。
「平野どの。心持ちは解る…だが、あまり急(せ)いてはならぬぞ。」
(続く)
“本編”を再開します。前回、登場した福岡の志士・平野国臣。平安・鎌倉期を思わせる古風な武士の姿。髭を蓄え、時代物の装束に志を込めた“さぶらい”。
諸国でも“尊王活動家”として一目置かれた存在だったそうで、薩摩(鹿児島)にも出入りし、西郷吉之助(隆盛)と深く関わっています。
1861年(文久元年)秋。佐賀を訪ねた福岡脱藩・平野国臣には、枝吉神陽との連携を図る目的があったそうです。
――福岡の“さぶらい”・平野と問答を続ける江藤新平。
無言で見守る大木喬任(民平)は、こう考えた。
「おそらく江藤、この男が気に入ったな…」
江藤は開明派だが、一本気で筋の通った“古武士”には好意的だ。
大木も服装に無頓着で古風な格好を真似しようとは思わないが、平野が語る「我こそは朝廷の臣!」という考え方には共感できる。

――平野との話に盛り上がる江藤、それを見守る大木。
時が過ぎている。最初から居た古賀一平が冷静になって気づいた。
「ここでは、いかんばい!お客人を別のところにお連れせんば。」
上機嫌で話し続ける、平野は快活に答えた。
「何処に行こうが、一向に構わぬぞ。」
「佐賀には、窮屈な掟(おきて)がございましてな。」
古賀が、師匠・枝吉神陽との面会の場所を別に用意するようだ。
持ち前の行動力で突き進んだ福岡脱藩の平野だが、江戸期の佐賀では旅人への規制が強く、立ち寄れる場所は限られる。面倒ごとは避けたいところだ。
――よく“義祭同盟”の会合で集う社にて。
「筑前(福岡)の平野と申す。神陽先生にお会いできて光栄だ。」
「平野どのの、ご令名(れいめい)は聞き及んでいる。」
堂内に姿を見せた枝吉神陽。江藤らの師匠でもあるが、佐賀の藩政にも関わりがある。さらに貫禄が増した。
かつての天皇親政の時代。朝廷を中心とする世を理想とするのは、両者とも。もはや幕府には、朝廷から政治を任される価値はないという見解も一致する。
――「古式に則り、“あるべき姿”へと戻す。」
「然(しか)り…、得心できることばかりだ。」
勤王の想いが強い古賀一平が、師匠と平野国臣の議論に感じ入っている。
「神陽先生。佐賀が勤王のはたらきを為せば“回天”すら為せるはず。」
平野の想いとしては、佐賀藩が決起すれば時代は動く。藩上層部と志士たちの双方に影響力がある、枝吉神陽の賛同を求めていた。
もはや薩摩の名君・島津斉彬はいない。残る実力者として、佐賀の鍋島直正の動向にも、自然と注目が集まっている。
――ここで、珍しく大木が口を挟んだ。
枝吉神陽は時勢を語る平野に共感を示すが、倒幕への決起話には乗らない。
「平野先生にお伺いするが、やはり福岡の黒田さまは動かぬか。」
大木は話の展開を察してか、福岡藩の事も聞くようだ。
「黒田の殿には幾度でも言上するが、まず我が身で事を為すほかあるまい。」
福岡藩(黒田家)にも意見をした平野。風変わりな提案を強引な手段で行ったので、処罰の対象となった。
むしろ福岡藩は平野の過激な言動と志士との人脈が、幕府から咎(とが)められると警戒。平野は脱藩をして浪人となり、よく藩の捕方から追われている。
――その場は、意見の交換に終わった。
「平野どの、近いうちに時節が来よう。」
枝吉神陽が、福岡の“さぶらい”・平野に包み込むような一声をかける。
「…神陽先生は、よき門下生を育てておられるな。」
平野が、枝吉神陽との別れ際に語る。
「三人とも名に“平”の字を持つ者。佐賀に“三平”あり!と言うべきか。」
平野の語る“三平”の1人目は、勤王の話に熱く、手配りの良い古賀一平。
――次に、鋭く問答を仕掛けてくるが、強い才気を感じる江藤新平。
そして、何を思うか判然としないが、様々な思考を巡らせる大木民平(喬任)。
平野の言葉を受けて、神陽がうなずく。
「佐賀の“三平”か。平野どのの言葉なれば、さぞ喜ぶだろう。」
「我は、勤王の同志を集め、佐賀が動くのを待っておりますぞ。」
「いずれ、お会いしよう。」
双方が低い声で挨拶をかわすと、平野は長崎街道の旅路へと戻った。
明日は何処に行くものか。枝吉神陽は、福岡からの脱藩者の背中を見送る。
「平野どの。心持ちは解る…だが、あまり急(せ)いてはならぬぞ。」
(続く)