2020年04月03日
第7話「尊王義祭」⑩
こんばんは。
京都の“時習堂”で、佐野栄寿(常民)は2年間学びました。そして、京都でも良い友達ができたようです。大坂(大阪)に場所を移し、蘭学の修業を続ける佐野。”関西人”の友達2人が見送ります。
――佐野は、大坂の“適塾”でも学ぶ機会を得て、京都を出ることになった。
「佐野はん!また、京都に寄るんやで!」
友達の1人、中村奇輔である。当時では珍しい化学の道を志す“京都人”。
「手紙書けや!但し、オランダ語でな!」
こちらは翻訳家・石黒寛次。出身は舞鶴(丹後田辺。現在の京都府北部)。
「中村~っ!石黒~っ!きっと会いに来るけん~!!」
佐野は、2人に向かって大声で別れの挨拶をする。
――京都・伏見港から淀川を下る舟に乗った佐野。別れの挨拶に思いっきり手を振る。

「行ってしもうたなぁ…」
“京都人”中村の言葉遣いは、どことなく雅である。
「最後も大声だったなぁ。佐野が言うには“さがんもん”(佐賀の者)は、皆、声が大きいらしいぞ。」
かくいう石黒の声も、外国語を話すときはかなりのボリュームである。
「いや、佐野はんだけと違うやろか。声が大きかった分、寂しゅうなるけどな。」
中村は別れの余韻を噛みしめた。
「まぁ、たぶん、また会えるやろ。」
石黒はさらっと言った。
地方から京都の大学に行った学生の別れの場面のようだ。
しかし石黒の予想以上に早く…わりとすぐに佐野は京都に戻ってくることになる。
――さて、大坂(大阪)。全国の大名の蔵屋敷が立ち並ぶ一角。
医師・緒方洪庵が開いた“適塾”を訪ねる佐野。
「佐賀の佐野栄寿と申す!緒方先生のお教えに浴したく参りました!」
「そのように大きい声を出さずとも聞こえておる。」
ヌッと出てきたのは、大きい額が特徴的な男。
――佐野には“ダルマさん”が出てきたと見えたようだ。
「あと、そなたは、緒方先生の教えに浴したいと申したが、そもそも“適塾”では塾生同士で教え合うのが通例である。」
玄関から出てきた“ダルマさん”には、儀礼的な挨拶が通じないようだ。
「はぁ…」
“ダルマさん”は立て続けに言葉を放つ。「ダ~ルマさんが、火を吹いた…」と感じて、佐野は苦笑いしそうになった
「それでよろしければ、儂のあとに続けて入室せよ。」
この人物、名を村田良庵という。長州(山口)の出身の医者だという。
――全国から蘭学を学びに来る“適塾”の学生数は多い。
佐野に割り振られたスペースは一畳である。幸い窓の近くで息苦しさはない。

「さぁ、勉学に励むぞ!」
佐野は気合を入れなおした。
――夜も更けて、未明。
佐野は、日中は学生で混み合う“辞書”の置いてあるスペース、通称“ヅーフ”部屋に入る。
「さて、さすがに夜更けなら、きっと辞書も空いてとるばい…」
佐野、こっそり“ヅーフ”部屋に入る。
一応、新参者なので、遠慮の気持ちはある。そして、なるべく集中して勉強を進めたい。
――すると、薄暗い灯りの中、先客がいた。
日中に遭遇した“ダルマさん”こと村田良庵である。物凄い集中力で書物を翻訳している。
「距離、方角、速度…」
何やら軍事関係の書籍であるようだ。まるで、各頁を風に当てていくかのように、鮮やかに辞書を引く。
「凄か…」
佐野は、村田良庵の集中力に感服した。この人物、後に“大村益次郎”と名を変える。
――第7話のラストは佐賀の藩校「弘道館」。時代の転換点で“ダルマさん”とも関わる、この男。
江藤新平は、学生たちのリーダー・枝吉次郎(後の副島種臣)に談判していた。
「神陽先生の“義祭同盟”に私も加えてください!」
「君が江藤くんか…兄からも名前は聞いているよ。熱心な学生がいるとね。」
弟・次郎の会話には、いつも兄貴(神陽)の名が出てしまう。
「まさか神陽先生からですか!嬉しかごたです!」
江藤は、あまり1人の師匠に傾倒したりはしない。しかし、枝吉神陽は別のようだ。
「儂が、取り次ぐまでも無かばい。兄(神陽)は、江藤くんのことを大層、気に入っているようだ。」
次郎は言葉を続けた。
「あとは、楠公(楠木正成)を敬う心さえあれば、それで良し。合格だ。」
枝吉神陽が主導した「“楠公”義祭同盟」。
実弟・副島種臣に続いて、江藤新平たち佐賀の俊英が次々に参加していく。
――そして、時代は大きなうねりの時を迎える…
(第8話「黒船来航」に続く)
京都の“時習堂”で、佐野栄寿(常民)は2年間学びました。そして、京都でも良い友達ができたようです。大坂(大阪)に場所を移し、蘭学の修業を続ける佐野。”関西人”の友達2人が見送ります。
――佐野は、大坂の“適塾”でも学ぶ機会を得て、京都を出ることになった。
「佐野はん!また、京都に寄るんやで!」
友達の1人、中村奇輔である。当時では珍しい化学の道を志す“京都人”。
「手紙書けや!但し、オランダ語でな!」
こちらは翻訳家・石黒寛次。出身は舞鶴(丹後田辺。現在の京都府北部)。
「中村~っ!石黒~っ!きっと会いに来るけん~!!」
佐野は、2人に向かって大声で別れの挨拶をする。
――京都・伏見港から淀川を下る舟に乗った佐野。別れの挨拶に思いっきり手を振る。

「行ってしもうたなぁ…」
“京都人”中村の言葉遣いは、どことなく雅である。
「最後も大声だったなぁ。佐野が言うには“さがんもん”(佐賀の者)は、皆、声が大きいらしいぞ。」
かくいう石黒の声も、外国語を話すときはかなりのボリュームである。
「いや、佐野はんだけと違うやろか。声が大きかった分、寂しゅうなるけどな。」
中村は別れの余韻を噛みしめた。
「まぁ、たぶん、また会えるやろ。」
石黒はさらっと言った。
地方から京都の大学に行った学生の別れの場面のようだ。
しかし石黒の予想以上に早く…わりとすぐに佐野は京都に戻ってくることになる。
――さて、大坂(大阪)。全国の大名の蔵屋敷が立ち並ぶ一角。
医師・緒方洪庵が開いた“適塾”を訪ねる佐野。
「佐賀の佐野栄寿と申す!緒方先生のお教えに浴したく参りました!」
「そのように大きい声を出さずとも聞こえておる。」
ヌッと出てきたのは、大きい額が特徴的な男。
――佐野には“ダルマさん”が出てきたと見えたようだ。
「あと、そなたは、緒方先生の教えに浴したいと申したが、そもそも“適塾”では塾生同士で教え合うのが通例である。」
玄関から出てきた“ダルマさん”には、儀礼的な挨拶が通じないようだ。
「はぁ…」
“ダルマさん”は立て続けに言葉を放つ。「ダ~ルマさんが、火を吹いた…」と感じて、佐野は苦笑いしそうになった
「それでよろしければ、儂のあとに続けて入室せよ。」
この人物、名を村田良庵という。長州(山口)の出身の医者だという。
――全国から蘭学を学びに来る“適塾”の学生数は多い。
佐野に割り振られたスペースは一畳である。幸い窓の近くで息苦しさはない。

「さぁ、勉学に励むぞ!」
佐野は気合を入れなおした。
――夜も更けて、未明。
佐野は、日中は学生で混み合う“辞書”の置いてあるスペース、通称“ヅーフ”部屋に入る。
「さて、さすがに夜更けなら、きっと辞書も空いてとるばい…」
佐野、こっそり“ヅーフ”部屋に入る。
一応、新参者なので、遠慮の気持ちはある。そして、なるべく集中して勉強を進めたい。
――すると、薄暗い灯りの中、先客がいた。
日中に遭遇した“ダルマさん”こと村田良庵である。物凄い集中力で書物を翻訳している。
「距離、方角、速度…」
何やら軍事関係の書籍であるようだ。まるで、各頁を風に当てていくかのように、鮮やかに辞書を引く。
「凄か…」
佐野は、村田良庵の集中力に感服した。この人物、後に“大村益次郎”と名を変える。
――第7話のラストは佐賀の藩校「弘道館」。時代の転換点で“ダルマさん”とも関わる、この男。
江藤新平は、学生たちのリーダー・枝吉次郎(後の副島種臣)に談判していた。
「神陽先生の“義祭同盟”に私も加えてください!」
「君が江藤くんか…兄からも名前は聞いているよ。熱心な学生がいるとね。」
弟・次郎の会話には、いつも兄貴(神陽)の名が出てしまう。
「まさか神陽先生からですか!嬉しかごたです!」
江藤は、あまり1人の師匠に傾倒したりはしない。しかし、枝吉神陽は別のようだ。
「儂が、取り次ぐまでも無かばい。兄(神陽)は、江藤くんのことを大層、気に入っているようだ。」
次郎は言葉を続けた。
「あとは、楠公(楠木正成)を敬う心さえあれば、それで良し。合格だ。」
枝吉神陽が主導した「“楠公”義祭同盟」。
実弟・副島種臣に続いて、江藤新平たち佐賀の俊英が次々に参加していく。
――そして、時代は大きなうねりの時を迎える…
(第8話「黒船来航」に続く)