2020年04月08日
第8話「黒船来航」①
こんばんは。
昨夜から7都府県を対象にした「緊急事態宣言」が発効していますね。佐賀県内では“大都市圏”ほどは、感染は急増していないようですが、皆様も充分にお気をつけください。
冷静で自制心に優れた佐賀県民(私のイメージ)ならば、新型コロナの感染も抑え込める…と信じます。
では“本編”を再開します。
京都・大坂で、蘭学や医術を学んだ佐野栄寿(常民)は、再び江戸で勉強します。ちなみに、佐野の「諸国遊学」は、1846~1851年頃です。
第6話「鉄製大砲」、第7話「尊王義祭」がほぼ同じ年代で並行したエピソードを描きました。
何とか第8話でペリーの「黒船来航」(1853年)には触れたいと思います。
――江戸の“象先堂”。佐賀の神埼出身・伊東玄朴の蘭学塾である。
「栄寿。私は屋敷に呼ばれておるゆえ、留守を頼まれてくれ。」
伊東玄朴は佐賀の藩医でもある。
「はっ、承知しました。玄朴先生お気をつけて。」
塾頭・佐野栄寿(常民)が見送る。
ちなみに当時の医者らしく、双方とも丸坊主である。
――以前、伊東玄朴は東大医学部の源流となる“種痘所”を作った人物と解説した。
当時の江戸は、世界最大級の人口100万とも言われる大都会である。不衛生な都市では、あっという間に伝染病が蔓延する時代。
大勢の庶民が活き活きと暮らした江戸は、世界的にもスゴい都市だった。
伊東玄朴は、その江戸で最先端の医療を施していた“蘭方医”たちのリーダーと言うべき存在だった。
――さて佐賀藩邸である。

不治の伝染病“天然痘”の抑制に力を注ぐ佐賀藩。
殿・鍋島直正が率先して、我が子たちに“種痘”(天然痘のワクチンによる予防)を施していた。
伊東玄朴が、直正の愛娘である貢姫に声かけをする。
「では、参りますぞ。姫様…お心の準備はよろしいか。」
身なりの良い女の子。鍋島直正の長女、貢姫である。
「はい、貢(みつ)は、いつでもよろしいです!」
「いや、しばし待て!玄朴…」
ここに“お心の準備”が出来ていない人がいる。佐賀藩主・鍋島直正である。
「貢よ!さすが我が娘。泰然としたものだ、天晴である!」
力強い言葉に反して、直正の顔には“愛娘が心配”と書いてあるかのようだ。
――先だって若君・淳一郎(後の鍋島直大)にも“種痘”を施したが、その時にも藩医に注意された直正である。
「殿、さように見つめられると、この玄朴とて、手がすくみます。」
伊東玄朴、低いトーンでぼそぼそと、殿に注意を促す。
「おお…これはすまぬ。よろしく頼むぞ、玄朴。」
異国の脅威に備え、大砲を造り、台場を築く直正は、先読みして危機に備える性格である。こんなときも心配性である。
「お父上様、貢(みつ)は平気にございますよ。」
しっかりした女の子に成長している。
貢姫もまた、行儀作法を徹底して身に着けるため、江戸に“留学”しているのである。
――この頃、佐賀藩は領民にも予防接種として“種痘”を推進していた。まるで現代の“保健所”である。
佐賀城下の近隣に住む、農民たちの噂話である。
「“種痘”って何ね?」
「ひと打ちすれば、恐ろしか病から逃れられるったい。」
村一番の物知りが答える。
「でも…ウシになるごたよ。」
実は“痘苗”(ワクチン)はウシの天然痘の“かさぶた”を利用して作られている。
…この農民、なかなか侮れない。
「しかしな、鍋島の殿様が、若君や姫様にもお使いになっておられると聞くぞ。」
…村一番の物知り。やはり侮れない。どこで聞いた、そんな話。
――佐賀藩が先導した“天然痘”対策が進んでいく。しかし…
「いま使える“痘苗”(ワクチン)はどこにあるか知らんね!?」
藩の役人が想定外の事態に慌てる。
“種痘”が普及したのは良いが、村医者が各々勝手に予防接種を続けていた。
当時のワクチンは保存技術が未熟なため、人から人に“植え継ぐ”しかなく、無計画な接種では”痘苗”(ワクチン)が途切れてしまう。
「ついさっき、小城で子どもたちに“植えた”らしかばい。今、早馬を飛ばしておる。」
調べに出ていた同僚の役人。息を切らせながら、伝える。
“蘭学”先進地域・佐賀藩の研究成果は、民の暮らしの中でも活かされていたのである。
――さて、江戸“象先堂”に戻る。佐賀藩邸より戻った、伊東玄朴。
留守番しているはずが、姿を消している佐野栄寿。

「佐野~っ!留守をほったらかして、どこに行った!!」
師匠・伊東玄朴、怒る。
佐野栄寿(常民)は勉強するのは相変わらずだが、京都や大坂の時と違い、時おり塾を抜け出していた。
“尊王の思想”にでも傾倒したのか、密命である人材スカウトのためなのか、色んな集会に顔を出しているようだ。
玄朴先生、佐野栄寿の賢さは認めつつも、彼が医業に集中できていない印象を持ち始めたのである。
(続く)
昨夜から7都府県を対象にした「緊急事態宣言」が発効していますね。佐賀県内では“大都市圏”ほどは、感染は急増していないようですが、皆様も充分にお気をつけください。
冷静で自制心に優れた佐賀県民(私のイメージ)ならば、新型コロナの感染も抑え込める…と信じます。
では“本編”を再開します。
京都・大坂で、蘭学や医術を学んだ佐野栄寿(常民)は、再び江戸で勉強します。ちなみに、佐野の「諸国遊学」は、1846~1851年頃です。
第6話「鉄製大砲」、第7話「尊王義祭」がほぼ同じ年代で並行したエピソードを描きました。
何とか第8話でペリーの「黒船来航」(1853年)には触れたいと思います。
――江戸の“象先堂”。佐賀の神埼出身・伊東玄朴の蘭学塾である。
「栄寿。私は屋敷に呼ばれておるゆえ、留守を頼まれてくれ。」
伊東玄朴は佐賀の藩医でもある。
「はっ、承知しました。玄朴先生お気をつけて。」
塾頭・佐野栄寿(常民)が見送る。
ちなみに当時の医者らしく、双方とも丸坊主である。
――以前、伊東玄朴は東大医学部の源流となる“種痘所”を作った人物と解説した。
当時の江戸は、世界最大級の人口100万とも言われる大都会である。不衛生な都市では、あっという間に伝染病が蔓延する時代。
大勢の庶民が活き活きと暮らした江戸は、世界的にもスゴい都市だった。
伊東玄朴は、その江戸で最先端の医療を施していた“蘭方医”たちのリーダーと言うべき存在だった。
――さて佐賀藩邸である。

不治の伝染病“天然痘”の抑制に力を注ぐ佐賀藩。
殿・鍋島直正が率先して、我が子たちに“種痘”(天然痘のワクチンによる予防)を施していた。
伊東玄朴が、直正の愛娘である貢姫に声かけをする。
「では、参りますぞ。姫様…お心の準備はよろしいか。」
身なりの良い女の子。鍋島直正の長女、貢姫である。
「はい、貢(みつ)は、いつでもよろしいです!」
「いや、しばし待て!玄朴…」
ここに“お心の準備”が出来ていない人がいる。佐賀藩主・鍋島直正である。
「貢よ!さすが我が娘。泰然としたものだ、天晴である!」
力強い言葉に反して、直正の顔には“愛娘が心配”と書いてあるかのようだ。
――先だって若君・淳一郎(後の鍋島直大)にも“種痘”を施したが、その時にも藩医に注意された直正である。
「殿、さように見つめられると、この玄朴とて、手がすくみます。」
伊東玄朴、低いトーンでぼそぼそと、殿に注意を促す。
「おお…これはすまぬ。よろしく頼むぞ、玄朴。」
異国の脅威に備え、大砲を造り、台場を築く直正は、先読みして危機に備える性格である。こんなときも心配性である。
「お父上様、貢(みつ)は平気にございますよ。」
しっかりした女の子に成長している。
貢姫もまた、行儀作法を徹底して身に着けるため、江戸に“留学”しているのである。
――この頃、佐賀藩は領民にも予防接種として“種痘”を推進していた。まるで現代の“保健所”である。
佐賀城下の近隣に住む、農民たちの噂話である。
「“種痘”って何ね?」
「ひと打ちすれば、恐ろしか病から逃れられるったい。」
村一番の物知りが答える。
「でも…ウシになるごたよ。」
実は“痘苗”(ワクチン)はウシの天然痘の“かさぶた”を利用して作られている。
…この農民、なかなか侮れない。
「しかしな、鍋島の殿様が、若君や姫様にもお使いになっておられると聞くぞ。」
…村一番の物知り。やはり侮れない。どこで聞いた、そんな話。
――佐賀藩が先導した“天然痘”対策が進んでいく。しかし…
「いま使える“痘苗”(ワクチン)はどこにあるか知らんね!?」
藩の役人が想定外の事態に慌てる。
“種痘”が普及したのは良いが、村医者が各々勝手に予防接種を続けていた。
当時のワクチンは保存技術が未熟なため、人から人に“植え継ぐ”しかなく、無計画な接種では”痘苗”(ワクチン)が途切れてしまう。
「ついさっき、小城で子どもたちに“植えた”らしかばい。今、早馬を飛ばしておる。」
調べに出ていた同僚の役人。息を切らせながら、伝える。
“蘭学”先進地域・佐賀藩の研究成果は、民の暮らしの中でも活かされていたのである。
――さて、江戸“象先堂”に戻る。佐賀藩邸より戻った、伊東玄朴。
留守番しているはずが、姿を消している佐野栄寿。

「佐野~っ!留守をほったらかして、どこに行った!!」
師匠・伊東玄朴、怒る。
佐野栄寿(常民)は勉強するのは相変わらずだが、京都や大坂の時と違い、時おり塾を抜け出していた。
“尊王の思想”にでも傾倒したのか、密命である人材スカウトのためなのか、色んな集会に顔を出しているようだ。
玄朴先生、佐野栄寿の賢さは認めつつも、彼が医業に集中できていない印象を持ち始めたのである。
(続く)