2020年04月20日
第8話「黒船来航」⑨
こんばんは。
1852年の秋にアメリカ東海岸から、日本に向けた航海を始めたペリー提督。年を越して1853年の夏、およそ7か月半の航海を経て、浦賀(神奈川)沖に出現します。
――4隻で編成されたアメリカの艦隊。うち2隻が蒸気船である。
大型の蒸気艦船で日本に向かうことは、ペリー提督の強いリクエストだった。
「さぁ、日本人たちよ。“偉大なアメリカ”に驚け!」
――もうもうと上がる黒煙。船の側面で巨大な“外輪”が水を掻いている。
ガシュ…ガシュ…ガシュ…
遠目には“水車”が、自らの意思で回っているようである。
「なんだ、あれは!?」
「船が煙を吹いておるぞ!」

近隣に詰めていた、浦賀奉行所など幕府の役人は、わずか60人ほど。大急ぎで様子を伺う。
――海岸の高台にどんどん集まる野次馬。江戸時代の庶民は、物見が大好きである。
大急ぎで駆け付けた佐賀藩士。福地寿兵衛という名だ。
「やはり蒸気仕掛けか…船足も早か。」
ワーワーと騒ぎ立てる物見の衆。佐賀藩士・福地は冷静に状況を見ている。
「あれが長崎に回れば、佐賀が戦わんばならんか…」
ペリー艦隊は、蒸気機関を搭載していることを、やたらと強調していた。技術力の差を見せつけて、日本への威圧を狙っているのである。
――当時、日本の表玄関は長崎である。まず、幕府は「長崎に回航せよ」と通告することになる。
それは長崎の砲台で、この蒸気船を佐賀藩が迎え撃つ可能性を意味する。
「急ぎ、佐賀に知らせんば!」
ペリーが散々アピールする蒸気船だが、守る側が鉄製大砲を持つ場合には、大きい弱点がある。蒸気船の“外輪”がむき出しのため、駆動部を狙い撃ちされてしまうのだ。

――当時のアメリカは、アジア大陸進出に出遅れた“若い国”。
今回は“外交儀礼”を完全に無視して、巻き返しを図っていた。
城にいる将軍を威圧するかのように、江戸湾に進入し大砲を鳴らす。
ドーン!ドーン!
空砲だと知るや、庶民は呑気に物見遊山を続ける。
「やはり夏は花火だねぃ!粋だねぇ!」
「た~まや!ってか。」
一方、諸藩の江戸屋敷は騒然とする。沿岸の警備に人を派遣せねばならない。
「固め(防衛)の兵を集めろ!」
「急げ!時が無い!」
――時を経て、佐賀藩士・福地による「黒船来航」の一報は、鍋島直正に届く。
「傲慢(ごうまん)の振舞い!許し難し!」
直正が、いつになく大きい声を出す。
その怒りは“表玄関”ではなく“縁側”から侵入するような真似をしたペリーに向けられている。
しかし、それは異国の脅威を説く直正の意見に、本気で応えなかった幕府に対しての憤りでもあった。
(続く)
1852年の秋にアメリカ東海岸から、日本に向けた航海を始めたペリー提督。年を越して1853年の夏、およそ7か月半の航海を経て、浦賀(神奈川)沖に出現します。
――4隻で編成されたアメリカの艦隊。うち2隻が蒸気船である。
大型の蒸気艦船で日本に向かうことは、ペリー提督の強いリクエストだった。
「さぁ、日本人たちよ。“偉大なアメリカ”に驚け!」
――もうもうと上がる黒煙。船の側面で巨大な“外輪”が水を掻いている。
ガシュ…ガシュ…ガシュ…
遠目には“水車”が、自らの意思で回っているようである。
「なんだ、あれは!?」
「船が煙を吹いておるぞ!」

近隣に詰めていた、浦賀奉行所など幕府の役人は、わずか60人ほど。大急ぎで様子を伺う。
――海岸の高台にどんどん集まる野次馬。江戸時代の庶民は、物見が大好きである。
大急ぎで駆け付けた佐賀藩士。福地寿兵衛という名だ。
「やはり蒸気仕掛けか…船足も早か。」
ワーワーと騒ぎ立てる物見の衆。佐賀藩士・福地は冷静に状況を見ている。
「あれが長崎に回れば、佐賀が戦わんばならんか…」
ペリー艦隊は、蒸気機関を搭載していることを、やたらと強調していた。技術力の差を見せつけて、日本への威圧を狙っているのである。
――当時、日本の表玄関は長崎である。まず、幕府は「長崎に回航せよ」と通告することになる。
それは長崎の砲台で、この蒸気船を佐賀藩が迎え撃つ可能性を意味する。
「急ぎ、佐賀に知らせんば!」
ペリーが散々アピールする蒸気船だが、守る側が鉄製大砲を持つ場合には、大きい弱点がある。蒸気船の“外輪”がむき出しのため、駆動部を狙い撃ちされてしまうのだ。

――当時のアメリカは、アジア大陸進出に出遅れた“若い国”。
今回は“外交儀礼”を完全に無視して、巻き返しを図っていた。
城にいる将軍を威圧するかのように、江戸湾に進入し大砲を鳴らす。
ドーン!ドーン!
空砲だと知るや、庶民は呑気に物見遊山を続ける。
「やはり夏は花火だねぃ!粋だねぇ!」
「た~まや!ってか。」
一方、諸藩の江戸屋敷は騒然とする。沿岸の警備に人を派遣せねばならない。
「固め(防衛)の兵を集めろ!」
「急げ!時が無い!」
――時を経て、佐賀藩士・福地による「黒船来航」の一報は、鍋島直正に届く。
「傲慢(ごうまん)の振舞い!許し難し!」
直正が、いつになく大きい声を出す。
その怒りは“表玄関”ではなく“縁側”から侵入するような真似をしたペリーに向けられている。
しかし、それは異国の脅威を説く直正の意見に、本気で応えなかった幕府に対しての憤りでもあった。
(続く)