2023年05月09日
第19話「閑叟上洛」⑩(友の待つ、佐賀への道)
こんばんは。
江戸期を通じて、機密の保持には相当厳しく、とくに脱藩の罪は重い…という印象が強い、佐賀藩。
文久二年(1862年)夏に佐賀から脱藩し、京都で活動した江藤新平ですが、意外や、大殿(前藩主)・鍋島直正の指示は“捕縛”ではありませんでした。
ここで、直正(閑叟)は、脱藩者・江藤を京の都まで家族に迎えに行かせ、連れ戻すよう命じたといいます。
〔参照(終盤):第19話「閑叟上洛」⑨(想いが届けば、若返る…)〕
かなり年配となっていた、江藤の父・助右衛門にその役目が伝えられ、江藤の同志たちの動きも慌ただしくなってきます。

――秋。夕暮れの時を迎えている、佐賀城下。
城下に張り巡らされている水路に映えた夕日も、すっかり姿を消していた。秋の陽射しが存外に強かったのか、まだ温い感じの宵闇である。
「大木さん、江藤の家に、御城からの遣いが来とった!」
大木民平(喬任)の家に駆け込んできた藩士は、坂井辰之允という名だ。
「そがんか、ついに動いたか。」
どっかりと座っていた、大木が立ち上がる。傍らには、書物と酒がある、いつもの風景である。
「助右衛門さんが、呼び出されたらしかです。」
坂井が状況を説明する。

江藤が京から送った報告書、「京都見聞」という表題だが、都での政局や人物に関する詳細な情報を記していた。
〔参照(中盤):第18話「京都見聞」⑱(秋風の吹く頃に)〕
――その報告書「京都見聞」の送り先が、この2名だった。
あわせて江藤からの便りには、佐賀に残した家族への心配も綴られていた。
熱い使命感で、佐賀から飛びだしていった江藤。もちろん、脱藩者となったことで、老親や妻子の扱いに不安がある。
そこで、江藤は脱藩の計画をともに練った大木と、信頼できそうな坂井あてに書状で家族への支援も頼んでいたのだ。
〔参照:第18話「京都見聞」⑯(“故郷”を守る者たち)〕

「助右衛門さんも、さすがにご老体だ。任務を負った旅路に耐えられるか…」
坂井がいたって具体的に、江藤の父親の体調を心配する。
「いや、よかごたぞ。役人が捕らえに向かうよりは、よほどよかばい。」
大木は勢いよく、そう述べた。
――たしかに武装した藩吏が、捕縛に向かうならば、
江藤は“罪人”扱いということになる。脱藩は重罪であるため、その後の展開にも期待はできない。
家族に迎えに行かせるとは“重罪人”に対する処遇ではないから、まだ、一縷(いちる)の望みを持つことができそうだ。
それに江藤も、一応は、まだ藩の役人扱いされている事もうかがえる。
――ここで、大木がニッと笑った。
「さすがは閑叟さまだな。江藤の報告を、お読みになったか。」
ここで、“してやったり”という達成感のある表情を見せた、大木。やはり開明的な名君で知られる、佐賀の鍋島直正(閑叟)だ。
江藤は単身乗り込んだ京の都で、余人では考えられない速度で、情報収集を行い、短期間で緻密な報告を作りあげている。
大木たちには、激動の京都での政局が資金や人員の動きも含めてわかる、江藤の報告書さえ、直正(閑叟)の手元まで届けば、望みはつながる…という確信があった。

“名君”として語られるだけの実力者で、幕府や全国の大名からも、常々、その動向を気にされるほどの閑叟(直正)。
あの江藤の才能で、全力をもって調べ上げた報告書「京都見聞」を見て、何も読み取れないはずがない。
――大木には“忠義の侍”から、少し遠いところがある。
「それでこそ、佐賀の大殿としての値打ちがあると言うものだ。」
何だか“値踏み”するような、家臣としては、ある意味、無礼な物言いである。
「…また、始まったとですか。“大木節”が。」
坂井は少し呆れ気味だが、わりと大木は目先ではなく、遠いところを見る。
大木の考え方では、幕府の将軍も佐賀の藩主も、結局のところ、天皇(朝廷)の臣下に過ぎない。
歴史の行きがかり上で、大木の一族も、鍋島家の配下にいるという理屈だ。
――そして、大木は、自身も“朝廷の臣”と思っているので、
佐賀の“殿様”に、自分が付いていく価値があるかを論評するのだ。
その考え方は、先日、世を去った師匠・枝吉神陽の“日本一君論”の教えにも沿っている。

この辺り、勤王の志は高いが、かなり“鍋島武士”としての気質も強いような、江藤とも少し違ったところがある。
大木は「いま、この時」に起きることも、まるで歴史書の一部であるかのように、高い視点から眺めているような時がある。
「…わかった、わかりましたばい。」
ここで、坂井が水を差す。
――寡黙な大木にしては語ったが、
「今はそがん事、言うとる場合では、なかです。」
一方の坂井は、ひとまず現実的な心配をしている。これは、江藤の期待どおりの役回りなのだろうか。
「坂井、すまん。おい(俺)も、少々は嬉しかったのだ。」
口では、佐賀の大殿を“試した”ような言い方をする大木だが、実際のところ、思惑どおりに同志・江藤の報告が届いたのは痛快らしい。
大木とて、江藤の報告書は何としても届けたかったので、ひとまず努力が報われた事になる。
――坂井が、次の思案をする。
「江藤家の様子はうかがってきますが、どう進めたらよかでしょうな。」
幾分は冷静な対話になってきた。

「おう。こっちは三瀬に居る、古賀につなぎを取る。」
大木は仲間うちの連絡を画策した。江藤が佐賀に帰ってくる時は、きっと義祭同盟の仲間・古賀一平が番人を務める、三瀬峠を通るだろう。
ひとたび佐賀に入ってからは、藩庁がどのように指示を出すか、これは予測の付かないところがある。
――ここで不敵に微笑む、大木。
「面白うなってきたとよ。」
「そのように楽観してよかですか。江藤さんの扱いがどうなるか。」
例によって酒が入っている大木と、そうでない坂井の違いもあるのか。先例に照らせば、脱藩者である江藤は、切腹を命じられる可能性も充分にあり得る。
「今度こそは…、おい(俺)がそうはさせん。」
急に真剣な顔つきを見せた、大木。

江藤よりも年下の親友・中野方蔵を救えなかった、大木の表情には、そんな無念も背負っている風が見えた。
〔参照:第17話「佐賀脱藩」⑱(青葉茂れる頃に)〕
もう1人の親友・江藤までも失ってなるものかという気迫がある。
簡単に酒が回ってしまうような大木ではない。酔いはあまり関係は無さそうで、強い決意が浮かんでいた。
(続く)
江戸期を通じて、機密の保持には相当厳しく、とくに脱藩の罪は重い…という印象が強い、佐賀藩。
文久二年(1862年)夏に佐賀から脱藩し、京都で活動した江藤新平ですが、意外や、大殿(前藩主)・鍋島直正の指示は“捕縛”ではありませんでした。
ここで、直正(閑叟)は、脱藩者・江藤を京の都まで家族に迎えに行かせ、連れ戻すよう命じたといいます。
〔参照(終盤):
かなり年配となっていた、江藤の父・助右衛門にその役目が伝えられ、江藤の同志たちの動きも慌ただしくなってきます。
――秋。夕暮れの時を迎えている、佐賀城下。
城下に張り巡らされている水路に映えた夕日も、すっかり姿を消していた。秋の陽射しが存外に強かったのか、まだ温い感じの宵闇である。
「大木さん、江藤の家に、御城からの遣いが来とった!」
大木民平(喬任)の家に駆け込んできた藩士は、坂井辰之允という名だ。
「そがんか、ついに動いたか。」
どっかりと座っていた、大木が立ち上がる。傍らには、書物と酒がある、いつもの風景である。
「助右衛門さんが、呼び出されたらしかです。」
坂井が状況を説明する。
江藤が京から送った報告書、「京都見聞」という表題だが、都での政局や人物に関する詳細な情報を記していた。
〔参照(中盤):
――その報告書「京都見聞」の送り先が、この2名だった。
あわせて江藤からの便りには、佐賀に残した家族への心配も綴られていた。
熱い使命感で、佐賀から飛びだしていった江藤。もちろん、脱藩者となったことで、老親や妻子の扱いに不安がある。
そこで、江藤は脱藩の計画をともに練った大木と、信頼できそうな坂井あてに書状で家族への支援も頼んでいたのだ。
〔参照:
「助右衛門さんも、さすがにご老体だ。任務を負った旅路に耐えられるか…」
坂井がいたって具体的に、江藤の父親の体調を心配する。
「いや、よかごたぞ。役人が捕らえに向かうよりは、よほどよかばい。」
大木は勢いよく、そう述べた。
――たしかに武装した藩吏が、捕縛に向かうならば、
江藤は“罪人”扱いということになる。脱藩は重罪であるため、その後の展開にも期待はできない。
家族に迎えに行かせるとは“重罪人”に対する処遇ではないから、まだ、一縷(いちる)の望みを持つことができそうだ。
それに江藤も、一応は、まだ藩の役人扱いされている事もうかがえる。
――ここで、大木がニッと笑った。
「さすがは閑叟さまだな。江藤の報告を、お読みになったか。」
ここで、“してやったり”という達成感のある表情を見せた、大木。やはり開明的な名君で知られる、佐賀の鍋島直正(閑叟)だ。
江藤は単身乗り込んだ京の都で、余人では考えられない速度で、情報収集を行い、短期間で緻密な報告を作りあげている。
大木たちには、激動の京都での政局が資金や人員の動きも含めてわかる、江藤の報告書さえ、直正(閑叟)の手元まで届けば、望みはつながる…という確信があった。
“名君”として語られるだけの実力者で、幕府や全国の大名からも、常々、その動向を気にされるほどの閑叟(直正)。
あの江藤の才能で、全力をもって調べ上げた報告書「京都見聞」を見て、何も読み取れないはずがない。
――大木には“忠義の侍”から、少し遠いところがある。
「それでこそ、佐賀の大殿としての値打ちがあると言うものだ。」
何だか“値踏み”するような、家臣としては、ある意味、無礼な物言いである。
「…また、始まったとですか。“大木節”が。」
坂井は少し呆れ気味だが、わりと大木は目先ではなく、遠いところを見る。
大木の考え方では、幕府の将軍も佐賀の藩主も、結局のところ、天皇(朝廷)の臣下に過ぎない。
歴史の行きがかり上で、大木の一族も、鍋島家の配下にいるという理屈だ。
――そして、大木は、自身も“朝廷の臣”と思っているので、
佐賀の“殿様”に、自分が付いていく価値があるかを論評するのだ。
その考え方は、先日、世を去った師匠・枝吉神陽の“日本一君論”の教えにも沿っている。
この辺り、勤王の志は高いが、かなり“鍋島武士”としての気質も強いような、江藤とも少し違ったところがある。
大木は「いま、この時」に起きることも、まるで歴史書の一部であるかのように、高い視点から眺めているような時がある。
「…わかった、わかりましたばい。」
ここで、坂井が水を差す。
――寡黙な大木にしては語ったが、
「今はそがん事、言うとる場合では、なかです。」
一方の坂井は、ひとまず現実的な心配をしている。これは、江藤の期待どおりの役回りなのだろうか。
「坂井、すまん。おい(俺)も、少々は嬉しかったのだ。」
口では、佐賀の大殿を“試した”ような言い方をする大木だが、実際のところ、思惑どおりに同志・江藤の報告が届いたのは痛快らしい。
大木とて、江藤の報告書は何としても届けたかったので、ひとまず努力が報われた事になる。
――坂井が、次の思案をする。
「江藤家の様子はうかがってきますが、どう進めたらよかでしょうな。」
幾分は冷静な対話になってきた。
「おう。こっちは三瀬に居る、古賀につなぎを取る。」
大木は仲間うちの連絡を画策した。江藤が佐賀に帰ってくる時は、きっと義祭同盟の仲間・古賀一平が番人を務める、三瀬峠を通るだろう。
ひとたび佐賀に入ってからは、藩庁がどのように指示を出すか、これは予測の付かないところがある。
――ここで不敵に微笑む、大木。
「面白うなってきたとよ。」
「そのように楽観してよかですか。江藤さんの扱いがどうなるか。」
例によって酒が入っている大木と、そうでない坂井の違いもあるのか。先例に照らせば、脱藩者である江藤は、切腹を命じられる可能性も充分にあり得る。
「今度こそは…、おい(俺)がそうはさせん。」
急に真剣な顔つきを見せた、大木。
江藤よりも年下の親友・中野方蔵を救えなかった、大木の表情には、そんな無念も背負っている風が見えた。
〔参照:
もう1人の親友・江藤までも失ってなるものかという気迫がある。
簡単に酒が回ってしまうような大木ではない。酔いはあまり関係は無さそうで、強い決意が浮かんでいた。
(続く)
Posted by SR at 22:03 | Comments(0) | 第19話「閑叟上洛」
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