2022年02月01日
第17話「佐賀脱藩」⑯(つながりは諸刃の剣)
こんばんは。
文久二年(1862年)。年明け早々の江戸市中。ある銭湯に来ていた、佐賀藩士・中野方蔵は逃げ道のない窮地にありました。
中野は、親友の二人。熟慮する大木喬任(民平)とも、理論派の江藤新平とも少し違ったタイプで、人との交流に長けている印象です。
佐賀から全国へ、今後の政局に向けた人脈をつくるため、中野は、留学先の幕府の学問所だけでなく、市中の私塾にも出入りしました。
この時期、皇女・和宮の江戸降嫁に際して、儒学者・大橋訥庵らに挙兵を企てた容疑がかかっており、関係者が次々と捕縛(ほばく)されています。
人付き合いの範囲が広い中野は、この大橋の塾にも出入りしていたのです。では、前回のラストの場面から、ご覧ください。

――銭湯の表口から幕府の捕り方が、中野方蔵を取り囲む。
「佐賀の中野方蔵だな。おぬし…、大橋訥庵の塾に出入りしたであろう!」
捕り方のまとめ役が“御用改め”について、第一声を発した。
「はっ、佐賀の中野と申すは、それがしにござります。」
「神妙(しんみょう)にいたせ!」
「仰せのとおり、大橋の塾に出入りしたことがござります。」
「…そうか、認めるか。」
――充実した、他藩の志士との交友関係。
それが自身を危機にと追いやっているのだが、中野は泰然としている。
「何か大事でも、起き申したか。」
逆に捕り方に質問をする中野。
「…極めて、不埒(ふらち)な企てがあったと申しておこう。」
捕り方は言葉をにごした。江戸に入られた皇女・和宮“奪還”の計画があったなどど、口にできない。町人や下級武士も多い銭湯などで語れる事ではない。

――何やら、どちらが尋問しているかわからない。
先んじて、話をぐいぐいと進める中野。
「それは、けしからぬ事。そのような塾と見抜けず、恥じ入りまする。」
「中野とか申す者。その方にも疑いはかかっておるのだぞ。」
捕り方は、少し呆れたような物言いをした。
「それがしが存じおるような事柄は、包み隠さず申し上げます。」
「…それは、殊勝(しゅしょう)な心がけではないか。」
「かかるお疑いを持たれるとは、それがしの不徳の致すところ。」
「…では、お縄を頂戴(ちょうだい)しろ。」
――粛々と“仕事”は進むが、中野の勢いに押され気味の幕府の捕り方。
「やむを得ぬ事に、ございます。」
中野は、やけに、あっさり“捕まる”と答えた。
「…わかっておるではないか。」
捕り方が、拍子(ひょうし)抜けした表情を見せる。
中野方蔵については、意外に“豪傑肌”という評価もある。逃げても捕まるから得策ではないと考えたか、粛々(しゅくしゅく)と受け答えを進める。

――中野が来た銭湯は、一時騒然とした。
捕り方のまとめ役が、少し調子を崩して、こう言った。
「では、…引っ立てぇ~ぃ。」
「おいおい。あの兄ちゃん、連れて行かれちまったぜ…」
しばらく江戸っ子たちは、どよめいていたが、直に世間話へと戻っていった。
和宮の行列が江戸へと入った、文久元年の年末から翌・文久二年の年明けまで、このように志士の捕縛は相次いでいた。
黙っていなかったのは“尊王攘夷”思想の儒学者・大橋訥庵に連なる者たち。その中でも過激な残党だった。
――そして、中野が幕吏に捕らえられてから3日ほど後。
パァン!
江戸城・坂下門外に銃声が響く。弾丸は老中・安藤信正の乗る、駕籠(かご)に向けて放たれた。
「天子さまを唆(そそのか)し、皇女さまを江戸にお連れ奉った事、許せん。」
「奸物(かんぶつ)、安藤め。覚悟しろ!」
まず駕籠への銃声で合図を兼ねて、襲撃対象者の足を止めて斬りかかる。
この2年近く前にも水戸脱藩などの浪士たちが、大老・井伊直弼を襲撃した。その“桜田門外の変”を思わせるような手口だった。
(続く)
文久二年(1862年)。年明け早々の江戸市中。ある銭湯に来ていた、佐賀藩士・中野方蔵は逃げ道のない窮地にありました。
中野は、親友の二人。熟慮する大木喬任(民平)とも、理論派の江藤新平とも少し違ったタイプで、人との交流に長けている印象です。
佐賀から全国へ、今後の政局に向けた人脈をつくるため、中野は、留学先の幕府の学問所だけでなく、市中の私塾にも出入りしました。
この時期、皇女・和宮の江戸降嫁に際して、儒学者・大橋訥庵らに挙兵を企てた容疑がかかっており、関係者が次々と捕縛(ほばく)されています。
人付き合いの範囲が広い中野は、この大橋の塾にも出入りしていたのです。では、前回のラストの場面から、ご覧ください。
――銭湯の表口から幕府の捕り方が、中野方蔵を取り囲む。
「佐賀の中野方蔵だな。おぬし…、大橋訥庵の塾に出入りしたであろう!」
捕り方のまとめ役が“御用改め”について、第一声を発した。
「はっ、佐賀の中野と申すは、それがしにござります。」
「神妙(しんみょう)にいたせ!」
「仰せのとおり、大橋の塾に出入りしたことがござります。」
「…そうか、認めるか。」
――充実した、他藩の志士との交友関係。
それが自身を危機にと追いやっているのだが、中野は泰然としている。
「何か大事でも、起き申したか。」
逆に捕り方に質問をする中野。
「…極めて、不埒(ふらち)な企てがあったと申しておこう。」
捕り方は言葉をにごした。江戸に入られた皇女・和宮“奪還”の計画があったなどど、口にできない。町人や下級武士も多い銭湯などで語れる事ではない。
――何やら、どちらが尋問しているかわからない。
先んじて、話をぐいぐいと進める中野。
「それは、けしからぬ事。そのような塾と見抜けず、恥じ入りまする。」
「中野とか申す者。その方にも疑いはかかっておるのだぞ。」
捕り方は、少し呆れたような物言いをした。
「それがしが存じおるような事柄は、包み隠さず申し上げます。」
「…それは、殊勝(しゅしょう)な心がけではないか。」
「かかるお疑いを持たれるとは、それがしの不徳の致すところ。」
「…では、お縄を頂戴(ちょうだい)しろ。」
――粛々と“仕事”は進むが、中野の勢いに押され気味の幕府の捕り方。
「やむを得ぬ事に、ございます。」
中野は、やけに、あっさり“捕まる”と答えた。
「…わかっておるではないか。」
捕り方が、拍子(ひょうし)抜けした表情を見せる。
中野方蔵については、意外に“豪傑肌”という評価もある。逃げても捕まるから得策ではないと考えたか、粛々(しゅくしゅく)と受け答えを進める。
――中野が来た銭湯は、一時騒然とした。
捕り方のまとめ役が、少し調子を崩して、こう言った。
「では、…引っ立てぇ~ぃ。」
「おいおい。あの兄ちゃん、連れて行かれちまったぜ…」
しばらく江戸っ子たちは、どよめいていたが、直に世間話へと戻っていった。
和宮の行列が江戸へと入った、文久元年の年末から翌・文久二年の年明けまで、このように志士の捕縛は相次いでいた。
黙っていなかったのは“尊王攘夷”思想の儒学者・大橋訥庵に連なる者たち。その中でも過激な残党だった。
――そして、中野が幕吏に捕らえられてから3日ほど後。
パァン!
江戸城・坂下門外に銃声が響く。弾丸は老中・安藤信正の乗る、駕籠(かご)に向けて放たれた。
「天子さまを唆(そそのか)し、皇女さまを江戸にお連れ奉った事、許せん。」
「奸物(かんぶつ)、安藤め。覚悟しろ!」
まず駕籠への銃声で合図を兼ねて、襲撃対象者の足を止めて斬りかかる。
この2年近く前にも水戸脱藩などの浪士たちが、大老・井伊直弼を襲撃した。その“桜田門外の変”を思わせるような手口だった。
(続く)
Posted by SR at 22:59 | Comments(0) | 第17話「佐賀脱藩」
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