2022年02月12日
第17話「佐賀脱藩」⑲(残された2人)
こんばんは。前回の続きです。
文久二年(1862年)の五月。佐賀藩士・中野方蔵は、“坂下門外の変”への関与を疑われ、江戸の牢獄に入ったまま、その生涯を閉じました。
中野の親友だった大木喬任(民平)・江藤新平の二人は、しばらく後の六月に詳細を知ります。
“坂下門外の変”の負傷もあり、老中・安藤信正は辞職。幕政は揺らぎます。
その頃、薩摩藩(鹿児島)や長州藩(山口)は、朝廷の権威による力を得るべく京都で積極的に活動。雄藩は政局への影響力を競い始めていました。

――佐賀城下。大木の家。
「大木さん、邪魔をするぞ!」
きわめて険しい表情をした江藤新平。勢いよく大木家の土間へと至る。
「…ああ、江藤。ようやく来たか。」
大木喬任(民平)は、少し呆けたようにぼんやりとしている。
江戸から来た手紙はあるが、もはや差出人は親友・中野方蔵ではない。
「我ら二人は、また中野に置いて行かれてしまったようだ。」
――江藤の眼前に浮かぶ、今まで見たことのない大木の表情。
その目には、あふれんばかりの涙が不自然なほどに溜まっていた。
「正しく状況を伝えてほしい。中野はどうしたのか。」
江藤が鋭く問う。本心では、大木の答えを聞きたくはない。
「…旅立ったよ。俺たちを置いて、あの雲の向こうにな。」
ここでも、大木は気の抜けたように続けた。
「そげな感傷にひたっている場合か!」
「大木さん…、今日のところは、失礼する!」
続けざまにピリピリと響くような声を発する、江藤。入った時と同じ勢いで家の玄関を出ていった。

――しばらく後、佐賀城下の屋敷に帰った、江藤。
江藤の妻・千代子が心配する。夫・新平の様子が明らかに落ち着かない。
「昼過ぎより、小城に行って参る。留守を頼む。」
かろうじて行き先を告げるも、いつもと違い千代子とは目を合わせない新平。その心が、悲しみに満ちていることは語らずとも伝わってくる。
「はい。お気を付けて。」
夫の背中には何らかの決意が見て取れる。あるいは、将来に予感した大事が、すでに起きているのかもしれない。
千代子はキュッと拳を握る。夫に変事があろうと、江藤家と幼い長男・熊太郎は守り切る。そう覚悟を決めていた。
――数日後。再び佐賀城下・大木家。江藤が来ている。
「先日は、無礼をした。」
「…いや、俺も相当に腑抜け(ふぬけ)ていたようだ。」
「中野は、よか男だった。」
「そうだな。我ら三人で、最も美しい生き方をしていたのは中野だった。」
「なれば、佳人(美人)薄命と言うべきか。」
「この文(ふみ)が、中野からの最後の言葉だ。」

――そこには、今までの想いを込めた手紙を大事にしてほしいとあった。
「よく文(ふみ)が届くと思ったが、我ら二人への“形見”とする覚悟だったか。」
中野は手紙でも、政治や教育のあるべき姿を熱く語っていた。
自身が倒れても、その想いは残そうとしたか。いつも走っていた中野の面影は、今も大木と江藤、二人の中にある。
「…だが、“佐賀の雲”で描いた我らの夢も、暴風に散り散り…だな。」
一見、諦(あきら)めたように語る、大木。
――だが、弱々しい、その言葉に反して。
江藤の顔を覗き込む、大木の眼差しには光があった。
「さて、江藤くん。そろそろ“本題”を言わんね。」
大木が、少し中野の口調を真似(まね)て語る。柄(がら)にもないことをするので、似ていない。
「…やはり、大木さんには、わかるようだな。」
江藤が失笑をこらえて、言葉を返す。
――ついに江藤は、その決意を語った。
「中野が斃(たお)れた今、佐賀は時勢に遅れる一方だ。」
「それだけ、あいつの存在は大きかったということだ。」
「吾(われ)のほかに、中野の代わりに立つべき者は居らぬ。」
ついに江藤は佐賀を脱藩し、政局の中心となりつつある京都で行動する計画を大木に打ち明けた。

「江藤、一寸(ちょっと)待て。」
大木は、双手の動きとともに、わかりやすく次の言葉を遮(さえぎ)った。
「大木さん。たしかに“国”を抜けることは重罪だ。」
「…佐賀は出入りに厳しかぞ。他国とは、同じに考えん方がよか。」
――時に、“二重鎖国”とまで語られる肥前佐賀藩。
佐賀城下では旅人の滞在期間も縛り、通行も長崎街道に制限する。情報管理には、とりわけ厳しい。ましてや佐賀藩士の脱藩など論外で、重罰は必至だ。
「それも覚悟のうえ。それゆえ、大木さんには、先んじて伝えている。」
「だから、少し待て。」
「いや、今立たねばならん。」
江藤は、大木に鋭く言葉を返す。後に引くつもりはないらしい。
「…誰も止めてはおらん。ただ、これを持っていけ。」
大木が立ち上がり、背後にある戸棚に向かう。然(しか)る後に、江藤に向けて突き出したのはズシンと重みのある袋だった。
(続く)
文久二年(1862年)の五月。佐賀藩士・中野方蔵は、“坂下門外の変”への関与を疑われ、江戸の牢獄に入ったまま、その生涯を閉じました。
中野の親友だった大木喬任(民平)・江藤新平の二人は、しばらく後の六月に詳細を知ります。
“坂下門外の変”の負傷もあり、老中・安藤信正は辞職。幕政は揺らぎます。
その頃、薩摩藩(鹿児島)や長州藩(山口)は、朝廷の権威による力を得るべく京都で積極的に活動。雄藩は政局への影響力を競い始めていました。
――佐賀城下。大木の家。
「大木さん、邪魔をするぞ!」
きわめて険しい表情をした江藤新平。勢いよく大木家の土間へと至る。
「…ああ、江藤。ようやく来たか。」
大木喬任(民平)は、少し呆けたようにぼんやりとしている。
江戸から来た手紙はあるが、もはや差出人は親友・中野方蔵ではない。
「我ら二人は、また中野に置いて行かれてしまったようだ。」
――江藤の眼前に浮かぶ、今まで見たことのない大木の表情。
その目には、あふれんばかりの涙が不自然なほどに溜まっていた。
「正しく状況を伝えてほしい。中野はどうしたのか。」
江藤が鋭く問う。本心では、大木の答えを聞きたくはない。
「…旅立ったよ。俺たちを置いて、あの雲の向こうにな。」
ここでも、大木は気の抜けたように続けた。
「そげな感傷にひたっている場合か!」
「大木さん…、今日のところは、失礼する!」
続けざまにピリピリと響くような声を発する、江藤。入った時と同じ勢いで家の玄関を出ていった。
――しばらく後、佐賀城下の屋敷に帰った、江藤。
江藤の妻・千代子が心配する。夫・新平の様子が明らかに落ち着かない。
「昼過ぎより、小城に行って参る。留守を頼む。」
かろうじて行き先を告げるも、いつもと違い千代子とは目を合わせない新平。その心が、悲しみに満ちていることは語らずとも伝わってくる。
「はい。お気を付けて。」
夫の背中には何らかの決意が見て取れる。あるいは、将来に予感した大事が、すでに起きているのかもしれない。
千代子はキュッと拳を握る。夫に変事があろうと、江藤家と幼い長男・熊太郎は守り切る。そう覚悟を決めていた。
――数日後。再び佐賀城下・大木家。江藤が来ている。
「先日は、無礼をした。」
「…いや、俺も相当に腑抜け(ふぬけ)ていたようだ。」
「中野は、よか男だった。」
「そうだな。我ら三人で、最も美しい生き方をしていたのは中野だった。」
「なれば、佳人(美人)薄命と言うべきか。」
「この文(ふみ)が、中野からの最後の言葉だ。」
――そこには、今までの想いを込めた手紙を大事にしてほしいとあった。
「よく文(ふみ)が届くと思ったが、我ら二人への“形見”とする覚悟だったか。」
中野は手紙でも、政治や教育のあるべき姿を熱く語っていた。
自身が倒れても、その想いは残そうとしたか。いつも走っていた中野の面影は、今も大木と江藤、二人の中にある。
「…だが、“佐賀の雲”で描いた我らの夢も、暴風に散り散り…だな。」
一見、諦(あきら)めたように語る、大木。
――だが、弱々しい、その言葉に反して。
江藤の顔を覗き込む、大木の眼差しには光があった。
「さて、江藤くん。そろそろ“本題”を言わんね。」
大木が、少し中野の口調を真似(まね)て語る。柄(がら)にもないことをするので、似ていない。
「…やはり、大木さんには、わかるようだな。」
江藤が失笑をこらえて、言葉を返す。
――ついに江藤は、その決意を語った。
「中野が斃(たお)れた今、佐賀は時勢に遅れる一方だ。」
「それだけ、あいつの存在は大きかったということだ。」
「吾(われ)のほかに、中野の代わりに立つべき者は居らぬ。」
ついに江藤は佐賀を脱藩し、政局の中心となりつつある京都で行動する計画を大木に打ち明けた。

「江藤、一寸(ちょっと)待て。」
大木は、双手の動きとともに、わかりやすく次の言葉を遮(さえぎ)った。
「大木さん。たしかに“国”を抜けることは重罪だ。」
「…佐賀は出入りに厳しかぞ。他国とは、同じに考えん方がよか。」
――時に、“二重鎖国”とまで語られる肥前佐賀藩。
佐賀城下では旅人の滞在期間も縛り、通行も長崎街道に制限する。情報管理には、とりわけ厳しい。ましてや佐賀藩士の脱藩など論外で、重罰は必至だ。
「それも覚悟のうえ。それゆえ、大木さんには、先んじて伝えている。」
「だから、少し待て。」
「いや、今立たねばならん。」
江藤は、大木に鋭く言葉を返す。後に引くつもりはないらしい。
「…誰も止めてはおらん。ただ、これを持っていけ。」
大木が立ち上がり、背後にある戸棚に向かう。然(しか)る後に、江藤に向けて突き出したのはズシンと重みのある袋だった。
(続く)
Posted by SR at 20:42 | Comments(0) | 第17話「佐賀脱藩」
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