2022年02月15日
第17話「佐賀脱藩」⑳(ご隠居が遣わす者)
こんばんは。前回の続きです。
現在のお話の前年、文久元年(1861年)に幕府に協力し、朝廷との橋渡しをする形で長州藩(山口)が、雄藩としての存在感を示します。
続く文久二年の春には、島津斉彬の異母弟で、薩摩藩を仕切る島津久光が動きます。京都に千人の兵を率いて上り、幕政改革への圧力をかけました。
先手を打たれたかと思えば打ち返し、加熱する薩長の競争。朝廷は“安全装置”とする思惑か、佐賀を含む他藩にも“勤王”を呼びかけたと言います。

こうして雄藩の政局への参画は強まります。カギとなるのは、京の都でした。
文久二年六月。江藤新平と大木喬任(民平)が向き合う佐賀城下の大木家。親友・中野方蔵の想いは、この2人に受け継がれています。
――明らかに金の入った袋を、江藤に突き出す大木。
「大木さん、これは何の真似(まね)だ。」
「…言わねばわからんか。こいは、餞別(せんべつ)たい。」
大木は、言葉を続ける。
「お前がどれだけ金子(きんす)を整えておるかは知らん。」
「ただ資金もなく、有為の動きができると思わんことだ。」
「その理はわかる。しかし、これだけの金を受け取る道理もない。」
――江藤の言葉に軽く笑みを浮かべる、大木。
「…俺は狡(ずる)いのだ。中野の想いをお前に押しつけようとしている。」
「では、大木さんも、ともに佐賀を出るか。」
江藤は発言の真意を測りかねた。大木も想いは同じで、ともに脱藩したいのではないか。
「いや、俺は行かぬ。」
大木は算段をしていた。二人で動けばそれだけ目立ち、出費は嵩(かさ)む。
中野が生きていた時には「早く、大木兄さんも江戸に来てください」とやたらに引っ張られたが、単独でも動けると期待されたのは、むしろ江藤だろう。
〔参照:第15話「江戸動乱」④(起きろ!兄さん!)〕

――ここは江藤を先に行かせねばならぬ。大木はそう考えた。
「…中野は、よう見えとったばい。放っておいても、江藤は動くとな。」
「承知した。金はありがたく“借り受ける”ことにする。」
大木の想いと、当座の資金が詰まった袋を受け取り、恭しく礼をする。京では他藩と関わるだけでなく、公家にも当たらねばならない。
資金が幾らでも要るのは、江藤もわかっていた。
「…して、佐賀を出てどうするつもりだ。」
「中野が居らぬ、江戸に出ても意義はなか。京で“形勢”を探る。」
――もともと同じ想いだった二人。本題に入る。
「江藤。京の都に行くとは…、古川さまと関わりがあるごたな。」
「然(しか)り。閑叟さまのもとを離れないはずの御仁が、佐賀を発った。」
六月の上旬には、佐賀の前藩主・鍋島直正の幼少期からの側近、古川与一(松根)が京都に派遣された。
古川は、直正の生活面の手配りをする人物。芸術にも造詣が深く、審美眼のある一級の文化人でもある。
直正(閑叟)は、「与一がいないと、何かと不便だ…」とか直ぐ言い出すそうだ。西洋風に言えば、古川は有能な執事である。
〔参照(中盤):第16話「攘夷沸騰」⑦(父娘の心配事)〕

――この主従が離れて行動するには、それなりの訳があるに違いない。
「古川さまは、京で公家衆に接触するはず。」
佐賀藩において文化的素養の高さで、古川の右に出る者は思い当たらない。この人選は、朝廷から佐賀へ内密の打診があったのかもしれない。
「近々に、閑叟さまは、京へと向かうのであろう。」
「なるほど。佐賀の動きに先駆けて、江藤が調べを行うのだな。」
隠居して自由の身となった、佐賀の前藩主・鍋島直正(閑叟)。その動向は、全国から注目される。
――ここからの佐賀の動きは、諸国にも影響するはずだ。
「…やがては、この国の行く末を決するに相違ない。」
江藤は確信を持ったように、言葉を結んだ。
亡き友・中野方蔵が志した、朝廷のもとに民が集う“国”を目指す。そこには、西洋の知識に通じた、佐賀藩の存在が不可欠なはずだ。
「佐賀が動くことが、中野が想った“国の形”につながるのか。」
「そこまで、閑叟さまをお連れする事、それは我が役目と心得ている。」
諸外国との力の差を考えない、無謀な攘夷論が渦巻く京の都。佐賀のご隠居・鍋島直正(閑叟)が、上洛した際に巻き込まれぬよう“道案内”が要る。
江藤の真意を聞くや、大木はニッと表情を緩めた。
(続く)
現在のお話の前年、文久元年(1861年)に幕府に協力し、朝廷との橋渡しをする形で長州藩(山口)が、雄藩としての存在感を示します。
続く文久二年の春には、島津斉彬の異母弟で、薩摩藩を仕切る島津久光が動きます。京都に千人の兵を率いて上り、幕政改革への圧力をかけました。
先手を打たれたかと思えば打ち返し、加熱する薩長の競争。朝廷は“安全装置”とする思惑か、佐賀を含む他藩にも“勤王”を呼びかけたと言います。

こうして雄藩の政局への参画は強まります。カギとなるのは、京の都でした。
文久二年六月。江藤新平と大木喬任(民平)が向き合う佐賀城下の大木家。親友・中野方蔵の想いは、この2人に受け継がれています。
――明らかに金の入った袋を、江藤に突き出す大木。
「大木さん、これは何の真似(まね)だ。」
「…言わねばわからんか。こいは、餞別(せんべつ)たい。」
大木は、言葉を続ける。
「お前がどれだけ金子(きんす)を整えておるかは知らん。」
「ただ資金もなく、有為の動きができると思わんことだ。」
「その理はわかる。しかし、これだけの金を受け取る道理もない。」
――江藤の言葉に軽く笑みを浮かべる、大木。
「…俺は狡(ずる)いのだ。中野の想いをお前に押しつけようとしている。」
「では、大木さんも、ともに佐賀を出るか。」
江藤は発言の真意を測りかねた。大木も想いは同じで、ともに脱藩したいのではないか。
「いや、俺は行かぬ。」
大木は算段をしていた。二人で動けばそれだけ目立ち、出費は嵩(かさ)む。
中野が生きていた時には「早く、大木兄さんも江戸に来てください」とやたらに引っ張られたが、単独でも動けると期待されたのは、むしろ江藤だろう。
〔参照:
――ここは江藤を先に行かせねばならぬ。大木はそう考えた。
「…中野は、よう見えとったばい。放っておいても、江藤は動くとな。」
「承知した。金はありがたく“借り受ける”ことにする。」
大木の想いと、当座の資金が詰まった袋を受け取り、恭しく礼をする。京では他藩と関わるだけでなく、公家にも当たらねばならない。
資金が幾らでも要るのは、江藤もわかっていた。
「…して、佐賀を出てどうするつもりだ。」
「中野が居らぬ、江戸に出ても意義はなか。京で“形勢”を探る。」
――もともと同じ想いだった二人。本題に入る。
「江藤。京の都に行くとは…、古川さまと関わりがあるごたな。」
「然(しか)り。閑叟さまのもとを離れないはずの御仁が、佐賀を発った。」
六月の上旬には、佐賀の前藩主・鍋島直正の幼少期からの側近、古川与一(松根)が京都に派遣された。
古川は、直正の生活面の手配りをする人物。芸術にも造詣が深く、審美眼のある一級の文化人でもある。
直正(閑叟)は、「与一がいないと、何かと不便だ…」とか直ぐ言い出すそうだ。西洋風に言えば、古川は有能な執事である。
〔参照(中盤):
――この主従が離れて行動するには、それなりの訳があるに違いない。
「古川さまは、京で公家衆に接触するはず。」
佐賀藩において文化的素養の高さで、古川の右に出る者は思い当たらない。この人選は、朝廷から佐賀へ内密の打診があったのかもしれない。
「近々に、閑叟さまは、京へと向かうのであろう。」
「なるほど。佐賀の動きに先駆けて、江藤が調べを行うのだな。」
隠居して自由の身となった、佐賀の前藩主・鍋島直正(閑叟)。その動向は、全国から注目される。
――ここからの佐賀の動きは、諸国にも影響するはずだ。
「…やがては、この国の行く末を決するに相違ない。」
江藤は確信を持ったように、言葉を結んだ。
亡き友・中野方蔵が志した、朝廷のもとに民が集う“国”を目指す。そこには、西洋の知識に通じた、佐賀藩の存在が不可欠なはずだ。
「佐賀が動くことが、中野が想った“国の形”につながるのか。」
「そこまで、閑叟さまをお連れする事、それは我が役目と心得ている。」
諸外国との力の差を考えない、無謀な攘夷論が渦巻く京の都。佐賀のご隠居・鍋島直正(閑叟)が、上洛した際に巻き込まれぬよう“道案内”が要る。
江藤の真意を聞くや、大木はニッと表情を緩めた。
(続く)
Posted by SR at 22:33 | Comments(0) | 第17話「佐賀脱藩」
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