2024年03月05日
第20話「長崎方控」①(“よか男”の通らす道)
こんばんは。
本編・第20話を始めます。第一幕は佐賀県の民謡『岳の新太郎さん』から、着想したエピソードです。しばし“物語”に、お付き合いください。
舞台は現在の長崎県諫早市から佐賀県太良町へと続く“多良海道”で、長崎からの帰路の設定。時期のイメージは、文久二年(1862年)の秋。

佐賀藩から出ずに長崎と往復可能な「便利なルート」を行く若い男性が2人。ともに佐賀の侍ですが、ひときわ背丈もあるのが、大隈八太郎(重信)。
もう1人も、普通の武士とは一風変わった印象があります。山口範蔵(尚芳)という人物なのですが…
――多良岳から経ヶ岳への稜線が青く光って見える。
「あ~よか天気ばい。」
「そうですね。ナイス サニー ディ」
「何ね…?差(さ)に出(い)で…?」
大隈八太郎は、その言い回しに困惑した。この山口範蔵という男、時折、聞き取れない異国の言葉を発する。
「こいは、失礼。」
山口は「つい、英語が出てきた…」という顔をした。大隈は「実はわかっとるよ」という表情を返した。負けず嫌いである。
ガラン…、ガラン…と傍の小川では、水車が音をたてていた。この村は、収穫後の作業で忙しい時期かもしれない。

――どこからともなく、女性たちの歌声がする…
声の主は、若い村娘たちのようだ。
「たけの~しんたろさんの~♪」
大隈が、先に気付いた。
「…ほう、女子たちの元気のよかごたね。」
「はい、女性が元気なのは、良かことです。」
山口がフッと笑った。“西洋かぶれ”というか、何だか気取って見える。
村娘たちは、川向かいの小屋の横で作業をしているらしく、歩く2人の視界にもその姿が見えてきた。
――よく働くようだが、同時に歌も盛り上がってきている。
歌う娘によって、曲の調子も音程もまちまち。荷を運ぶ勢いでも付けるふうだ。芸事と見れば、お世辞にも上手とは言えないが、活発な可愛らしさはある。
「いろしゃのすいしゃで~♪きは、ざんざ~♪」
山口は、耳ざわりが良いな…ばかりにと娘たちの歌を聞き流すが、大隈は、そもそも何を歌っているのかが、気になる様子だ。
「娘たちは、何ば言いよっとね?」
「あぁ“色者の粋者で、気はザンザ”と歌いよるそうです。」

「道ば通りよる…“たけの しんたろう”って誰ね?」
「昔、ここを“よか男”が通って、娘たちの気持ちがざわつきよったですよ。」
この辺りの土地の事情にも、やけに詳しい山口。長崎との往来には、とくに慣れている様子だ。
――歌われている“岳の新太郎”は、文化・文政年間の美少年と伝わる。
佐賀藩で言えば鍋島直正が、数え17歳で藩主に就任した天保年間より、さらに前の年代が文化・文政の年間。
1830年(天保元年)より古いから、この時点からは「30年以上前の“よか男”への恋心の歌」ということになる。
次々と質問をぶつける大隈に対して、山口は淡々と説明を返す。
「そいぎ、随分と昔の話ということです。」
「その“新太郎”さんも生きておれば、今頃、相当なじいさんとよ。」
「寺侍だったと聞きますが、勤めは、金泉寺かと思いよるです。」
「本当に、ただの寺侍とね?」

修験道の聖地としても知られる、多良岳にあるという金泉寺。そこからは、有明海をゆく船の出入りも見通せるらしい。
そして、戦国期よりも古い時代から、修験道を行ずる山伏たちは、諸国の情報収集に長けていたという。
――山口も「おいにも、わからんとです」とさらりと返した。
当時の武雄領主・鍋島茂義に才能を見いだされた、山口範蔵。以前から長崎に学問の修行に出ており、はじめオランダ語を習得した。
今は長崎奉行所に設けられた伝習の教場で、イギリスの言葉という英語を学んでいる。
大隈とて、大殿・鍋島直正(閑叟)にオランダの法律などを講義することもあるが、英語には、ほとんど手を出せてはいない。
――歩くうちに村娘たちの声が、より近づいてきた。
「岳の~新太郎さんの~登らす道にゃ~♪」
興が乗ってきたのか、2番の歌唱に入る。ここで、川向かいの2人と村娘たちで目線が合った。
すかさず、山口は「ごきげんよう」と言うふうに会釈をした。動きが西洋かぶれで、幾分キザに見える。

まさに、“よか男”の歌に興じた女子たちは、山口の不思議な挨拶に面食らうも、ちょっと盛り上がっているようだ。
「にゃ~、山口。気取った男ばい。」
大隈は、後れを取った…と感じるのか、少し気にさわったふうですねている。
――のちに、山口尚芳(ますか)として知られる、山口範蔵。
明治期には、もともと大隈重信(八太郎)が発案していた西洋への使節に、行きがかり上、“大隈の代わり”として参加する立場となる。
10年ほど前のこの時点では、佐賀藩でさえ、オランダの蘭学からイギリスの英学へと関心が移りはじめたところだった。
英語の習得でも、時代の一歩先を進んでいたのが、武雄領出身の山口範蔵(尚芳)だった。
(続く)
◎参考記事
○佐賀県民謡「岳の新太郎さん」
・「幕末娘の“推し活”」
・「主に太良町民の皆様を対象にしたつぶやき」
○山口尚芳(やまぐちますか、山口範蔵)
・「魅力度と“第三の男”(前編)」
・「魅力度と“第三の男”(後編)」
本編・第20話を始めます。第一幕は佐賀県の民謡『岳の新太郎さん』から、着想したエピソードです。しばし“物語”に、お付き合いください。
舞台は現在の長崎県諫早市から佐賀県太良町へと続く“多良海道”で、長崎からの帰路の設定。時期のイメージは、文久二年(1862年)の秋。
佐賀藩から出ずに長崎と往復可能な「便利なルート」を行く若い男性が2人。ともに佐賀の侍ですが、ひときわ背丈もあるのが、大隈八太郎(重信)。
もう1人も、普通の武士とは一風変わった印象があります。山口範蔵(尚芳)という人物なのですが…
――多良岳から経ヶ岳への稜線が青く光って見える。
「あ~よか天気ばい。」
「そうですね。ナイス サニー ディ」
「何ね…?差(さ)に出(い)で…?」
大隈八太郎は、その言い回しに困惑した。この山口範蔵という男、時折、聞き取れない異国の言葉を発する。
「こいは、失礼。」
山口は「つい、英語が出てきた…」という顔をした。大隈は「実はわかっとるよ」という表情を返した。負けず嫌いである。
ガラン…、ガラン…と傍の小川では、水車が音をたてていた。この村は、収穫後の作業で忙しい時期かもしれない。
――どこからともなく、女性たちの歌声がする…
声の主は、若い村娘たちのようだ。
「たけの~しんたろさんの~♪」
大隈が、先に気付いた。
「…ほう、女子たちの元気のよかごたね。」
「はい、女性が元気なのは、良かことです。」
山口がフッと笑った。“西洋かぶれ”というか、何だか気取って見える。
村娘たちは、川向かいの小屋の横で作業をしているらしく、歩く2人の視界にもその姿が見えてきた。
――よく働くようだが、同時に歌も盛り上がってきている。
歌う娘によって、曲の調子も音程もまちまち。荷を運ぶ勢いでも付けるふうだ。芸事と見れば、お世辞にも上手とは言えないが、活発な可愛らしさはある。
「いろしゃのすいしゃで~♪きは、ざんざ~♪」
山口は、耳ざわりが良いな…ばかりにと娘たちの歌を聞き流すが、大隈は、そもそも何を歌っているのかが、気になる様子だ。
「娘たちは、何ば言いよっとね?」
「あぁ“色者の粋者で、気はザンザ”と歌いよるそうです。」
「道ば通りよる…“たけの しんたろう”って誰ね?」
「昔、ここを“よか男”が通って、娘たちの気持ちがざわつきよったですよ。」
この辺りの土地の事情にも、やけに詳しい山口。長崎との往来には、とくに慣れている様子だ。
――歌われている“岳の新太郎”は、文化・文政年間の美少年と伝わる。
佐賀藩で言えば鍋島直正が、数え17歳で藩主に就任した天保年間より、さらに前の年代が文化・文政の年間。
1830年(天保元年)より古いから、この時点からは「30年以上前の“よか男”への恋心の歌」ということになる。
次々と質問をぶつける大隈に対して、山口は淡々と説明を返す。
「そいぎ、随分と昔の話ということです。」
「その“新太郎”さんも生きておれば、今頃、相当なじいさんとよ。」
「寺侍だったと聞きますが、勤めは、金泉寺かと思いよるです。」
「本当に、ただの寺侍とね?」
修験道の聖地としても知られる、多良岳にあるという金泉寺。そこからは、有明海をゆく船の出入りも見通せるらしい。
そして、戦国期よりも古い時代から、修験道を行ずる山伏たちは、諸国の情報収集に長けていたという。
――山口も「おいにも、わからんとです」とさらりと返した。
当時の武雄領主・鍋島茂義に才能を見いだされた、山口範蔵。以前から長崎に学問の修行に出ており、はじめオランダ語を習得した。
今は長崎奉行所に設けられた伝習の教場で、イギリスの言葉という英語を学んでいる。
大隈とて、大殿・鍋島直正(閑叟)にオランダの法律などを講義することもあるが、英語には、ほとんど手を出せてはいない。
――歩くうちに村娘たちの声が、より近づいてきた。
「岳の~新太郎さんの~登らす道にゃ~♪」
興が乗ってきたのか、2番の歌唱に入る。ここで、川向かいの2人と村娘たちで目線が合った。
すかさず、山口は「ごきげんよう」と言うふうに会釈をした。動きが西洋かぶれで、幾分キザに見える。
まさに、“よか男”の歌に興じた女子たちは、山口の不思議な挨拶に面食らうも、ちょっと盛り上がっているようだ。
「にゃ~、山口。気取った男ばい。」
大隈は、後れを取った…と感じるのか、少し気にさわったふうですねている。
――のちに、山口尚芳(ますか)として知られる、山口範蔵。
明治期には、もともと大隈重信(八太郎)が発案していた西洋への使節に、行きがかり上、“大隈の代わり”として参加する立場となる。
10年ほど前のこの時点では、佐賀藩でさえ、オランダの蘭学からイギリスの英学へと関心が移りはじめたところだった。
英語の習得でも、時代の一歩先を進んでいたのが、武雄領出身の山口範蔵(尚芳)だった。
(続く)
◎参考記事
○佐賀県民謡「岳の新太郎さん」
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○山口尚芳(やまぐちますか、山口範蔵)
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Posted by SR at 21:48 | Comments(0) | 第20話「長崎方控」
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