2024年07月18日
「滑込の剣」(6)“開拓神”と、もう1人
こんばんは。『さがファンブログ』で得た情報から、県庁のモニュメントを探しに行った話の続きです。
現在、200万人に近い人口を擁する、札幌の街を創り出した人物・島義勇の銅像と目が合いました。
佐賀の誇る賢人たちの姿を見かけると、多少の会話が始まるのが、当ブログの特徴です。いつもの感じで綴ります。
――明治初期、北海道(蝦夷地)の開拓判官という立場で
当地に趣き、数か月で現在の大都市・札幌の基礎設計を成し遂げた、島義勇(団右衛門)。佐賀の人が、親しみを込めて呼ぶと“団にょん”さん。
明治初期、札幌の地は「四方広漠の平原」、言うならば「な~んも無か」みたいな場所だったらしい。“団にょん”は、そこを世界一の都市にしようと志した。

「団にょん…、いや“判官さま”とお呼びした方がよろしいでしょうか。」
急に恐縮しだした私である。たしかに“本編”を書く時には、島義勇の登場が、かなり少ない傾向がある。
しかも、蝦夷地(北海道)探索についての第11話『蝦夷探検』で歩き回った以外は、砂ぼこりをあげて走っている…感じの描写ばかりだ。
――繰り返すが、大都市・札幌の基礎を築いた、すごい人である。
「一応は、わい(お前)も佐賀ん者たい。“団にょん”さんでよかとよ。」
北海道開拓の英雄を“判官さま”とお呼びしても良いかもしれないが、せっかくの話の流れなので、そのまま佐賀藩士(?)として振る舞いたい。
「ありがとうございます。“団にょん”さま。」
それとなく、強めに敬意は込めてみた。
「“SR”とか言いよったか。意外に調子のよか奴とね~」
島義勇、明治新政府の権力者とはよく衝突したが、直属の部下や現場で働く人々の評判は良かったようで、男気のある“アニキ”な印象の人物だ。
――その時である。「君はここで、時ば費やしてもよかとか。」

なんだか“団にょん”さんと談笑する感じになっていたところ、その空気を打ち破るかのように右前方から、スッと一筋の声が通った。
そう、この場に“英雄”は、もう1人いる。この日、私が佐賀に滑り込んできた理由とも言える、あの人だ。
現在、200万人に近い人口を擁する、札幌の街を創り出した人物・島義勇の銅像と目が合いました。
佐賀の誇る賢人たちの姿を見かけると、多少の会話が始まるのが、当ブログの特徴です。いつもの感じで綴ります。
――明治初期、北海道(蝦夷地)の開拓判官という立場で
当地に趣き、数か月で現在の大都市・札幌の基礎設計を成し遂げた、島義勇(団右衛門)。佐賀の人が、親しみを込めて呼ぶと“団にょん”さん。
明治初期、札幌の地は「四方広漠の平原」、言うならば「な~んも無か」みたいな場所だったらしい。“団にょん”は、そこを世界一の都市にしようと志した。
「団にょん…、いや“判官さま”とお呼びした方がよろしいでしょうか。」
急に恐縮しだした私である。たしかに“本編”を書く時には、島義勇の登場が、かなり少ない傾向がある。
しかも、蝦夷地(北海道)探索についての第11話『蝦夷探検』で歩き回った以外は、砂ぼこりをあげて走っている…感じの描写ばかりだ。
――繰り返すが、大都市・札幌の基礎を築いた、すごい人である。
「一応は、わい(お前)も佐賀ん者たい。“団にょん”さんでよかとよ。」
北海道開拓の英雄を“判官さま”とお呼びしても良いかもしれないが、せっかくの話の流れなので、そのまま佐賀藩士(?)として振る舞いたい。
「ありがとうございます。“団にょん”さま。」
それとなく、強めに敬意は込めてみた。
「“SR”とか言いよったか。意外に調子のよか奴とね~」
島義勇、明治新政府の権力者とはよく衝突したが、直属の部下や現場で働く人々の評判は良かったようで、男気のある“アニキ”な印象の人物だ。
――その時である。「君はここで、時ば費やしてもよかとか。」
なんだか“団にょん”さんと談笑する感じになっていたところ、その空気を打ち破るかのように右前方から、スッと一筋の声が通った。
そう、この場に“英雄”は、もう1人いる。この日、私が佐賀に滑り込んできた理由とも言える、あの人だ。