2022年10月22日
連続ブログ小説「聖地の剣」(22)ドント・セイ・グッバイ
こんばんは。
秋も深まり、佐賀城公園のイベントシーズンとなりましたが、私は今年も行けないようです。
そして、「私が見たい大河ドラマのイメージ」である“本編”も、第18話の途中で、一旦、休止しています。
〔参照(本編の参考記事):第18話「京都見聞」⑪(佐賀より来たる者なり)〕
このところ諸事情により、夏前に実施した佐賀への“帰藩”の話を綴りますが、時折は本編に戻る“助走”も入れていきたいと考えています。

今回も、第10代佐賀藩主・鍋島直正公の銅像前です。現代でも佐賀藩士(?)を見守っている殿様…のイメージでご覧ください。
幕末期に、列強の動きを注視していたので険しい表情の印象が強いですが、本来は明るいご気性のお殿様だったようですよ。
――先ほどまでの大雨は、すっかり上がっていた。
先ほど、ふと下を向いて、はじめて気付いたものがある。
〔参照:連続ブログ小説「聖地の剣」(21)下も向いて歩こう、SAGA〕
「“ゾンビランドサガ”のマンホールは、初見でございました。」
「お主も、佐賀を語らんとするならば、様々なところに目を配れ。」
「ははっ!」
私の旅日記には、よく登場する展開。賢人の銅像と出会うと対話が始まることが多い。但し、佐賀の賢人たちと私では、感覚にも能力にも著しい差がある。
なお、私にあるのは、「今こそ、偉大な“佐賀の先輩”たちの声が聞きたい…」という気持ちだけで、その想いを正しく受けとめられているかは、定かではない。
――背後には、「NHK」と文字の入った鉄塔が見える。
佐賀城の本丸歴史館内の御座間(ござのま)でも、鍋島直正公にお会いしたので、この旅路では2回目の対面といえる。
〔参照:連続ブログ小説「聖地の剣」(17)ご尊顔を拝し奉り…〕

「NHK佐賀放送局は、もはや移転したと聞き及んでおります。」
まだ、建物に撤去の気配はない。いま殿様の銅像の後ろに見えるのは移転前の放送局のものなのだろう。
「さよう、新しきものは藩校の跡地の一角にあったか。後ほど見て参れ。」
「…殿が鉄塔を背にしたお姿を拝する機会は、最後となるやも!?」
「そこが気になるか…なれば、存分に撮っておくがよい。」
――「NHK」の鉄塔と、殿様の銅像。
この絵面に、私は「幕末佐賀藩の大河ドラマ」への夢を重ねて見ていた。
〔参照:「誰の“視点”から見るか?」〕
“新型コロナ禍”はまだ収束したとは言えないが、この時点で再びこの景色に会えたことは幸いだった。
「この目にも、しかと留めておきます。」
「しかし、お主も妙なところに、こだわる者よの。」
「私は“大河ドラマ”でも、殿のお姿を見たいゆえ、この構図は特別なのです。」
「そう語るならば、より気を入れて励むがよい。」

…そうだ。佐賀の殿様は、藩士のことは大切に思うのだが、仕事には厳しい。「たとえ微力でも、めげずに頑張れ…」と言われれば、仰せの通りである。
「お主も落ち着かぬな。此度も、すぐに佐賀を発つか。」
「はっ。名残り惜しくはございますが、致し方ございませぬ。」
――厚い雲からこぼれる光が、柔らかい。
心なしか、佐賀の大殿・鍋島直正公の表情にも、ご機嫌の良さがうかがえるようだ。ここでまた、佐賀の名君の勇姿を写真に収め、一礼をして下がる。
「折を見て、戻るがよい。余所からの目で、佐賀を見るのを怠るでないぞ。」
「はっ、ありがたき幸せ。」
「うむ。」
「ところで、もう一枚、お写真を撮りまする。」
「…うむ。やはり、落ち着かぬ者だな。」
「次は、いつ戻って来られるか、わかりませぬゆえ。」
――このように、私はたびたび振り向く。
幾度か振り返っても、佐賀が誇る幕末の名君は、堂々とした姿を見せていた。
再び一礼をして、殿様の御前から退出する。
「私は佐賀から発ちますが…“別れの言葉“は、言いませんよ。」
館内に居た時には雷雨もあったが、この日の佐賀の天気は、どこまでも私に優しかった。“さよなら”は言わない。想いは、ずっとこの場所にあるのだから。
(続く)
秋も深まり、佐賀城公園のイベントシーズンとなりましたが、私は今年も行けないようです。
そして、「私が見たい大河ドラマのイメージ」である“本編”も、第18話の途中で、一旦、休止しています。
〔参照(本編の参考記事):
このところ諸事情により、夏前に実施した佐賀への“帰藩”の話を綴りますが、時折は本編に戻る“助走”も入れていきたいと考えています。
今回も、第10代佐賀藩主・鍋島直正公の銅像前です。現代でも佐賀藩士(?)を見守っている殿様…のイメージでご覧ください。
幕末期に、列強の動きを注視していたので険しい表情の印象が強いですが、本来は明るいご気性のお殿様だったようですよ。
――先ほどまでの大雨は、すっかり上がっていた。
先ほど、ふと下を向いて、はじめて気付いたものがある。
〔参照:
「“ゾンビランドサガ”のマンホールは、初見でございました。」
「お主も、佐賀を語らんとするならば、様々なところに目を配れ。」
「ははっ!」
私の旅日記には、よく登場する展開。賢人の銅像と出会うと対話が始まることが多い。但し、佐賀の賢人たちと私では、感覚にも能力にも著しい差がある。
なお、私にあるのは、「今こそ、偉大な“佐賀の先輩”たちの声が聞きたい…」という気持ちだけで、その想いを正しく受けとめられているかは、定かではない。
――背後には、「NHK」と文字の入った鉄塔が見える。
佐賀城の本丸歴史館内の御座間(ござのま)でも、鍋島直正公にお会いしたので、この旅路では2回目の対面といえる。
〔参照:
「NHK佐賀放送局は、もはや移転したと聞き及んでおります。」
まだ、建物に撤去の気配はない。いま殿様の銅像の後ろに見えるのは移転前の放送局のものなのだろう。
「さよう、新しきものは藩校の跡地の一角にあったか。後ほど見て参れ。」
「…殿が鉄塔を背にしたお姿を拝する機会は、最後となるやも!?」
「そこが気になるか…なれば、存分に撮っておくがよい。」
――「NHK」の鉄塔と、殿様の銅像。
この絵面に、私は「幕末佐賀藩の大河ドラマ」への夢を重ねて見ていた。
〔参照:
“新型コロナ禍”はまだ収束したとは言えないが、この時点で再びこの景色に会えたことは幸いだった。
「この目にも、しかと留めておきます。」
「しかし、お主も妙なところに、こだわる者よの。」
「私は“大河ドラマ”でも、殿のお姿を見たいゆえ、この構図は特別なのです。」
「そう語るならば、より気を入れて励むがよい。」
…そうだ。佐賀の殿様は、藩士のことは大切に思うのだが、仕事には厳しい。「たとえ微力でも、めげずに頑張れ…」と言われれば、仰せの通りである。
「お主も落ち着かぬな。此度も、すぐに佐賀を発つか。」
「はっ。名残り惜しくはございますが、致し方ございませぬ。」
――厚い雲からこぼれる光が、柔らかい。
心なしか、佐賀の大殿・鍋島直正公の表情にも、ご機嫌の良さがうかがえるようだ。ここでまた、佐賀の名君の勇姿を写真に収め、一礼をして下がる。
「折を見て、戻るがよい。余所からの目で、佐賀を見るのを怠るでないぞ。」
「はっ、ありがたき幸せ。」
「うむ。」
「ところで、もう一枚、お写真を撮りまする。」
「…うむ。やはり、落ち着かぬ者だな。」
「次は、いつ戻って来られるか、わかりませぬゆえ。」
――このように、私はたびたび振り向く。
幾度か振り返っても、佐賀が誇る幕末の名君は、堂々とした姿を見せていた。
再び一礼をして、殿様の御前から退出する。
「私は佐賀から発ちますが…“別れの言葉“は、言いませんよ。」
館内に居た時には雷雨もあったが、この日の佐賀の天気は、どこまでも私に優しかった。“さよなら”は言わない。想いは、ずっとこの場所にあるのだから。
(続く)