2022年10月29日
連続ブログ小説「聖地の剣」(24)シン・放送会館
こんばんは。
2022年(令和4年)5月よりオープンしたと聞く、NHK佐賀の新・放送会館。
佐賀城・鯱の門近く、鍋島直正公の銅像の後ろに鉄塔が見えていたのが、旧・放送会館。老朽化などの理由から建て替えが検討されてきたそうです。
〔参照:連続ブログ小説「聖地の剣」(22)ドント・セイ・グッバイ〕
しかし、旧放送会館の場所が、「佐賀城下再生百年構想」の対象エリア内で建て直しにくいためか、北堀の外に出た現在地に移転を決めたんだとか。
「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と語り続ける私には、“聖地”・佐賀に建つ、NHKの新放送会館は気になる場所でした。

――佐賀城の広大な北堀を渡る。
すでに帰路へと入っている私。再び雨上がりの道を、北へ歩み出す。佐賀城公園内からメインストリートである中央大通りに戻ってきた。
ここは、かつて幕末期に広大な敷地に拡張された、佐賀藩の学校・弘道館があった場所。
近代化の礎となる人材を多数輩出し、明治新時代に直接つながったところが佐賀の藩校“弘道館”の特色だと考えている。
――なお、NHK佐賀の新放送会館は初見だった。
「市民の交流拠点」・「災害に強い放送局」・「環境と調和した会館」の3つが、基本のコンセプト(考え方)だそうである。
城内から街なかへの移転で、賑わいを作り出すねらいもあるようだが、私が立ち寄ったのは、営業日ではなかったので、外から眺めるのみだった。
「…ここが、新しい佐賀のNHKか。」
ディスプレイに流れる映像を見て、ひとまず感慨にひたっておく。
ちなみに私のブログでは、テレビ局について語る時は大体、よく見ているNHKが基本の設定になっている。

――「私の望みに、強く応えてくれる」ことがあるのかは…わからない。
今のところ、地域色の強いローカル番組が、NHK佐賀放送局のラインナップとして紹介されている。
ところで、新・放送会館が、この場所にたどり着くまでにも、色々と曲折があったようだ。移転の計画そのものは、10年以上前から始まっていたらしい。
ただ、現地に行った時点の私は、そこまでの情報は調べていない。
「佐賀が大河ドラマに決まりでもしたら、ここは“大盛り上がり”になるな…」
――真新しい放送会館を前にして、何だか期待感が高まった。
無邪気に語ってしまったが、仮に実現すれば、仕事にあたる関係者には、相当な労力がかかるのだろう。これは私でも、その大変さを少しは想像できる。
時代は違えど、かつて幕末・明治に新時代の基礎を築いてきた佐賀藩士たちのように、影で努力をする者が居るはずだ。
これは、きっと現代でもそうだ。たとえ、スポットライトを浴びることはなくても、いつも誰かがどこかで頑張っている。
そして、歴史上の人物としては知名度は低くても、その仕事の結果は教科書に載せている“佐賀の先輩”たちを、いまの私は知っているのだ。

――今から4年前。2018年(平成30年)には、
「薩長土肥」の“肥前”だった佐賀では、明治維新150周年の記念行事が多く行われていた。
佐賀城下も『肥前さが幕末・維新博覧会』を軸として、各種イベントで賑わったという。中央大通りでもパレードがあって沿道は盛り上がっていたらしい。
その時期、まったく余裕のなかった私には、その“面影”が伝わるのみ。
「見たかったよ、私もその場に居たかった…」と繰り返している。
“都会”と呼ばれる場所で、それなりに気忙しく生きてきた。佐賀藩の価値に、気付くのは遅くなってしまった。そして、今だって自由には動けない。
でも、真(シン)の“佐賀の物語”はこれから始まるのだ。私はきっと、その物語を見ることができるのだ。そう、強く思うことにしている。
(続く)
2022年(令和4年)5月よりオープンしたと聞く、NHK佐賀の新・放送会館。
佐賀城・鯱の門近く、鍋島直正公の銅像の後ろに鉄塔が見えていたのが、旧・放送会館。老朽化などの理由から建て替えが検討されてきたそうです。
〔参照:
しかし、旧放送会館の場所が、「佐賀城下再生百年構想」の対象エリア内で建て直しにくいためか、北堀の外に出た現在地に移転を決めたんだとか。
「幕末佐賀藩の大河ドラマを見たい!」と語り続ける私には、“聖地”・佐賀に建つ、NHKの新放送会館は気になる場所でした。
――佐賀城の広大な北堀を渡る。
すでに帰路へと入っている私。再び雨上がりの道を、北へ歩み出す。佐賀城公園内からメインストリートである中央大通りに戻ってきた。
ここは、かつて幕末期に広大な敷地に拡張された、佐賀藩の学校・弘道館があった場所。
近代化の礎となる人材を多数輩出し、明治新時代に直接つながったところが佐賀の藩校“弘道館”の特色だと考えている。
――なお、NHK佐賀の新放送会館は初見だった。
「市民の交流拠点」・「災害に強い放送局」・「環境と調和した会館」の3つが、基本のコンセプト(考え方)だそうである。
城内から街なかへの移転で、賑わいを作り出すねらいもあるようだが、私が立ち寄ったのは、営業日ではなかったので、外から眺めるのみだった。
「…ここが、新しい佐賀のNHKか。」
ディスプレイに流れる映像を見て、ひとまず感慨にひたっておく。
ちなみに私のブログでは、テレビ局について語る時は大体、よく見ているNHKが基本の設定になっている。
――「私の望みに、強く応えてくれる」ことがあるのかは…わからない。
今のところ、地域色の強いローカル番組が、NHK佐賀放送局のラインナップとして紹介されている。
ところで、新・放送会館が、この場所にたどり着くまでにも、色々と曲折があったようだ。移転の計画そのものは、10年以上前から始まっていたらしい。
ただ、現地に行った時点の私は、そこまでの情報は調べていない。
「佐賀が大河ドラマに決まりでもしたら、ここは“大盛り上がり”になるな…」
――真新しい放送会館を前にして、何だか期待感が高まった。
無邪気に語ってしまったが、仮に実現すれば、仕事にあたる関係者には、相当な労力がかかるのだろう。これは私でも、その大変さを少しは想像できる。
時代は違えど、かつて幕末・明治に新時代の基礎を築いてきた佐賀藩士たちのように、影で努力をする者が居るはずだ。
これは、きっと現代でもそうだ。たとえ、スポットライトを浴びることはなくても、いつも誰かがどこかで頑張っている。
そして、歴史上の人物としては知名度は低くても、その仕事の結果は教科書に載せている“佐賀の先輩”たちを、いまの私は知っているのだ。
――今から4年前。2018年(平成30年)には、
「薩長土肥」の“肥前”だった佐賀では、明治維新150周年の記念行事が多く行われていた。
佐賀城下も『肥前さが幕末・維新博覧会』を軸として、各種イベントで賑わったという。中央大通りでもパレードがあって沿道は盛り上がっていたらしい。
その時期、まったく余裕のなかった私には、その“面影”が伝わるのみ。
「見たかったよ、私もその場に居たかった…」と繰り返している。
“都会”と呼ばれる場所で、それなりに気忙しく生きてきた。佐賀藩の価値に、気付くのは遅くなってしまった。そして、今だって自由には動けない。
でも、真(シン)の“佐賀の物語”はこれから始まるのだ。私はきっと、その物語を見ることができるのだ。そう、強く思うことにしている。
(続く)