2020年10月28日
第14話「遣米使節」⑭(太平洋の嵐)
こんばんは。
前回、江戸・品川沖をアメリカに向けて出航した2隻の蒸気船。幕府の使節団を乗せた“ポーハタン号”と、同行する“咸臨丸”。
当時の航海技術では、太平洋を渡るには試練を伴います。佐賀藩士たちが同乗する、この2隻も困難に直面します。
――オランダより購入し、幕府が保有する“咸臨丸”の船上。
「佐賀の秀島と申す。福沢どのとお見受けする。」
佐賀藩士で、技術者・秀島藤之助である。
「…咸臨丸にも佐賀の方が居られましたか。」
福沢諭吉は長崎にいるとき、奉行所の関係者宅で書生をしていた。佐賀藩士とは関わる機会も多かった。
「お話中だったか、失礼した。そちらの方も、名をお伺いしたい。」
――秀島は、“賢い”と評判の福沢が、話している相手も気になった。
秀島は、極めて真面目だった。航海途上も情報収集に励む。
「マイネーム…中浜、万次郎と申します。」
万次郎と名乗るこの人物、やけに言葉がたどたどしい。
「中浜どのは土佐(高知)の出。漁に出て嵐に遭い、アメリカに渡ったそうだ。」
すかさず福沢が補足した。頭の回転が速い。
――“ジョン万次郎”として知られる、中浜万次郎。
海で遭難し、無人島で命をつないでいたところ、アメリカ船に救助された。当時、“鎖国”の影響もあって日本には帰れず、渡米の道を選んだ。
「ザッツ、ライト…いや、その通りです。」
万次郎は、アメリカで暮らしの間に“英語で考える頭”になっていた。
「メリケン(アメリカ)の言葉をご存じとは心強い。」
秀島藤之助、長崎の海軍伝習所でオランダ人から操船技術は学んだ。しかし、英語の習得はこれからだ。
そして“咸臨丸”での航海、秀島は船を動かす仕事には関われない。そこは幕府の“海軍士官”たちの領分なのだ。

――港を出た直後は、太平洋の航海は順調であったが…
「どうやら、ストーム(嵐)が来る…ようです。」
万次郎は、“咸臨丸”に同乗するアメリカ海軍のブルック大尉と話してきた。そこで「雲行きが怪しい」と聞いたらしい。
ほどなく上空は真っ暗となった。
ゴーォォ…
吠える風、うねる海。非情な大嵐である。
バキバキバキッ…
船体の様々な箇所が破損していく。
――甲板は斜め上に傾いたかと思えば、今度は、前方に下り坂を生じる。
乗組員たちは平衡感覚を失い、天地の分別もつかなくなった。
「勝さんは、まだ出て来ないのか…!」
「お体が優れぬらしいぞ。このような時に…!」
幕府の海軍士官たちは、混乱していた。1人…また1人と船酔いで倒れていく。
指揮を執るべき、勝麟太郎(海舟)は船室から出て来れなかった。
「おいらも、もう終(し)めぇか…」
絶望の言葉が口を付いて出る。勝海舟は強度の“船酔い”持ちだったと伝わる。陸(おか)でこそ活きる人物だったという。

――たとえ好天でも、日本人には経験の無い遠洋航海。
すでに“咸臨丸”の指揮命令は、機能していない。
そこで嵐の甲板に英語が響いた。
アメリカ海軍・ブルック大尉と水兵10人が同乗しているのだ。
「何と言っているのだ…」
佐賀藩士・秀島藤之助は、まだ充分に英語が理解できない。
「アメリカ海軍の魂を…お見せしよう!と言ってます…」
通訳をするジョン万次郎である。自身も船乗りの経験がある。ブルック大尉に協力するつもりのようだ。
――風が、吹きすさぶ荒天は数日続いたと言われる。
テキパキと活動するアメリカの水兵たちを見つめ、秀島は悔しさを嚙みしめる。
「もし佐賀の者が同船ならば、このように動けただろうか…」
長崎での海軍伝習の日々が浮かぶ。よく働く若手と、そのまとめ役がいた。
「中牟田…、石丸…、それに佐野(栄寿)さんが居れば…」
佐賀藩から派遣されている、秀島藤之助。勝手な動きをして、幕臣との軋轢(あつれき)を起こすわけにはいかなかった。
(続く)
前回、江戸・品川沖をアメリカに向けて出航した2隻の蒸気船。幕府の使節団を乗せた“ポーハタン号”と、同行する“咸臨丸”。
当時の航海技術では、太平洋を渡るには試練を伴います。佐賀藩士たちが同乗する、この2隻も困難に直面します。
――オランダより購入し、幕府が保有する“咸臨丸”の船上。
「佐賀の秀島と申す。福沢どのとお見受けする。」
佐賀藩士で、技術者・秀島藤之助である。
「…咸臨丸にも佐賀の方が居られましたか。」
福沢諭吉は長崎にいるとき、奉行所の関係者宅で書生をしていた。佐賀藩士とは関わる機会も多かった。
「お話中だったか、失礼した。そちらの方も、名をお伺いしたい。」
――秀島は、“賢い”と評判の福沢が、話している相手も気になった。
秀島は、極めて真面目だった。航海途上も情報収集に励む。
「マイネーム…中浜、万次郎と申します。」
万次郎と名乗るこの人物、やけに言葉がたどたどしい。
「中浜どのは土佐(高知)の出。漁に出て嵐に遭い、アメリカに渡ったそうだ。」
すかさず福沢が補足した。頭の回転が速い。
――“ジョン万次郎”として知られる、中浜万次郎。
海で遭難し、無人島で命をつないでいたところ、アメリカ船に救助された。当時、“鎖国”の影響もあって日本には帰れず、渡米の道を選んだ。
「ザッツ、ライト…いや、その通りです。」
万次郎は、アメリカで暮らしの間に“英語で考える頭”になっていた。
「メリケン(アメリカ)の言葉をご存じとは心強い。」
秀島藤之助、長崎の海軍伝習所でオランダ人から操船技術は学んだ。しかし、英語の習得はこれからだ。
そして“咸臨丸”での航海、秀島は船を動かす仕事には関われない。そこは幕府の“海軍士官”たちの領分なのだ。

――港を出た直後は、太平洋の航海は順調であったが…
「どうやら、ストーム(嵐)が来る…ようです。」
万次郎は、“咸臨丸”に同乗するアメリカ海軍のブルック大尉と話してきた。そこで「雲行きが怪しい」と聞いたらしい。
ほどなく上空は真っ暗となった。
ゴーォォ…
吠える風、うねる海。非情な大嵐である。
バキバキバキッ…
船体の様々な箇所が破損していく。
――甲板は斜め上に傾いたかと思えば、今度は、前方に下り坂を生じる。
乗組員たちは平衡感覚を失い、天地の分別もつかなくなった。
「勝さんは、まだ出て来ないのか…!」
「お体が優れぬらしいぞ。このような時に…!」
幕府の海軍士官たちは、混乱していた。1人…また1人と船酔いで倒れていく。
指揮を執るべき、勝麟太郎(海舟)は船室から出て来れなかった。
「おいらも、もう終(し)めぇか…」
絶望の言葉が口を付いて出る。勝海舟は強度の“船酔い”持ちだったと伝わる。陸(おか)でこそ活きる人物だったという。

――たとえ好天でも、日本人には経験の無い遠洋航海。
すでに“咸臨丸”の指揮命令は、機能していない。
そこで嵐の甲板に英語が響いた。
アメリカ海軍・ブルック大尉と水兵10人が同乗しているのだ。
「何と言っているのだ…」
佐賀藩士・秀島藤之助は、まだ充分に英語が理解できない。
「アメリカ海軍の魂を…お見せしよう!と言ってます…」
通訳をするジョン万次郎である。自身も船乗りの経験がある。ブルック大尉に協力するつもりのようだ。
――風が、吹きすさぶ荒天は数日続いたと言われる。
テキパキと活動するアメリカの水兵たちを見つめ、秀島は悔しさを嚙みしめる。
「もし佐賀の者が同船ならば、このように動けただろうか…」
長崎での海軍伝習の日々が浮かぶ。よく働く若手と、そのまとめ役がいた。
「中牟田…、石丸…、それに佐野(栄寿)さんが居れば…」
佐賀藩から派遣されている、秀島藤之助。勝手な動きをして、幕臣との軋轢(あつれき)を起こすわけにはいかなかった。
(続く)