2020年10月14日
第14話「遣米使節」⑨(聞かれては困る話)
こんばんは。
前回の続きです。
長崎に着いて、佐野栄寿(常民)と中村奇輔に再会できると思った、翻訳家・石黒。しかし、宿舎に両名の姿は見当たりません。
少し時を遡って、佐野・中村の2名の足取りを追ってみます。
――長崎の夜。ある立派な屋敷の…屋根に佇(たたず)む者がいる。
見張りの役目にあたる、佐賀の蓮池藩士・古賀である。もはや“嬉野の忍者”といった方が通りが良いかもしれない。
そこに、屋根伝いに進む影があった。
「この辺りにも、ネズミさんが増えとるばい。」
影に近付いて声をかける、古賀。

――古賀の声に、他藩の忍びと思われる“ネズミ”が反応する。
「…なんじゃ、貴様。佐賀の“化け猫”か。」
「誰が“化け猫”やら言いよっとね!?」
バサッ!
古賀が言葉を返すや、“ネズミ”は右手から粉状の“目つぶし”を放った。
「…甘いんじゃ!」
――捨て台詞(ぜりふ)を吐く忍び。逃走の準備に入る。
しかし“目つぶし”を撒いた先には、すでに古賀の影は無い。
「昨今は“ネズミ”も、よう吠えよっとね…」
不意打ちを、低く丸くかわして“ネズミ”の背後に回っていたのである。
「…後ろに居たかっ!」
“ネズミ”と呼ばれた“忍び”の動きも速い。左手に持った短刀で背後を突く。
――古賀は、小刀を抜き付け、受け流す。
ギュルッ…
生々しい金属音がする。
バシッ!
…その瞬間、古賀の右足が伸び、“忍び”の腰を捉えた。
ガラン、ガラガラ…
勢い余ったところに、古賀に蹴りを加えられ、“忍び”の体勢は泳いだ。そのまま屋根から転げる。

――“忍び”は屋敷を見張る、佐賀藩“深堀領”の警備兵の間に落ちた。
「何奴(なにやつ)!屋根から降ってきたぞ。」
「…見るからに怪しかばい!」
ビシッ!ボコッ!
“深堀領”とは、長崎にある佐賀藩の領地(飛び地)。
長崎警備の第一線にあたる佐賀藩士たちは、怒らせると怖い。
――落ちた“忍び”は術を遣う間もなく、打ちのめされている様子だ。
地上の騒ぎを眺める“嬉野の忍者”古賀。
「明日は“我が身”かも知れんばい。えすか(怖い)ごたね…」
…忍びの定めを感じて、一言つぶやくと、また屋根の見張りに戻るのだった。
――この厳重な警備には理由があった。
殿・鍋島直正が、佐賀から長崎に来ていたのだ。辺りが騒々しいが、すぐ隣の屋敷では「聞かれては困る話」の最中である。
「此度(こたび)の航海では、薩摩に参るぞ!」
「殿…。“さつま”って、あの“薩摩”(鹿児島)ですか。」
「殿、念のためお伺いします。“観光丸”は公儀(幕府)からの預かり物です。」
「そうじゃ、良き船であるからのう。出航が楽しみであるな。」
――呆気に取られている2人、佐野栄寿(常民)と化学者・中村奇輔。
殿・直正は「幕府から借りた蒸気船“観光丸”で、薩摩に乗り入れる!」と告げたのである。2人が驚くのも無理はない。まだ“大名行列”の時代なのだ。
たしかに薩摩藩の島津斉彬は、殿・直正のいとこではあるが、他の大名の領国へ、直接、蒸気船で訪問するなど前代未聞の事だった。
佐野も「殿に海軍伝習で得た実力を見せよう!」と張り切っていた。しかし、訓練の成果を示すどころか、大変な船旅が始まろうとしていたのである。
(続く)
前回の続きです。
長崎に着いて、佐野栄寿(常民)と中村奇輔に再会できると思った、翻訳家・石黒。しかし、宿舎に両名の姿は見当たりません。
少し時を遡って、佐野・中村の2名の足取りを追ってみます。
――長崎の夜。ある立派な屋敷の…屋根に佇(たたず)む者がいる。
見張りの役目にあたる、佐賀の蓮池藩士・古賀である。もはや“嬉野の忍者”といった方が通りが良いかもしれない。
そこに、屋根伝いに進む影があった。
「この辺りにも、ネズミさんが増えとるばい。」
影に近付いて声をかける、古賀。
――古賀の声に、他藩の忍びと思われる“ネズミ”が反応する。
「…なんじゃ、貴様。佐賀の“化け猫”か。」
「誰が“化け猫”やら言いよっとね!?」
バサッ!
古賀が言葉を返すや、“ネズミ”は右手から粉状の“目つぶし”を放った。
「…甘いんじゃ!」
――捨て台詞(ぜりふ)を吐く忍び。逃走の準備に入る。
しかし“目つぶし”を撒いた先には、すでに古賀の影は無い。
「昨今は“ネズミ”も、よう吠えよっとね…」
不意打ちを、低く丸くかわして“ネズミ”の背後に回っていたのである。
「…後ろに居たかっ!」
“ネズミ”と呼ばれた“忍び”の動きも速い。左手に持った短刀で背後を突く。
――古賀は、小刀を抜き付け、受け流す。
ギュルッ…
生々しい金属音がする。
バシッ!
…その瞬間、古賀の右足が伸び、“忍び”の腰を捉えた。
ガラン、ガラガラ…
勢い余ったところに、古賀に蹴りを加えられ、“忍び”の体勢は泳いだ。そのまま屋根から転げる。

――“忍び”は屋敷を見張る、佐賀藩“深堀領”の警備兵の間に落ちた。
「何奴(なにやつ)!屋根から降ってきたぞ。」
「…見るからに怪しかばい!」
ビシッ!ボコッ!
“深堀領”とは、長崎にある佐賀藩の領地(飛び地)。
長崎警備の第一線にあたる佐賀藩士たちは、怒らせると怖い。
――落ちた“忍び”は術を遣う間もなく、打ちのめされている様子だ。
地上の騒ぎを眺める“嬉野の忍者”古賀。
「明日は“我が身”かも知れんばい。えすか(怖い)ごたね…」
…忍びの定めを感じて、一言つぶやくと、また屋根の見張りに戻るのだった。
――この厳重な警備には理由があった。
殿・鍋島直正が、佐賀から長崎に来ていたのだ。辺りが騒々しいが、すぐ隣の屋敷では「聞かれては困る話」の最中である。
「此度(こたび)の航海では、薩摩に参るぞ!」
「殿…。“さつま”って、あの“薩摩”(鹿児島)ですか。」
「殿、念のためお伺いします。“観光丸”は公儀(幕府)からの預かり物です。」
「そうじゃ、良き船であるからのう。出航が楽しみであるな。」
――呆気に取られている2人、佐野栄寿(常民)と化学者・中村奇輔。
殿・直正は「幕府から借りた蒸気船“観光丸”で、薩摩に乗り入れる!」と告げたのである。2人が驚くのも無理はない。まだ“大名行列”の時代なのだ。
たしかに薩摩藩の島津斉彬は、殿・直正のいとこではあるが、他の大名の領国へ、直接、蒸気船で訪問するなど前代未聞の事だった。
佐野も「殿に海軍伝習で得た実力を見せよう!」と張り切っていた。しかし、訓練の成果を示すどころか、大変な船旅が始まろうとしていたのである。
(続く)