2023年04月17日
第19話「閑叟上洛」⑧(“逃げるが勝ち”とも申すのに)
こんばんは。
文久二年(1862年)初秋。佐賀の志士たちは、偉大な師匠・枝吉神陽を失いますが、それでも季節は巡り、時は流れていきます。
佐賀からの脱藩者・江藤新平がいる京の都にも秋風が吹いていました。幕府も、京都守護職を設置する等、政情の安定を図ろうとしていた年です。
そんな混沌とした状況の中、江藤は大殿・鍋島直正(閑叟)が京の都に来る前に、正確な情勢を伝える機会があると信じて、佐賀への帰藩を決断します。
――京の都。鴨川にほど近い、長州藩の屋敷。
「江藤くん、佐賀に戻るのは考え直さんか。」
説得を始めているのは、長州藩士・桂小五郎だ。

「諸侯が京に入るも、混乱は深まる一方にて、佐賀の“中将様”(鍋島直正)に、お出ましを頂きたいと存ずる。」
京に残らないかという誘いを断るためか、江藤は固く答えた。「朝廷への忠節」が前提の話なので、鍋島直正のことも“公家風”の呼び方になっている。
江藤は長州(山口)・土佐(高知)・筑前(福岡)・肥後(熊本)・仙台(宮城)などの諸藩が、一斉に京に入って収拾が付かなくなった状況を憂慮していた。
〔参照(終盤):第18話「京都見聞」⑮(京の覇権争い)〕
――その、まとめ役となりうるのは、佐賀藩しかない。
それが、江藤の確信するところだった。
「今が動くべき時節にて、この機を逸するべきではなか。」
もともと一直線な江藤だが、今日はさらにまっすぐな印象である。桂が半ば呆れながら、言葉を続ける。

「それは、わかっとるんじゃ。佐賀では国を抜けることは、重罪と聞くぞ。」
「佐賀を出た時から、それは覚悟のうえ。」
「むざむざと、命を捨てる事は無いと言うちょるんじゃ。」
「京の都で見聞したところを、いま伝えねば、佐賀は動かぬと存ずる。」
――桂の説得には、理由があった。
長州藩と近い有力公家・姉小路公知が江藤の事を気に入っており、このまま供回りに迎えたいという希望もあるようだ。
〔参照:第19話「閑叟上洛」②(入り組んだ、京の風向き)〕
これは江藤を紹介した立場の、長州藩としても悪い話ではない。江藤にとっても、勢いのある公家・姉小路に仕えれば、経済的な心配も無いはずだ。
〔参照:第18話「京都見聞」⑭(若き公家の星)〕

瞬時に、理の通った手順を組み立てる江藤の才覚は、桂から見ても、他に類を見ないものだった。
そして、洋学にも通じた佐賀藩が動けば、新しい世の姿に影響を与えるのは必定だ。ぜひとも江藤は仲間内に残して、佐賀と連携をとる切り札としたい。
――しかし、江藤は、京への残留を承知しない。
「桂さんには感謝をするが、佐賀には戻らんばならん。」
「まったく佐賀の者は、頑固じゃのう!」
少々、投げやりな一言を発したのちに、桂は念を押した。
「ええか、命は粗末にしちゃならん。逃げ回ってでも、夜明けを見るんじゃ。」
桂も考えてくれている。この言いようには、江藤もしっかりと目を見合わせた。
「では志を果たせずに、命を落とす見込みなれば、立ち戻るとしよう。」
――ここには江藤も応じたが、桂は合点がいかないようだ。
「何ゆえ、わざわざ危ない橋を渡るんじゃ…」
この江藤の話しぶりだと、「命がけで佐賀に戻る」のは、取り下げていない。

真面目で融通の利かない、それだけに地道にまっすぐに事を成す。機を見て、方向転換するのも早い長州とは、また異質な力が佐賀にはある。
ここは、江藤にしては珍しく沈黙のままだった。さらに桂が言葉を続ける。
「もしや…肥前侯が、それだけ尽くす値打ちのある、御仁じゃいうことか。」
――桂が、答えを見いだしたとみるや、
江藤はいつものように、はっきりと言葉を発した。
「その、ご高恩に報いるため。」
「それが話に聞く、佐賀の“葉隠”の忠義か。」
桂にも江藤の言わんとする事はわかる。実力者として知られる鍋島直正が京の政局に介入すれば、功を焦る各藩をまとめることができるかもしれない。

だが、そのために江藤が命を賭す動機が、もはや佐賀の“鍋島武士”ならではの「主君への忠義」ぐらいしか思い当たらないのだ。
「…お主も進んどるんか、古臭いんか、ようわからん男じゃのう。」
――脱藩者であるはずの、江藤には、
郷里・佐賀を捨てる気持ちなど、微塵(みじん)も感じられない様子だ。
そこには、佐賀藩の大殿(前藩主)・鍋島直正が、混迷を深める京の都に入って存在感を見せることへの期待があった。
京で自身の調べた事が、大殿の役に立つことで、きっと、この国は進むべき道を見いだす事ができる。
江藤にとっては、その道筋をつけることが朝廷に尽くす“勤王”のはたらきであり、それが己の役回りという自負心は、とても大きなものだった。
(続く)
文久二年(1862年)初秋。佐賀の志士たちは、偉大な師匠・枝吉神陽を失いますが、それでも季節は巡り、時は流れていきます。
佐賀からの脱藩者・江藤新平がいる京の都にも秋風が吹いていました。幕府も、京都守護職を設置する等、政情の安定を図ろうとしていた年です。
そんな混沌とした状況の中、江藤は大殿・鍋島直正(閑叟)が京の都に来る前に、正確な情勢を伝える機会があると信じて、佐賀への帰藩を決断します。
――京の都。鴨川にほど近い、長州藩の屋敷。
「江藤くん、佐賀に戻るのは考え直さんか。」
説得を始めているのは、長州藩士・桂小五郎だ。
「諸侯が京に入るも、混乱は深まる一方にて、佐賀の“中将様”(鍋島直正)に、お出ましを頂きたいと存ずる。」
京に残らないかという誘いを断るためか、江藤は固く答えた。「朝廷への忠節」が前提の話なので、鍋島直正のことも“公家風”の呼び方になっている。
江藤は長州(山口)・土佐(高知)・筑前(福岡)・肥後(熊本)・仙台(宮城)などの諸藩が、一斉に京に入って収拾が付かなくなった状況を憂慮していた。
〔参照(終盤):
――その、まとめ役となりうるのは、佐賀藩しかない。
それが、江藤の確信するところだった。
「今が動くべき時節にて、この機を逸するべきではなか。」
もともと一直線な江藤だが、今日はさらにまっすぐな印象である。桂が半ば呆れながら、言葉を続ける。
「それは、わかっとるんじゃ。佐賀では国を抜けることは、重罪と聞くぞ。」
「佐賀を出た時から、それは覚悟のうえ。」
「むざむざと、命を捨てる事は無いと言うちょるんじゃ。」
「京の都で見聞したところを、いま伝えねば、佐賀は動かぬと存ずる。」
――桂の説得には、理由があった。
長州藩と近い有力公家・姉小路公知が江藤の事を気に入っており、このまま供回りに迎えたいという希望もあるようだ。
〔参照:
これは江藤を紹介した立場の、長州藩としても悪い話ではない。江藤にとっても、勢いのある公家・姉小路に仕えれば、経済的な心配も無いはずだ。
〔参照:
瞬時に、理の通った手順を組み立てる江藤の才覚は、桂から見ても、他に類を見ないものだった。
そして、洋学にも通じた佐賀藩が動けば、新しい世の姿に影響を与えるのは必定だ。ぜひとも江藤は仲間内に残して、佐賀と連携をとる切り札としたい。
――しかし、江藤は、京への残留を承知しない。
「桂さんには感謝をするが、佐賀には戻らんばならん。」
「まったく佐賀の者は、頑固じゃのう!」
少々、投げやりな一言を発したのちに、桂は念を押した。
「ええか、命は粗末にしちゃならん。逃げ回ってでも、夜明けを見るんじゃ。」
桂も考えてくれている。この言いようには、江藤もしっかりと目を見合わせた。
「では志を果たせずに、命を落とす見込みなれば、立ち戻るとしよう。」
――ここには江藤も応じたが、桂は合点がいかないようだ。
「何ゆえ、わざわざ危ない橋を渡るんじゃ…」
この江藤の話しぶりだと、「命がけで佐賀に戻る」のは、取り下げていない。
真面目で融通の利かない、それだけに地道にまっすぐに事を成す。機を見て、方向転換するのも早い長州とは、また異質な力が佐賀にはある。
ここは、江藤にしては珍しく沈黙のままだった。さらに桂が言葉を続ける。
「もしや…肥前侯が、それだけ尽くす値打ちのある、御仁じゃいうことか。」
――桂が、答えを見いだしたとみるや、
江藤はいつものように、はっきりと言葉を発した。
「その、ご高恩に報いるため。」
「それが話に聞く、佐賀の“葉隠”の忠義か。」
桂にも江藤の言わんとする事はわかる。実力者として知られる鍋島直正が京の政局に介入すれば、功を焦る各藩をまとめることができるかもしれない。

だが、そのために江藤が命を賭す動機が、もはや佐賀の“鍋島武士”ならではの「主君への忠義」ぐらいしか思い当たらないのだ。
「…お主も進んどるんか、古臭いんか、ようわからん男じゃのう。」
――脱藩者であるはずの、江藤には、
郷里・佐賀を捨てる気持ちなど、微塵(みじん)も感じられない様子だ。
そこには、佐賀藩の大殿(前藩主)・鍋島直正が、混迷を深める京の都に入って存在感を見せることへの期待があった。
京で自身の調べた事が、大殿の役に立つことで、きっと、この国は進むべき道を見いだす事ができる。
江藤にとっては、その道筋をつけることが朝廷に尽くす“勤王”のはたらきであり、それが己の役回りという自負心は、とても大きなものだった。
(続く)
Posted by SR at 22:26 | Comments(0) | 第19話「閑叟上洛」
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