2022年12月12日
第18話「京都見聞」⑮(京の覇権争い)
こんばんは。
再び“本編”に戻ります。文久二年(1862年)夏。佐賀を脱藩し、京都に居た江藤新平は、有力な公家・姉小路公知との接点を得ました。
〔参照:第18話「京都見聞」⑭(若き公家の星)〕
姉小路は、尊王攘夷派の公家として頭角を現していた人物。“同志”の公家には、明治新政府の中枢にいた、三条実美などがいます。
前回、江藤は身分違いのはずの姉小路に対しても、堂々と持論を述べます。この若き公家は、そんな江藤を気に入ったようです。
――京の都、姉小路邸。
「そもそも、徳川の体(てい)たらく、異人におびえて手も出せぬとは。」
奥の座にいる、姉小路卿のもとに、連日のように新しい志士が挨拶に来る。
この頃、各地の雄藩が京都を目指し、まるで“上洛”の競争となっていた。
外交の危機が続き、そして開国をめぐって、通貨や物流など経済的な混乱が生じる。幕府は疲弊し、各地で外国への不満が高まりつつあった。
一方で、江戸期を通じて抑えられてきた、朝廷の権威は高まるばかり。もはや政局の中心は、京に移りつつあった。

――本日の志士も、さらに熱を帯びた声を上げる。
「神州に入り込む、夷狄(いてき)は打ち払い、異人は斬るべきと存ずる。」
来訪した志士は興が乗ってきたのか、威勢よく外国の排斥を唱えた。
「ほほっ…勇ましいことじゃ。」
歳は若いが、公家としての品格がある姉小路。志士たちを惹きつける魅力もある。印象に残って気に入られたいと考えるか、過激な論を叫ぶ者が続く。
「では、江藤はいかがに思う。存念を述べよ。」
ところが、姉小路はくるりと横を向くと、傍に控えていた江藤に発言を促す。
――血気盛んな志士は、江藤の方に目を向けた。
「“攘夷”の気概は、結構と存ずる。」
いつの間にか、姉小路の秘書のような位置に座っている江藤新平。
「そうであろう、貴公もいずこかの武士とお見受けする。ともに立とう。」
新参の志士は、江藤を有力公家・姉小路の側近とみて、近づこうとしている。
「されど、異人を斬って、その後はいかがする。」
「さらに斬って、追い払うのみ!」
「夷狄(いてき)とて人だ。仲間を斬られては黙ってはおるまい。」

――「この男、何が言いたい…」と怪訝(けげん)な表情をする志士。
「船にせよ、砲にせよ。我が国の業(わざ)は、異国の域に達しておらぬ。」
江藤は、整然と言葉を続ける。
「仲間を斬られたとあれば、威をもって貴殿の国元に攻めかかってこよう。」
ここで、志士は激高した。
「貴公は、とんだ腰抜けだな!夷狄(いてき)の砲が怖くて武士が務まるか!」
「武士は勝ち負けに関わらず、命を賭したとして、民はどうする。」
「民とて同じよ。立ち向かうんじゃ。」
――「それは理に合わぬ!」と江藤は、眼前の志士に鋭く言葉を発した。
「帝のためと語りながら、その民を“捨て駒”に使うとは何事か。」
江藤は、続けざまによく通る声を放った。
「まず、敵となる者の力量を知り、その業(わざ)を乗り越えねばならぬ。」
空論ではなく、実力が伴わなければ異国と対峙はできない。急進的な攘夷は、国を危うくする、これが江藤の持論だった。
長崎周辺の警備を担当し、オランダとの交易で技術を取り入れて、列強と向き合ってきた佐賀藩内では、過激な攘夷論は盛り上がらない傾向にあった。

――どのように世界と向き合う力を得るか…それは佐賀の課題だった。
激高した志士も真っ赤になっていた顔から、スーッと冷静に肌色が戻っていく。
「…貴公、京の都に居た者ではないな。どこから来られた。」
たしかに列強に負けない力を備えるのも、“攘夷”の考え方の1つだと言える。この志士には、江藤の言葉を受け止めるだけの度量があったらしい。
「佐賀から来た者だ。」
「…肥前の佐賀か?鍋島の者が、なにゆえ姉小路卿のところに…」
尊王攘夷の急先鋒のはずの姉小路ではあったが、何やら愉快そうに、江藤と、新参の志士のやり取りを眺めていた。
――諸藩の志士たちから、幕府寄りと見られていた、肥前佐賀藩。
この時期、京の都の求心力は右肩上がりである。薩摩・長州だけでなく仙台・肥後・筑前・土佐など雄藩が競って上洛する。
各地の志士たちも続々と京に集まり、不穏な熱気が高まりつつあった。だが、西洋列強の技術をよく知り“近代化”を実践する佐賀藩は、いまだ動かない。
そのため、京の中心で佐賀を示すような江藤の行動は、京に集う志士からも注目されたのである。
(続く)
再び“本編”に戻ります。文久二年(1862年)夏。佐賀を脱藩し、京都に居た江藤新平は、有力な公家・姉小路公知との接点を得ました。
〔参照:
姉小路は、尊王攘夷派の公家として頭角を現していた人物。“同志”の公家には、明治新政府の中枢にいた、三条実美などがいます。
前回、江藤は身分違いのはずの姉小路に対しても、堂々と持論を述べます。この若き公家は、そんな江藤を気に入ったようです。
――京の都、姉小路邸。
「そもそも、徳川の体(てい)たらく、異人におびえて手も出せぬとは。」
奥の座にいる、姉小路卿のもとに、連日のように新しい志士が挨拶に来る。
この頃、各地の雄藩が京都を目指し、まるで“上洛”の競争となっていた。
外交の危機が続き、そして開国をめぐって、通貨や物流など経済的な混乱が生じる。幕府は疲弊し、各地で外国への不満が高まりつつあった。
一方で、江戸期を通じて抑えられてきた、朝廷の権威は高まるばかり。もはや政局の中心は、京に移りつつあった。
――本日の志士も、さらに熱を帯びた声を上げる。
「神州に入り込む、夷狄(いてき)は打ち払い、異人は斬るべきと存ずる。」
来訪した志士は興が乗ってきたのか、威勢よく外国の排斥を唱えた。
「ほほっ…勇ましいことじゃ。」
歳は若いが、公家としての品格がある姉小路。志士たちを惹きつける魅力もある。印象に残って気に入られたいと考えるか、過激な論を叫ぶ者が続く。
「では、江藤はいかがに思う。存念を述べよ。」
ところが、姉小路はくるりと横を向くと、傍に控えていた江藤に発言を促す。
――血気盛んな志士は、江藤の方に目を向けた。
「“攘夷”の気概は、結構と存ずる。」
いつの間にか、姉小路の秘書のような位置に座っている江藤新平。
「そうであろう、貴公もいずこかの武士とお見受けする。ともに立とう。」
新参の志士は、江藤を有力公家・姉小路の側近とみて、近づこうとしている。
「されど、異人を斬って、その後はいかがする。」
「さらに斬って、追い払うのみ!」
「夷狄(いてき)とて人だ。仲間を斬られては黙ってはおるまい。」
――「この男、何が言いたい…」と怪訝(けげん)な表情をする志士。
「船にせよ、砲にせよ。我が国の業(わざ)は、異国の域に達しておらぬ。」
江藤は、整然と言葉を続ける。
「仲間を斬られたとあれば、威をもって貴殿の国元に攻めかかってこよう。」
ここで、志士は激高した。
「貴公は、とんだ腰抜けだな!夷狄(いてき)の砲が怖くて武士が務まるか!」
「武士は勝ち負けに関わらず、命を賭したとして、民はどうする。」
「民とて同じよ。立ち向かうんじゃ。」
――「それは理に合わぬ!」と江藤は、眼前の志士に鋭く言葉を発した。
「帝のためと語りながら、その民を“捨て駒”に使うとは何事か。」
江藤は、続けざまによく通る声を放った。
「まず、敵となる者の力量を知り、その業(わざ)を乗り越えねばならぬ。」
空論ではなく、実力が伴わなければ異国と対峙はできない。急進的な攘夷は、国を危うくする、これが江藤の持論だった。
長崎周辺の警備を担当し、オランダとの交易で技術を取り入れて、列強と向き合ってきた佐賀藩内では、過激な攘夷論は盛り上がらない傾向にあった。
――どのように世界と向き合う力を得るか…それは佐賀の課題だった。
激高した志士も真っ赤になっていた顔から、スーッと冷静に肌色が戻っていく。
「…貴公、京の都に居た者ではないな。どこから来られた。」
たしかに列強に負けない力を備えるのも、“攘夷”の考え方の1つだと言える。この志士には、江藤の言葉を受け止めるだけの度量があったらしい。
「佐賀から来た者だ。」
「…肥前の佐賀か?鍋島の者が、なにゆえ姉小路卿のところに…」
尊王攘夷の急先鋒のはずの姉小路ではあったが、何やら愉快そうに、江藤と、新参の志士のやり取りを眺めていた。
――諸藩の志士たちから、幕府寄りと見られていた、肥前佐賀藩。
この時期、京の都の求心力は右肩上がりである。薩摩・長州だけでなく仙台・肥後・筑前・土佐など雄藩が競って上洛する。
各地の志士たちも続々と京に集まり、不穏な熱気が高まりつつあった。だが、西洋列強の技術をよく知り“近代化”を実践する佐賀藩は、いまだ動かない。
そのため、京の中心で佐賀を示すような江藤の行動は、京に集う志士からも注目されたのである。
(続く)
Posted by SR at 21:48 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。