2023年03月15日
第19話「閑叟上洛」②(入り組んだ、京の風向き)
こんばんは。
3月18日(土曜)に放送予定の、佐賀を舞台とする『ブラタモリ』が気になって仕方ないのですが、まずは“本編”を続けます。
〔参照:「“森田さんの件”ふたたび」〕
時期は文久二年(1862年)初秋。佐賀を脱藩していた江藤新平は、京都で中央政局の情勢を探って、公家や各地の志士と関わります。
これを幕府の役人も知るところとなり、佐賀藩に対応を求める連絡が入ったという話も聞きます。江藤にも、決断せねばならない時期が迫っていました。

――京。公家・姉小路公知の屋敷。表玄関。
この秋、幕府に攘夷実行を催促すべく、江戸に向かう予定のある姉小路卿。出がけに慌ただしい様子で、江藤に届くように一声をかけた。
「江藤よ、ちと出かけるゆえ、ついて参れ。」
身分の高い公家である姉小路に初めて会う時は、長州藩士・桂小五郎らの手回しもあって、さすがの江藤も、ある程度の着物を身につけた。
だが、徐々に衣服に気を遣わない性分と、佐賀藩の奨励する質素倹約が強く出てきており、何だか以前のように、粗末な服装になってきている。
――直接、姉小路に仕えている、供回りの侍も同行する。
「江藤さん、もう少し見栄えも気にしたらどうや。」
公家に仕える侍を“青侍”というらしいが、わりと気の良い男のようだ。身なりについて、半ば呆れながらも、江藤への忠告を続けている。
「“見栄え”とは、如何(いか)に。」
「あんた、頭はええんやさかい、見かけで損したら、もったいないで。」

――江藤、この辺りの感覚は、ずれている。
姉小路卿は、よほど江藤の才覚を認めるのか服装まで気にしない感じだが、青侍の言うように、普通は貴人のお供が粗衣だと、場違いである。
「衣に意を用いる、暇(いとま)がなく失敬をする。」
相変わらずの無愛想なのだが、江藤が忙しいのも事実である。
「なんや、あんたは、いつも急いてるように見えるわ。」
京周辺で起きた事件の経過、公家や各地の大名の動向など、佐賀への報告を送り続けるが、江藤の素早い仕事ぶりだと、常人に意図までは読みづらい。
――この供回りの青侍は、苦笑しながら感想を述べた。
「まぁ、それが佐賀の流儀やったら、ええんやけどな。」
この青侍は、質素そして勤勉…が“佐賀”なのかと割り切って、自分なりに納得をしたようだ。
なお、公家にも幕府寄りと、尊王攘夷の志士たちの影響が強い派閥がある。
典型的な尊王攘夷派の姉小路卿だったが、江藤を通じて、“西洋かぶれ”の佐賀藩の考え方にも触れた。
尊攘派の仲間内の公家とも会合を重ねるが、文明の進んだ、欧米列強を意識するにつれ、若き公家・姉小路の心持ちには、少しずつ揺らぎが見える。

――瞬く間に時は過ぎて、帰り道には日も暮れる。
「天誅(てんちゅう)」という言葉が流行り、次第に物騒となってきている京の都が、宵闇の刻に至る。
ほんの数年前、彦根(滋賀)の藩士が市中を見回っていた“安政の大獄”の頃は、尊王や攘夷の思想を持つ者が、取り締まりの危険を感じる場所だった。
だが、二年と少し前の“桜田門外の変”以降は、幕府の関係者にとって、安心できない状況に逆転していた。
“安政の大獄”で仲間が捕らわれた報復とばかりに、過激な浪士が、幕府の役人に斬りかかることもある。
そんな時、浪士たちは「天に代わって、誅伐する」という名目で、襲撃を行うのだ。こうして、京の不穏は増すばかりであった。

――姉小路たちは、竹林と屋敷街の狭間に差し掛かかった。
サワサワ…と風が通る。
ここで江藤が同行する供回りに目線を送った。先ほどの青侍が、言葉を返す。
「どないしたんや、江藤さん。」
江藤が、いつになく抑えた口調で語る。
「幾人かが付いてきている。歩みは止めん方がよか。」
「何やて!?」
尊王攘夷派の公家は、政治的な立場が近い、過激派浪士の襲撃目標とはなりづらいはずだ。この青侍にも意外だったのか、とまどう様子が見られる。
幕末動乱の舞台となる京の都。すでに物騒であったが、この時期の危うさは、まだ“序章”と言わざるを得なかった。
(続く)
3月18日(土曜)に放送予定の、佐賀を舞台とする『ブラタモリ』が気になって仕方ないのですが、まずは“本編”を続けます。
〔参照:
時期は文久二年(1862年)初秋。佐賀を脱藩していた江藤新平は、京都で中央政局の情勢を探って、公家や各地の志士と関わります。
これを幕府の役人も知るところとなり、佐賀藩に対応を求める連絡が入ったという話も聞きます。江藤にも、決断せねばならない時期が迫っていました。
――京。公家・姉小路公知の屋敷。表玄関。
この秋、幕府に攘夷実行を催促すべく、江戸に向かう予定のある姉小路卿。出がけに慌ただしい様子で、江藤に届くように一声をかけた。
「江藤よ、ちと出かけるゆえ、ついて参れ。」
身分の高い公家である姉小路に初めて会う時は、長州藩士・桂小五郎らの手回しもあって、さすがの江藤も、ある程度の着物を身につけた。
だが、徐々に衣服に気を遣わない性分と、佐賀藩の奨励する質素倹約が強く出てきており、何だか以前のように、粗末な服装になってきている。
――直接、姉小路に仕えている、供回りの侍も同行する。
「江藤さん、もう少し見栄えも気にしたらどうや。」
公家に仕える侍を“青侍”というらしいが、わりと気の良い男のようだ。身なりについて、半ば呆れながらも、江藤への忠告を続けている。
「“見栄え”とは、如何(いか)に。」
「あんた、頭はええんやさかい、見かけで損したら、もったいないで。」
――江藤、この辺りの感覚は、ずれている。
姉小路卿は、よほど江藤の才覚を認めるのか服装まで気にしない感じだが、青侍の言うように、普通は貴人のお供が粗衣だと、場違いである。
「衣に意を用いる、暇(いとま)がなく失敬をする。」
相変わらずの無愛想なのだが、江藤が忙しいのも事実である。
「なんや、あんたは、いつも急いてるように見えるわ。」
京周辺で起きた事件の経過、公家や各地の大名の動向など、佐賀への報告を送り続けるが、江藤の素早い仕事ぶりだと、常人に意図までは読みづらい。
――この供回りの青侍は、苦笑しながら感想を述べた。
「まぁ、それが佐賀の流儀やったら、ええんやけどな。」
この青侍は、質素そして勤勉…が“佐賀”なのかと割り切って、自分なりに納得をしたようだ。
なお、公家にも幕府寄りと、尊王攘夷の志士たちの影響が強い派閥がある。
典型的な尊王攘夷派の姉小路卿だったが、江藤を通じて、“西洋かぶれ”の佐賀藩の考え方にも触れた。
尊攘派の仲間内の公家とも会合を重ねるが、文明の進んだ、欧米列強を意識するにつれ、若き公家・姉小路の心持ちには、少しずつ揺らぎが見える。

――瞬く間に時は過ぎて、帰り道には日も暮れる。
「天誅(てんちゅう)」という言葉が流行り、次第に物騒となってきている京の都が、宵闇の刻に至る。
ほんの数年前、彦根(滋賀)の藩士が市中を見回っていた“安政の大獄”の頃は、尊王や攘夷の思想を持つ者が、取り締まりの危険を感じる場所だった。
だが、二年と少し前の“桜田門外の変”以降は、幕府の関係者にとって、安心できない状況に逆転していた。
“安政の大獄”で仲間が捕らわれた報復とばかりに、過激な浪士が、幕府の役人に斬りかかることもある。
そんな時、浪士たちは「天に代わって、誅伐する」という名目で、襲撃を行うのだ。こうして、京の不穏は増すばかりであった。
――姉小路たちは、竹林と屋敷街の狭間に差し掛かかった。
サワサワ…と風が通る。
ここで江藤が同行する供回りに目線を送った。先ほどの青侍が、言葉を返す。
「どないしたんや、江藤さん。」
江藤が、いつになく抑えた口調で語る。
「幾人かが付いてきている。歩みは止めん方がよか。」
「何やて!?」
尊王攘夷派の公家は、政治的な立場が近い、過激派浪士の襲撃目標とはなりづらいはずだ。この青侍にも意外だったのか、とまどう様子が見られる。
幕末動乱の舞台となる京の都。すでに物騒であったが、この時期の危うさは、まだ“序章”と言わざるを得なかった。
(続く)
Posted by SR at 21:45 | Comments(0) | 第19話「閑叟上洛」
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