2020年06月15日
第11話「蝦夷探検」⑤(演説者の目覚め)
こんばんは。
藩校「弘道館」は、“内生寮”と呼ばれる全寮制の学校が主軸です。
この頃、藩校の生徒数は600人を超えていたとも言われ、大人数となった学生の寮も南北に分けています。
エネルギーに満ち溢れた男子校で、南北の二寮が並び立つ…
ライバル関係となることは必定と言えるでしょう。
――普段は“南寮”に寄宿している寮生が1人。何故か“北寮”で弁舌を奮っていた。
「その黒船たるや、蒸気仕掛けにて船足早く、進退も自在なり…」
いわば演説を続ける“南寮の学生”に、“北寮”の聴衆たちも夢中である。
「長崎の港を避け、メリケン(アメリカ)の提督ペルリは江戸のほど近く、浦賀沖に現れたんである!」
「ほうほう!」
――黒船来航の経過について、こと細かに語るのは、大隈八太郎(重信)。
上背高く、目元涼しく、弁舌は巧み…現代風に言えば、“ハイスペック”な高校生に成長した。ただ、いかんせん幕末なので、より志は高く、気性は暑苦しいところがある。
「大隈っ!そのような話をどこで仕入れた!」
聴衆から質問が飛ぶ。
「さて、志高くあれば、自然(じねん)、有用な話が集まるんである!」
少し気取っている大隈。

――母・大隈三井子の手料理に釣られてか、以前から大隈家には優秀な先輩たちがよく集まった。
例えば“いつもの3人組”を、覚えておいでであろうか。
年の順で大木喬任、江藤新平、中野方蔵の3人である。
「あら、いらっしゃい。」
これは母・三井子の思惑どおりである。藩校の中でも優秀な先輩がよく来るのも、計算どおりなのであろうか。
子・八太郎は、自宅で先輩の話を聞いているだけで、様々な知識を吸収し、成長してきた。
先ほど、1つ目の話の“仕入れ先”は、学校の教師から藩の上層部まで、顔の効く“事情通”・中野方蔵。
尊王の志厚く、“政治的”な小回りもできる要領の良い若者である。
――聴衆から「では大隈よ!そん異国どもを、どがんすっとね!?」と質問が上がる。
「やはり、攘夷か!」
他の聴衆からも声が上がり、続々と“北寮”の学生たちが、大隈の話を聞くために集まる。
「…いや、すぐさま“打払い”に走るのは、短慮である!」
大隈は少し間を溜めて言い放った。
「それでは、腰抜けではないか!」
聴衆から、反論の声が上がる。
「“蛮勇”は、いかんばい!残念なことであるが、いまの我が国に、“夷狄”(いてき)を無傷で払う力は無い!」
――いま異国と戦うのは危うい、大隈は“攘夷”の危険性を指摘した。「おおっ!」とまた、聴衆がどよめく。
「もし“打払い”に踏み出せば、戦に民は傷つき、国は疲弊してしまうであろう!」
「まず、異国との“商い”で力を蓄える。しかる後に、野蛮なる夷狄(いてき)があらば打払うんである!」
「なるほど…たしかに、そのとおりか…」
「大隈っ!いいぞ。」
「そして蝦夷地の箱館で、異国に港が開いた!これからは“拓北”(たくほく)である!」
――大隈は“拓北”という言葉を示した。これは、北海道を開拓し、今後の通商の展開に対応していくと言ったところであろう。

「すごかっ!大隈、もっと話ば、聞かせんね!」
「…いや、この話はここまでとしよう!」
この2つ目の話。“理論派”・江藤新平から聞いた内容が元になっている。ここで、大隈八太郎は、ひとまず話を切り上げた。
江藤は“図海策”という論文を構想中である。今のところ、大隈もここまでしか話を聞いていない。
――“北寮”の聴衆たちは、「大隈の話は面白かね!」と、ひとしきり盛り上がっている。
「そうじゃ!“葉隠”ばかりでは、つまらんばい!」
「こら、滅多なことを申すな。」
北寮の学生たちの間でも、議論が始まる。
一言で表せば“我慢の教え”である、佐賀武士の教典“葉隠”。
学生たちの中にも「窮屈な教育だ!」と感じる者も多いようだ。
――そして、大隈八太郎は、その最たる1人であった。藩校での教育内容に不満がある。
「然り(しかり)!いまの“弘道館”の在り方は好ましくない!」
「そして、佐賀では“科挙”よりも苛烈な試験が行われておる!」
大隈が新しい話題に参加する。古代より中国では、科挙(かきょ)と言われる役人登用試験があった。
――そして、佐賀藩には“文武課業法”という規則があった。
「藩が決めた課程で、所定の成績を修めなければ、お役目に就けない」のだ。
大隈は「面白味の無い人材を作ってしまう」と、この制度に疑問を持っていた。
3つ目の話は、聴衆との対話から始めたものだ。大隈が古代中国をはじめ教育制度に詳しいのは、“学識者”・大木喬任の影響だった。
――ここで、にわかに“北寮”の玄関口が騒々しくなる。
「大隈八太郎は、"南寮"のもん(者)じゃ!ええ加減に返さんね!」
南寮の学生たちが、大声を張り上げる。
なかなか帰って来ない、南寮の人気者・大隈八太郎を奪還しに来たのである。
(続く)
藩校「弘道館」は、“内生寮”と呼ばれる全寮制の学校が主軸です。
この頃、藩校の生徒数は600人を超えていたとも言われ、大人数となった学生の寮も南北に分けています。
エネルギーに満ち溢れた男子校で、南北の二寮が並び立つ…
ライバル関係となることは必定と言えるでしょう。
――普段は“南寮”に寄宿している寮生が1人。何故か“北寮”で弁舌を奮っていた。
「その黒船たるや、蒸気仕掛けにて船足早く、進退も自在なり…」
いわば演説を続ける“南寮の学生”に、“北寮”の聴衆たちも夢中である。
「長崎の港を避け、メリケン(アメリカ)の提督ペルリは江戸のほど近く、浦賀沖に現れたんである!」
「ほうほう!」
――黒船来航の経過について、こと細かに語るのは、大隈八太郎(重信)。
上背高く、目元涼しく、弁舌は巧み…現代風に言えば、“ハイスペック”な高校生に成長した。ただ、いかんせん幕末なので、より志は高く、気性は暑苦しいところがある。
「大隈っ!そのような話をどこで仕入れた!」
聴衆から質問が飛ぶ。
「さて、志高くあれば、自然(じねん)、有用な話が集まるんである!」
少し気取っている大隈。

――母・大隈三井子の手料理に釣られてか、以前から大隈家には優秀な先輩たちがよく集まった。
例えば“いつもの3人組”を、覚えておいでであろうか。
年の順で大木喬任、江藤新平、中野方蔵の3人である。
「あら、いらっしゃい。」
これは母・三井子の思惑どおりである。藩校の中でも優秀な先輩がよく来るのも、計算どおりなのであろうか。
子・八太郎は、自宅で先輩の話を聞いているだけで、様々な知識を吸収し、成長してきた。
先ほど、1つ目の話の“仕入れ先”は、学校の教師から藩の上層部まで、顔の効く“事情通”・中野方蔵。
尊王の志厚く、“政治的”な小回りもできる要領の良い若者である。
――聴衆から「では大隈よ!そん異国どもを、どがんすっとね!?」と質問が上がる。
「やはり、攘夷か!」
他の聴衆からも声が上がり、続々と“北寮”の学生たちが、大隈の話を聞くために集まる。
「…いや、すぐさま“打払い”に走るのは、短慮である!」
大隈は少し間を溜めて言い放った。
「それでは、腰抜けではないか!」
聴衆から、反論の声が上がる。
「“蛮勇”は、いかんばい!残念なことであるが、いまの我が国に、“夷狄”(いてき)を無傷で払う力は無い!」
――いま異国と戦うのは危うい、大隈は“攘夷”の危険性を指摘した。「おおっ!」とまた、聴衆がどよめく。
「もし“打払い”に踏み出せば、戦に民は傷つき、国は疲弊してしまうであろう!」
「まず、異国との“商い”で力を蓄える。しかる後に、野蛮なる夷狄(いてき)があらば打払うんである!」
「なるほど…たしかに、そのとおりか…」
「大隈っ!いいぞ。」
「そして蝦夷地の箱館で、異国に港が開いた!これからは“拓北”(たくほく)である!」
――大隈は“拓北”という言葉を示した。これは、北海道を開拓し、今後の通商の展開に対応していくと言ったところであろう。
「すごかっ!大隈、もっと話ば、聞かせんね!」
「…いや、この話はここまでとしよう!」
この2つ目の話。“理論派”・江藤新平から聞いた内容が元になっている。ここで、大隈八太郎は、ひとまず話を切り上げた。
江藤は“図海策”という論文を構想中である。今のところ、大隈もここまでしか話を聞いていない。
――“北寮”の聴衆たちは、「大隈の話は面白かね!」と、ひとしきり盛り上がっている。
「そうじゃ!“葉隠”ばかりでは、つまらんばい!」
「こら、滅多なことを申すな。」
北寮の学生たちの間でも、議論が始まる。
一言で表せば“我慢の教え”である、佐賀武士の教典“葉隠”。
学生たちの中にも「窮屈な教育だ!」と感じる者も多いようだ。
――そして、大隈八太郎は、その最たる1人であった。藩校での教育内容に不満がある。
「然り(しかり)!いまの“弘道館”の在り方は好ましくない!」
「そして、佐賀では“科挙”よりも苛烈な試験が行われておる!」
大隈が新しい話題に参加する。古代より中国では、科挙(かきょ)と言われる役人登用試験があった。
――そして、佐賀藩には“文武課業法”という規則があった。
「藩が決めた課程で、所定の成績を修めなければ、お役目に就けない」のだ。
大隈は「面白味の無い人材を作ってしまう」と、この制度に疑問を持っていた。
3つ目の話は、聴衆との対話から始めたものだ。大隈が古代中国をはじめ教育制度に詳しいのは、“学識者”・大木喬任の影響だった。
――ここで、にわかに“北寮”の玄関口が騒々しくなる。
「大隈八太郎は、"南寮"のもん(者)じゃ!ええ加減に返さんね!」
南寮の学生たちが、大声を張り上げる。
なかなか帰って来ない、南寮の人気者・大隈八太郎を奪還しに来たのである。
(続く)