2020年06月29日

「幕末佐賀と4つの“口”」

こんばんは。

今回のタイトルですが、怪奇小説でもSFファンタジー映画でもありません。
…但し、佐賀県歴史に詳しい人ならば、たぶん先の展開推理することができます。


――江戸時代、日本が取った対外政策は“鎖国”と呼ばれます。

そのまま読めば、国を閉ざし、外国との交流を断つということです。

しかし、長崎では、オランダ清国との交易が盛んに行われていました。“鎖国”の例外である“長崎口”です。

※現在の長崎(眼鏡橋)付近


――ここで、気づいた方もいるかもしれません。

4つの“口”?…残る“口”は、あと3つ
当時の日本には、他にも国際交流窓口があった…というお話です。


――では、一気にご紹介します。

長崎口」…幕府直轄。西洋(オランダ)との交易が許された唯一の港

対馬口」…対馬藩(厳原藩)を介して成立する。朝鮮半島との交流ルート。

薩摩口」…薩摩藩が独占する。琉球王国を通じて、清国や世界とも繋がる。

松前口」…松前藩が仕切る、樺太やロシアにも居住域を持つアイヌへの窓口。


――以上、不正確を恐れず、ざっくりとした説明を試みました。

これから何回か「県内各地域の皆様へのつぶやき」を投稿していく予定です。

今回は、あえて幕末“佐賀”というタイトルにしています。
「もう、お見通しばい!こん地域と…あん地域ば、投稿すっとね!」という方もいるかもしれません。

※現在の佐賀県庁付近。

試行錯誤の投稿ですが、該当地域の皆様、温かくお読みいただければ幸いです。