2020年06月01日

「主に大町町民の方を対象にしたつぶやき」

こんばんは。

6月1日。日本各地の大都市圏では、新型コロナが拡大する前と同様、通勤ラッシュの混雑が戻ってきています。
かつて、佐賀県で地元の人々に“大都会”と形容されるほど賑わった街がありました。


――”杵島炭鉱”で栄えた、現在の大町町です。

本編・第10話のテーマは「蒸気機関」でした。
西洋産業革命を可能にしたのは、蒸気機関の実用化による大量生産

当時、日本で最も西洋に近いと言われた佐賀藩。もちろん蒸気機関研究に着手しています。

佐野中村田中石黒佐賀藩の理化学研究所“精錬方”のメンバーたちは新技術研究に挑んでいきます。
その経緯は第10話をご覧ください。


――さて、蒸気機関の燃料といえば“石炭”です。

佐賀藩内でも、石炭の採掘は始まっていました。幕末期には、現在の大町町でも掘られていたと言います。

これから、佐賀藩蒸気船運用する場面も増えてくる予定です。
殿鍋島直正蒸気船上から西洋の動きをにらみ、佐野常民近代海軍の創設に動きます。

大町町で産出された石炭も、蒸気船燃料として使われていたのではないかと想像は膨らむところです。


――時代は流れ、昭和初期には大町に“杵島炭鉱”が開かれます。

炭鉱”は大いに栄え、大町町には最大で2万4千人ほどの人口があったようです。
往時の大町繁華街は、夜でも灯りが消えない「不夜城」のような煌びやかさであったと聞きます。



しかし、一時は“都市圏”並みの人口密集があった大町町に、転換期がやって来ます。燃料の需要は、石炭から石油にシフトし、次第に繁栄のピークは過ぎ去っていきます。

日本一のマンモス校と呼ばれ、運動会すら2回に分けて開催したほどの大所帯だった、町の小学校からも次第に児童が減っていきました。


――さて、現代です。“杵島炭鉱”時代には施設等に光を届けるための“変電所”もありました。

現在は「大町煉瓦館」として、地域盛り上げに活躍しているようです。



――当ブログの対象は幕末・明治なので、昭和に繁栄した“杵島炭鉱”の話には深入りしません。

しかし、幕末佐賀藩内で、石炭を採掘していたことについては、非常に興味があります。

幕末佐賀藩原動力(燃料)を産出した大町町…という裏付けが取れていくと面白いのかなと思います。



〔※他の石炭産地の地域の皆様への補足〕
佐賀県内で言えば、非常に掘りやすかった“唐津炭田”が産出量だと全国レベルだったようです。同じ佐賀藩内で言えば、多久でも石炭は産出していたようです。

…しかし、両地域には他にも幕末期の話題がありそうなので、今回は大町町の話題としました。
なんとなく、大町町と“石炭”の話は、ノスタルジックな感じがして良い!と思ってつぶやいていますので、ご容赦のほどを。