2020年02月09日
第3話「西洋砲術」②
こんにちは。
第3話「西洋砲術」の続きです。今回の投稿は、佐賀城下→長崎→武雄と場面が転換します。
②長崎の砲術家と武雄領主
――佐賀藩は、慢性的な借金から抜け出すため、構造改革を行っていた。
第1話から約30年にわたって登場している2人。
勘定方と長崎御番の侍が話を続けている。
「安房様をお支えし、此度こそ勝手向き(財政)を立て直す!」
「立派なことだ。お主が元気に頑張っていると、私も嬉しいぞ。」
「あと心配なのは…お前たち、長崎の台場にかかる資金だけじゃ。」
勘定方が長崎御番に目を向けてつぶやく。
「長崎の砲台は別枠じゃ!“フェートン号”の屈辱を忘れたか!」
いきなり矛先が向いたので、身構える長崎御番の侍。
「まぁ、上からご指示もあるので、やむを得んな。お前たちは、頭上から“天狗”のように資金をさらって行くのう。」
佐賀藩の上層部には、砲術の超・推進派である武雄領主・鍋島茂義がいる。
「私は“天狗”か。しかし、老いには勝てぬ。次に続く者たちを育てておかねばな…」
――舞台は長崎に移る。武雄領の侍・平山が、“高島流砲術”の伝授を受けている。
この砲術を創始した高島秋帆は、町役人(町年寄)である。
…といっても、長崎での“町役人”の立ち位置は、他所とは少々異なっていた。
第1話でも登場した“幕府のエリート職”である長崎奉行。
しかし、奉行は長崎以外の土地からやってきて、わずか数年の任期で去っていくのが通常である。そして、長崎奉行所の役人であるが、こちらも極端に数が少なく、数十人規模である。
そのため奉行所が直接、役目にあたるのは“外交”にほぼ限定されている。
長崎の街は、高島秋帆ら地元の有力者が“町役人”として運営していた。
――長崎において“町役人”とは「街の顔」なのである。

朝には出島での用向きを済ませた、高島秋帆。ふと昔を思い出して語る。
「私もねぇ。フェートン号の件が、頭から離れんのだよ。」
長崎という土地柄、役人でありつつも貿易に関与している。幕府が定める内容以外に自身の取引を行うことも許された。
本来の積荷で余った空間を使うことから“脇荷貿易”というらしい。
その利益は大きく、長崎の町役人は並みの大名よりよっぽど羽振りがいい。
――高島秋帆も10万石の大名に匹敵する…とも言われた。
「危難を忘れず、オランダの砲術を志すとは。お師匠、ご立派です。」
平山醇左衛門は、第2話に幾度か登場している。
ただ、根が真面目なので、いつも庭などに控えている。
そのため、武雄領主・鍋島茂義は、平山が帰参すると、大声で平山を呼びながら、屋敷の中を探し回る。
平山は極めて精緻に砲術を学んでいた。
大砲に関する蘭学書も研究し、実践の技術も着実に習得している。
――高島秋帆は続ける。大名並みの力を持っても、長崎の町衆に近い存在。言葉は格式ばっていない。
「フェートン号のような大型の洋船には、旧来の大筒では対抗できん。」
「砲弾が命中しても、損傷を与えられないのですね。」
「そのとおり。私は長崎、そして、この国を守りたいのだよ。」
口先だけでなく、高島流砲術を広めることに、熱心な秋帆。
「皆に、この西洋砲術を教え、皆で国を守るのだ!」
「師匠…なんと志の高い。この平山にもお手伝いさせてください。」
長崎港を実質的に異国船に占拠された“フェートン号事件”の衝撃。
失態により処罰を受けた佐賀藩以上に、長崎の町役人には危機感があった。
高島秋帆は、出島にオランダ軍の士官を務めた人物が来たことを好機として、本格的にオランダ砲術を学んだ。
――そして、さまざま試行錯誤を重ね、“高島流砲術”を創始することとなる。
秋帆は以前から日本古来の砲術も学んでいたが、“高島流”は号令もオランダ語という日本初の“西洋砲術”の流派に仕上がった。
「わが武雄領の殿も、お師匠の砲術の伝習を心待ちにしております!」
「相分かった。武雄までお伺いするとしよう!」
熱い志を持つ秋帆、想いを受けとめる平山。
当時の日本の砲術、師匠の高島と直弟子の平山が最先端を走っていた。
――そして、平山が武雄領に帰参する。

平山が帰ってきたと聞き、鍋島茂義が屋敷の廊下を走る。
「平山、平山、平山平山…山平!おう、そこに居ったか」
「はっ!“山平”は、ここにございます!」
庭に控えている平山。
「はっはっは…馬鹿に素直な奴じゃな。“山平”になっておるではないか。」
「平山でも、山平でも、私にございます!」
「話のわかる男じゃ!…して、秋帆先生はいかがであった。」
「夏には、この武雄にお越しいただけるそうです。」
――大喜びする、鍋島茂義。
「でかした!平山山平…!でかしたぞ!」
「はっ。出迎えの支度をいたします。」
「砲術の訓練に適した場所を探すのじゃな!」
「はっ!ただちに段取りを整えます!」
平山も、茂義の反応がよほど嬉しいのか、微笑んでいる。
側に居た茂義の家来が、ふとつぶやいた。
「…平山山平…ややこしい呼び名でございますな。」
「ちがいない!はっはっは!」
鍋島茂義は上機嫌であった。
茂義も高島秋帆には1年ほど前に入門している。しかし、領主が長崎で砲術の指導を受けることは難しい。
いわば平山を介した通信教育の状態が続いていた。
茂義は、秋帆から直接教えを受けられることに高揚しているのだった。
(続く)
第3話「西洋砲術」の続きです。今回の投稿は、佐賀城下→長崎→武雄と場面が転換します。
②長崎の砲術家と武雄領主
――佐賀藩は、慢性的な借金から抜け出すため、構造改革を行っていた。
第1話から約30年にわたって登場している2人。
勘定方と長崎御番の侍が話を続けている。
「安房様をお支えし、此度こそ勝手向き(財政)を立て直す!」
「立派なことだ。お主が元気に頑張っていると、私も嬉しいぞ。」
「あと心配なのは…お前たち、長崎の台場にかかる資金だけじゃ。」
勘定方が長崎御番に目を向けてつぶやく。
「長崎の砲台は別枠じゃ!“フェートン号”の屈辱を忘れたか!」
いきなり矛先が向いたので、身構える長崎御番の侍。
「まぁ、上からご指示もあるので、やむを得んな。お前たちは、頭上から“天狗”のように資金をさらって行くのう。」
佐賀藩の上層部には、砲術の超・推進派である武雄領主・鍋島茂義がいる。
「私は“天狗”か。しかし、老いには勝てぬ。次に続く者たちを育てておかねばな…」
――舞台は長崎に移る。武雄領の侍・平山が、“高島流砲術”の伝授を受けている。
この砲術を創始した高島秋帆は、町役人(町年寄)である。
…といっても、長崎での“町役人”の立ち位置は、他所とは少々異なっていた。
第1話でも登場した“幕府のエリート職”である長崎奉行。
しかし、奉行は長崎以外の土地からやってきて、わずか数年の任期で去っていくのが通常である。そして、長崎奉行所の役人であるが、こちらも極端に数が少なく、数十人規模である。
そのため奉行所が直接、役目にあたるのは“外交”にほぼ限定されている。
長崎の街は、高島秋帆ら地元の有力者が“町役人”として運営していた。
――長崎において“町役人”とは「街の顔」なのである。

朝には出島での用向きを済ませた、高島秋帆。ふと昔を思い出して語る。
「私もねぇ。フェートン号の件が、頭から離れんのだよ。」
長崎という土地柄、役人でありつつも貿易に関与している。幕府が定める内容以外に自身の取引を行うことも許された。
本来の積荷で余った空間を使うことから“脇荷貿易”というらしい。
その利益は大きく、長崎の町役人は並みの大名よりよっぽど羽振りがいい。
――高島秋帆も10万石の大名に匹敵する…とも言われた。
「危難を忘れず、オランダの砲術を志すとは。お師匠、ご立派です。」
平山醇左衛門は、第2話に幾度か登場している。
ただ、根が真面目なので、いつも庭などに控えている。
そのため、武雄領主・鍋島茂義は、平山が帰参すると、大声で平山を呼びながら、屋敷の中を探し回る。
平山は極めて精緻に砲術を学んでいた。
大砲に関する蘭学書も研究し、実践の技術も着実に習得している。
――高島秋帆は続ける。大名並みの力を持っても、長崎の町衆に近い存在。言葉は格式ばっていない。
「フェートン号のような大型の洋船には、旧来の大筒では対抗できん。」
「砲弾が命中しても、損傷を与えられないのですね。」
「そのとおり。私は長崎、そして、この国を守りたいのだよ。」
口先だけでなく、高島流砲術を広めることに、熱心な秋帆。
「皆に、この西洋砲術を教え、皆で国を守るのだ!」
「師匠…なんと志の高い。この平山にもお手伝いさせてください。」
長崎港を実質的に異国船に占拠された“フェートン号事件”の衝撃。
失態により処罰を受けた佐賀藩以上に、長崎の町役人には危機感があった。
高島秋帆は、出島にオランダ軍の士官を務めた人物が来たことを好機として、本格的にオランダ砲術を学んだ。
――そして、さまざま試行錯誤を重ね、“高島流砲術”を創始することとなる。
秋帆は以前から日本古来の砲術も学んでいたが、“高島流”は号令もオランダ語という日本初の“西洋砲術”の流派に仕上がった。
「わが武雄領の殿も、お師匠の砲術の伝習を心待ちにしております!」
「相分かった。武雄までお伺いするとしよう!」
熱い志を持つ秋帆、想いを受けとめる平山。
当時の日本の砲術、師匠の高島と直弟子の平山が最先端を走っていた。
――そして、平山が武雄領に帰参する。

平山が帰ってきたと聞き、鍋島茂義が屋敷の廊下を走る。
「平山、平山、平山平山…山平!おう、そこに居ったか」
「はっ!“山平”は、ここにございます!」
庭に控えている平山。
「はっはっは…馬鹿に素直な奴じゃな。“山平”になっておるではないか。」
「平山でも、山平でも、私にございます!」
「話のわかる男じゃ!…して、秋帆先生はいかがであった。」
「夏には、この武雄にお越しいただけるそうです。」
――大喜びする、鍋島茂義。
「でかした!平山山平…!でかしたぞ!」
「はっ。出迎えの支度をいたします。」
「砲術の訓練に適した場所を探すのじゃな!」
「はっ!ただちに段取りを整えます!」
平山も、茂義の反応がよほど嬉しいのか、微笑んでいる。
側に居た茂義の家来が、ふとつぶやいた。
「…平山山平…ややこしい呼び名でございますな。」
「ちがいない!はっはっは!」
鍋島茂義は上機嫌であった。
茂義も高島秋帆には1年ほど前に入門している。しかし、領主が長崎で砲術の指導を受けることは難しい。
いわば平山を介した通信教育の状態が続いていた。
茂義は、秋帆から直接教えを受けられることに高揚しているのだった。
(続く)
Posted by SR at 12:59 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」
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