2020年02月11日
第3話「西洋砲術」③-2
こんばんは。
幕末佐賀藩の大河ドラマをイメージすると、異国船の出没と幕府の動揺は重要なポイントなので丁寧に描きたいと考えています。
本日の投稿は、1837年の「モリソン号事件」です。実は佐賀藩士が1人も出てきませんが、最後に“反射炉”で佐賀と深く関わる人物が登場します。
――ポン!ポン!
浦賀沖に、大筒の音が響く。
幕府の命により、沿岸から小田原・川越の両藩が異国船に向けて砲撃を開始した。
この“モリソン号”は、アメリカの商船である。現時点でまともな武装はしていない。見た目からイギリスの軍船と勘違いされているようだ。
「ジョージ!オトソン!一体どうなってるんだ、お前たちの国は!」
いきなり砲撃を受け、アメリカ人船員がとまどう。
そして、なぜかアメリカ船に乗っている“日本人”に文句を言う。
先ほど“ジョージ”と呼ばれたのは“庄蔵”。
肥後(熊本)出身の商人で、天草から長崎に向かう船で遭難。漂流した。
“オトソン”とは“音吉”。
尾張(愛知)出身。鳥羽(三重)から江戸に向けて出航し、静岡沖で遭難した。

――このモリソン号に乗るまで、幾度となく生死の境を彷徨い、あるいは漂着後には売り飛ばされたりと散々な目にあってきた。
庄蔵・音吉の2人を含め、各々の仲間をあわせて7人。いずれも日本人の漂流民である。様々な苦難を乗り越え、アメリカ船で、ようやく祖国の沖合までたどり着いたのである。
モリソン号の狙いは、漂流民を送還して、日本に通商を求めることだった。
戦う意思が無いことを示すため、あえて大砲などの武装はしていない。
――沿岸からの砲撃を見て、船員たちがざわつく。
しかし戦国時代からほぼ進化していない大筒では、大型の洋船に損傷を与える威力はない。
「俺たちは武器も持たずに、漂流民を送り届ける心優しき男たちなんだぜ!」
「それをいきなり、砲撃してくるとはよぉ。なんてこった!」
“音吉”に文句を言う、アメリカ人船員。
「ア…アイ、ドント、ノゥ…(わかりません…)」
いつの間にか英語が上達している“音吉”。
「オトソン!言葉がうまくなったな。」
“音吉”の語学上達に関心する船員。
「もう少し粘ってみるか!」
――モリソン号は薩摩に回航し、山川港の沖に一時停泊する。
漂流民のうち、庄蔵ほか1名は薩摩に縁があるため、上陸のお願いに足を運ぶ。薩摩藩は琉球との交易を支配しており、一般の藩よりは遥かに異国慣れしていた。
「船が港に入ることは、なりもはん!」
国法である“鎖国”を、当時の薩摩藩が曲げるはずもない。
薩摩の言葉は特徴が強い。今後の展開を考え、あえて方言に寄せた表現を取りたい。
「お主らはオランダ船に乗り換えれば、長崎には入れもす。船は薩摩には入れもはん。帰ってたもんせ。」
――そして、退去を躊躇するモリソン号に、薩摩藩は威嚇の砲撃を行った
12年前の“異国船打払令”が機能しているのである。
「なんてこった。この国は、すぐ撃ってきやがる。」
呆れるアメリカ人船員。
「まぁ、あの大砲じゃ、大して効かないけどな。」
――“モリソン号事件”の影響は多方面に及んだ。
とくに蘭学を学ぶ者には、幕府の鎖国政策を批判する契機となった。
渡辺崋山・高野長英らは仲間うちで、意見を著述するが、その内容は予想外に拡散していく。
――幕府がモリソン号を打払ったのは、浦賀(神奈川)の沖合。
近隣の伊豆(静岡)の韮山を治める幕府の代官、江川英龍(太郎左衛門)も蘭学に詳しかったが、渡辺・高野の2人とは少し方向性が違い、“海防”の大砲が貧弱過ぎることを嘆いた。
江川は「異国船を打払う力、すなわち“西洋砲術”が必要だ!」と志を立て、長崎そして佐賀へと足を運ぶことになる。
(続く)
幕末佐賀藩の大河ドラマをイメージすると、異国船の出没と幕府の動揺は重要なポイントなので丁寧に描きたいと考えています。
本日の投稿は、1837年の「モリソン号事件」です。実は佐賀藩士が1人も出てきませんが、最後に“反射炉”で佐賀と深く関わる人物が登場します。
――ポン!ポン!
浦賀沖に、大筒の音が響く。
幕府の命により、沿岸から小田原・川越の両藩が異国船に向けて砲撃を開始した。
この“モリソン号”は、アメリカの商船である。現時点でまともな武装はしていない。見た目からイギリスの軍船と勘違いされているようだ。
「ジョージ!オトソン!一体どうなってるんだ、お前たちの国は!」
いきなり砲撃を受け、アメリカ人船員がとまどう。
そして、なぜかアメリカ船に乗っている“日本人”に文句を言う。
先ほど“ジョージ”と呼ばれたのは“庄蔵”。
肥後(熊本)出身の商人で、天草から長崎に向かう船で遭難。漂流した。
“オトソン”とは“音吉”。
尾張(愛知)出身。鳥羽(三重)から江戸に向けて出航し、静岡沖で遭難した。

――このモリソン号に乗るまで、幾度となく生死の境を彷徨い、あるいは漂着後には売り飛ばされたりと散々な目にあってきた。
庄蔵・音吉の2人を含め、各々の仲間をあわせて7人。いずれも日本人の漂流民である。様々な苦難を乗り越え、アメリカ船で、ようやく祖国の沖合までたどり着いたのである。
モリソン号の狙いは、漂流民を送還して、日本に通商を求めることだった。
戦う意思が無いことを示すため、あえて大砲などの武装はしていない。
――沿岸からの砲撃を見て、船員たちがざわつく。
しかし戦国時代からほぼ進化していない大筒では、大型の洋船に損傷を与える威力はない。
「俺たちは武器も持たずに、漂流民を送り届ける心優しき男たちなんだぜ!」
「それをいきなり、砲撃してくるとはよぉ。なんてこった!」
“音吉”に文句を言う、アメリカ人船員。
「ア…アイ、ドント、ノゥ…(わかりません…)」
いつの間にか英語が上達している“音吉”。
「オトソン!言葉がうまくなったな。」
“音吉”の語学上達に関心する船員。
「もう少し粘ってみるか!」
――モリソン号は薩摩に回航し、山川港の沖に一時停泊する。
漂流民のうち、庄蔵ほか1名は薩摩に縁があるため、上陸のお願いに足を運ぶ。薩摩藩は琉球との交易を支配しており、一般の藩よりは遥かに異国慣れしていた。
「船が港に入ることは、なりもはん!」
国法である“鎖国”を、当時の薩摩藩が曲げるはずもない。
薩摩の言葉は特徴が強い。今後の展開を考え、あえて方言に寄せた表現を取りたい。
「お主らはオランダ船に乗り換えれば、長崎には入れもす。船は薩摩には入れもはん。帰ってたもんせ。」
――そして、退去を躊躇するモリソン号に、薩摩藩は威嚇の砲撃を行った
12年前の“異国船打払令”が機能しているのである。
「なんてこった。この国は、すぐ撃ってきやがる。」
呆れるアメリカ人船員。
「まぁ、あの大砲じゃ、大して効かないけどな。」
――“モリソン号事件”の影響は多方面に及んだ。
とくに蘭学を学ぶ者には、幕府の鎖国政策を批判する契機となった。
渡辺崋山・高野長英らは仲間うちで、意見を著述するが、その内容は予想外に拡散していく。
――幕府がモリソン号を打払ったのは、浦賀(神奈川)の沖合。
近隣の伊豆(静岡)の韮山を治める幕府の代官、江川英龍(太郎左衛門)も蘭学に詳しかったが、渡辺・高野の2人とは少し方向性が違い、“海防”の大砲が貧弱過ぎることを嘆いた。
江川は「異国船を打払う力、すなわち“西洋砲術”が必要だ!」と志を立て、長崎そして佐賀へと足を運ぶことになる。
(続く)
Posted by SR at 20:35 | Comments(0) | 第3話「西洋砲術」
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