2022年06月15日
第18話「京都見聞」⑫(江藤、“長州”と出会う)
こんばんは。
前回の続きです。京の鴨川近くにある、長州藩(山口)の屋敷にたどり着いた江藤新平。
藩邸の門前で、いつものように声を張ります。屋敷から出てきた男は、江藤のことをじっと見つめるのでした。
この場で応対に出た人物、明治期には大政治家として知られるのですが、ここでは、桂小五郎の配下としてご覧ください。
――ここの屋敷に居る、上級武士の手下と思われる男。
まるで商人が相手の支払い能力を値踏みするような眼差し、江藤の身なりでは、即座にお断りだろう。

しかし、この男の反応は意外なもので、あっさりとこう言い放つ。
「よし、桂さまはお会いになるじゃろと思います。」
屈強な感じの体躯だが、えらく軽い男だ。江藤が今まで会ったことが無さそうな類型の人物である。
「申し遅れました。伊藤俊輔と言います。お見知りおきを。」
――伊藤という男は“謎の脱藩者”に対して、すかさず名乗った。
「江藤と申す。世話をかける。」
「では、こちらにどうぞ。」
続いて、あっさりと屋敷内に案内して、座敷で待つように促した。
「恐れ入る。」
このトントン拍子の展開には、江藤も面食らった。よく小回りが効き、頭の回転も速い人物と見える。
そして、長州藩の屋敷には質素倹約とは似ても似つかない、金回りの良さを感じさせる雰囲気があった。
「甚(はなは)だ、華美なり…。」

――見栄えも重視する、西国の雄・長州藩。
当時の流通は、日本沿海を廻る船によって支えられた。商人たちは陸地に沿った航路で、港から港へと回る中で、各地の物産を取引していく。
日本海側から瀬戸内海を通り、天下の台所・大坂(大阪)に至る。その航路の要所・下関などの港がある長州藩(山口)は豊かになる基礎があった。
財政が好転してからは、商人への金払いも良いのか、上方(京・大坂)の町衆たちからの受けも良い。
「佐賀から来た方と聞く。待たせた。」
立派な衣服に身を包んだ、若い上級武士と見える人物が姿を見せる。
――ここでも、展開が早い。これが雄藩・長州の流儀か。
「そろそろ、佐賀の者と話がしたいと思っていた。」
この人物が、祇園太郎に聞いた“桂さん”だろう。神道無念流の剣の遣い手で、江戸の三大道場の1つ・練兵館でも塾頭を務めたらしい。
「江藤と申す。故(ゆえ)ありて佐賀を抜け、京に至った。」
相変わらず語り口調は固いが、江藤からも名乗った。
「桂だ。気になっては居たが、佐賀は今ひとつ真意がわからんのじゃ。」

もはや身なり粗末な下級武士でも「…ついに佐賀の代表が来た」という扱い。この場合、江藤の堂々とした態度は効果的だ。
西洋との交易での経済力も高く、国内最新鋭の軍事技術を持つが、どう動くかわからない…と見られていた、佐賀藩。
佐賀の動向は幕府や他藩にも影響するため、「何の腹づもりがあるのか…」と常に注目される。
――桂小五郎は、医者の家の出身だったが、
当時、江戸の剣術道場は各藩から有為の人材が集まり、桂も各地の志士と交流した。西洋の技術に通じる者も訪ね、見識を磨いた。
文武両道に通じ、他藩ともつながる桂小五郎。いまや藩内で大出世を遂げ、長州の若きリーダー格として存在感が見てとれる。

「江藤くんだったな。佐賀の方には、お聞きしたい事が山ほどあるゆえ。」
上機嫌に語ると見える、桂小五郎。絹地であろうか、いかにも心地がよさそうな着物を翻す。
「やはり、華美なり…。」
脱藩者でありながら、自然と“鍋島武士”の精神を重んじてしまう江藤。佐賀藩の質素倹約の掟が、まったく抜けていない。
期せずして、江藤は“佐賀の者”として存在感を示すことになり、京での活動は前に進むのだった。
(続く)
前回の続きです。京の鴨川近くにある、長州藩(山口)の屋敷にたどり着いた江藤新平。
藩邸の門前で、いつものように声を張ります。屋敷から出てきた男は、江藤のことをじっと見つめるのでした。
この場で応対に出た人物、明治期には大政治家として知られるのですが、ここでは、桂小五郎の配下としてご覧ください。
――ここの屋敷に居る、上級武士の手下と思われる男。
まるで商人が相手の支払い能力を値踏みするような眼差し、江藤の身なりでは、即座にお断りだろう。
しかし、この男の反応は意外なもので、あっさりとこう言い放つ。
「よし、桂さまはお会いになるじゃろと思います。」
屈強な感じの体躯だが、えらく軽い男だ。江藤が今まで会ったことが無さそうな類型の人物である。
「申し遅れました。伊藤俊輔と言います。お見知りおきを。」
――伊藤という男は“謎の脱藩者”に対して、すかさず名乗った。
「江藤と申す。世話をかける。」
「では、こちらにどうぞ。」
続いて、あっさりと屋敷内に案内して、座敷で待つように促した。
「恐れ入る。」
このトントン拍子の展開には、江藤も面食らった。よく小回りが効き、頭の回転も速い人物と見える。
そして、長州藩の屋敷には質素倹約とは似ても似つかない、金回りの良さを感じさせる雰囲気があった。
「甚(はなは)だ、華美なり…。」
――見栄えも重視する、西国の雄・長州藩。
当時の流通は、日本沿海を廻る船によって支えられた。商人たちは陸地に沿った航路で、港から港へと回る中で、各地の物産を取引していく。
日本海側から瀬戸内海を通り、天下の台所・大坂(大阪)に至る。その航路の要所・下関などの港がある長州藩(山口)は豊かになる基礎があった。
財政が好転してからは、商人への金払いも良いのか、上方(京・大坂)の町衆たちからの受けも良い。
「佐賀から来た方と聞く。待たせた。」
立派な衣服に身を包んだ、若い上級武士と見える人物が姿を見せる。
――ここでも、展開が早い。これが雄藩・長州の流儀か。
「そろそろ、佐賀の者と話がしたいと思っていた。」
この人物が、祇園太郎に聞いた“桂さん”だろう。神道無念流の剣の遣い手で、江戸の三大道場の1つ・練兵館でも塾頭を務めたらしい。
「江藤と申す。故(ゆえ)ありて佐賀を抜け、京に至った。」
相変わらず語り口調は固いが、江藤からも名乗った。
「桂だ。気になっては居たが、佐賀は今ひとつ真意がわからんのじゃ。」
もはや身なり粗末な下級武士でも「…ついに佐賀の代表が来た」という扱い。この場合、江藤の堂々とした態度は効果的だ。
西洋との交易での経済力も高く、国内最新鋭の軍事技術を持つが、どう動くかわからない…と見られていた、佐賀藩。
佐賀の動向は幕府や他藩にも影響するため、「何の腹づもりがあるのか…」と常に注目される。
――桂小五郎は、医者の家の出身だったが、
当時、江戸の剣術道場は各藩から有為の人材が集まり、桂も各地の志士と交流した。西洋の技術に通じる者も訪ね、見識を磨いた。
文武両道に通じ、他藩ともつながる桂小五郎。いまや藩内で大出世を遂げ、長州の若きリーダー格として存在感が見てとれる。
「江藤くんだったな。佐賀の方には、お聞きしたい事が山ほどあるゆえ。」
上機嫌に語ると見える、桂小五郎。絹地であろうか、いかにも心地がよさそうな着物を翻す。
「やはり、華美なり…。」
脱藩者でありながら、自然と“鍋島武士”の精神を重んじてしまう江藤。佐賀藩の質素倹約の掟が、まったく抜けていない。
期せずして、江藤は“佐賀の者”として存在感を示すことになり、京での活動は前に進むのだった。
(続く)
Posted by SR at 21:59 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」
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