2022年06月02日
第18話「京都見聞」⑨(その志は、海に消えても)
こんばんは。
前回の続きです。佐賀の小城支藩から出て、上方で活動すること数年。京の事情にも通じる謎の男・“祇園太郎”が語り出した「怖い話」。
それは幕末期に志を果たすべく、佐賀に期待して城下にも来訪し、江藤らの所属する“義祭同盟”との連携を求めた、秋月(福岡)の志士の悲劇でした。
――「江藤さん。大丈夫とね?」
祇園太郎が声をかける。その思惑は様々でも、勤王の想いを胸に“来佐”した志士たちを想い返す江藤。その姿を、考え込む様子と見たようだ。

「先年、海賀どのには会ったことがある。」
そんな江藤の反応に、祇園太郎は少し語りづらそうに続けた。
「…もはや、この世には居らぬかもしれんばい。」
「寺田屋の騒動で、討ち死にしたというか。」
「いや、戦わんかった。そん男だけでなく、薩摩の者以外は皆、おとなしくしておった。」
――寺田屋に居た、薩摩藩の勤王派。
一部の薩摩藩士が壮絶に斬り合った後、残りの薩摩の者は“上意”に従った。
〔参照(後半):第18話「京都見聞」③(寺田屋騒動の始末)〕
久留米(福岡)などの者は、自らの藩に引き渡されることになったが、公家に仕える者や、他藩が引き取らない見通しの者など、幾人かが残る。
「他の方々は…薩摩で、お引き受け申そう。」
国父・島津久光の命を受けた、取締り側の薩摩藩士が“残党”に対応する。
残った中には、島原(長崎)の中村主計など10代の若者もおり、薩摩の侍は彼らを連れていく。
――ここで「仰せに従う。」と、言葉を発した者が居た。
秋月藩・海賀宮門は、あえて薩摩行きに加わることを申し出た。
「私も、彼らとともに参ろう。」

「海賀さん…」
「中村くん。ここはひとまず、再起の時節を待とう。」
現代の感覚で言えば、この二人は長崎の少年と福岡の青年である。他にも、但馬(兵庫)の志士も居たが、彼もまた年少のようだ。
「秋月の者か…、よかでごわす。」
やや低く絞ったような声で応じる、薩摩藩士。
海賀には“兄貴分”として、年少の者の面倒を見ようという意識があったか、自ら合流したという。しかし、この薩摩藩士には彼らの行く末が見えていた。
――ここまで黙して、祇園太郎の話を聞いていた、江藤。
「しばし、待て。逆に、一行が薩摩に着かなかった証(あかし)はあるか。」
江藤とて続く話の察しはつく。その旅路は、薩摩には届かなかったのだろう。
「…乗ってはならぬ、誘いがある。」
祇園太郎は、そう言い切った。ここでの薩摩行きは、勤王派の粛清の続きだったのだ。それらの船に乗った者の命運は、既に尽きていた。
公武合体を進め、一橋派を復活させて薩摩藩が幕政改革の主導権を握る。これが薩摩の国父・島津久光の狙いだった。
この“大望”にとっては、薩摩藩の勤王派だけでなく、それに関わってくる筑前(福岡)など諸国の“浪士”たちも、目障りな存在だったようだ。
――そう語る“祇園太郎”の横顔。今までになく暗い影が見える。
「それが、京の…今の姿か。」
江藤が、いつになく抑えた声を発した。

「そうたい。甘い心持ちで居ったら、命は幾つあっても足らんとよ。」
ここ数年、この“佐賀からの脱藩者”が目にした事柄も多いのだろう。江藤が知らなかった世界がそこにはあった。
「“赤心報国”…。」
「偽りの無か心で、国に尽くす…とか、言いよるか?」
ここで祇園太郎が、すかさず江藤のつぶやいた言葉を拾う。
――江藤は、想い出していた。
まだ若いのに腹巻をして、その肚(はら)に真心を込めた“秋月の志士”を。
「その真っ直ぐな男が、大事にした“言葉”だ。」
「…残念な知らせばい。」
祇園太郎は、一瞬、済まなさそうな表情を見せた。
「その男からは…佐賀が、ともに動く日を待つと聞いた。」
またもや、ずいと足早に動き出した江藤新平。
「待たんね!危うい動きはならんばい。」
再び振り回される感じとなった、祇園太郎は、また声を張るのだった。
(続く)
前回の続きです。佐賀の小城支藩から出て、上方で活動すること数年。京の事情にも通じる謎の男・“祇園太郎”が語り出した「怖い話」。
それは幕末期に志を果たすべく、佐賀に期待して城下にも来訪し、江藤らの所属する“義祭同盟”との連携を求めた、秋月(福岡)の志士の悲劇でした。
――「江藤さん。大丈夫とね?」
祇園太郎が声をかける。その思惑は様々でも、勤王の想いを胸に“来佐”した志士たちを想い返す江藤。その姿を、考え込む様子と見たようだ。
「先年、海賀どのには会ったことがある。」
そんな江藤の反応に、祇園太郎は少し語りづらそうに続けた。
「…もはや、この世には居らぬかもしれんばい。」
「寺田屋の騒動で、討ち死にしたというか。」
「いや、戦わんかった。そん男だけでなく、薩摩の者以外は皆、おとなしくしておった。」
――寺田屋に居た、薩摩藩の勤王派。
一部の薩摩藩士が壮絶に斬り合った後、残りの薩摩の者は“上意”に従った。
〔参照(後半):
久留米(福岡)などの者は、自らの藩に引き渡されることになったが、公家に仕える者や、他藩が引き取らない見通しの者など、幾人かが残る。
「他の方々は…薩摩で、お引き受け申そう。」
国父・島津久光の命を受けた、取締り側の薩摩藩士が“残党”に対応する。
残った中には、島原(長崎)の中村主計など10代の若者もおり、薩摩の侍は彼らを連れていく。
――ここで「仰せに従う。」と、言葉を発した者が居た。
秋月藩・海賀宮門は、あえて薩摩行きに加わることを申し出た。
「私も、彼らとともに参ろう。」
「海賀さん…」
「中村くん。ここはひとまず、再起の時節を待とう。」
現代の感覚で言えば、この二人は長崎の少年と福岡の青年である。他にも、但馬(兵庫)の志士も居たが、彼もまた年少のようだ。
「秋月の者か…、よかでごわす。」
やや低く絞ったような声で応じる、薩摩藩士。
海賀には“兄貴分”として、年少の者の面倒を見ようという意識があったか、自ら合流したという。しかし、この薩摩藩士には彼らの行く末が見えていた。
――ここまで黙して、祇園太郎の話を聞いていた、江藤。
「しばし、待て。逆に、一行が薩摩に着かなかった証(あかし)はあるか。」
江藤とて続く話の察しはつく。その旅路は、薩摩には届かなかったのだろう。
「…乗ってはならぬ、誘いがある。」
祇園太郎は、そう言い切った。ここでの薩摩行きは、勤王派の粛清の続きだったのだ。それらの船に乗った者の命運は、既に尽きていた。
公武合体を進め、一橋派を復活させて薩摩藩が幕政改革の主導権を握る。これが薩摩の国父・島津久光の狙いだった。
この“大望”にとっては、薩摩藩の勤王派だけでなく、それに関わってくる筑前(福岡)など諸国の“浪士”たちも、目障りな存在だったようだ。
――そう語る“祇園太郎”の横顔。今までになく暗い影が見える。
「それが、京の…今の姿か。」
江藤が、いつになく抑えた声を発した。

「そうたい。甘い心持ちで居ったら、命は幾つあっても足らんとよ。」
ここ数年、この“佐賀からの脱藩者”が目にした事柄も多いのだろう。江藤が知らなかった世界がそこにはあった。
「“赤心報国”…。」
「偽りの無か心で、国に尽くす…とか、言いよるか?」
ここで祇園太郎が、すかさず江藤のつぶやいた言葉を拾う。
――江藤は、想い出していた。
まだ若いのに腹巻をして、その肚(はら)に真心を込めた“秋月の志士”を。
「その真っ直ぐな男が、大事にした“言葉”だ。」
「…残念な知らせばい。」
祇園太郎は、一瞬、済まなさそうな表情を見せた。
「その男からは…佐賀が、ともに動く日を待つと聞いた。」
またもや、ずいと足早に動き出した江藤新平。
「待たんね!危うい動きはならんばい。」
再び振り回される感じとなった、祇園太郎は、また声を張るのだった。
(続く)
Posted by SR at 21:15 | Comments(0) | 第18話「京都見聞」
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