2022年08月14日
「有工に見た、“終わらない物語”」
こんにちは。
夏の全国高校野球・甲子園大会に、佐賀県代表で出場した有田工業高校。
同校キャプテンが、試合前に「9年前に1勝している先輩たちを超えたい」と、語っている姿も放送されていました。
昨日の試合では勝ち進むことはできませんでしたが、こうして過去から現在、未来の後輩へと“物語”は受け継がれていくのだな…と感じた場面です。

――春のセンバツ甲子園大会に続いて、遠かった1勝。
実は、個人的にどうしても抜けられない都合が入ってしまい、私は春に続いて、リアルタイムでの応援をしそこないました。
〔参照:「有工の“明るさ”が…」〕
有田工が1点を先制をした時に、家を出る時間となり、出先で逆転された事を知り、また同点に追いついたことも把握します。
どうやら、また点差を付けられたらしい…と認識してから帰宅すると、相手校(島根県・浜田高校)監督の勝利インタビューが放送中…という状況でした。
――録画で振り返るにも、
今回は、大体の試合経過を知っており、盛り上がりに欠けるところがあります。そこで、周辺情報を見ていると「おや…?」と思うことがありました。
有田工関連のニュースや記事が、インターネット上に出始めたからです。
アメリカ・メジャーリーグのサイトにまで、有田工の話題が掲載されたと報じる記事も見かけます。
――その内容は、“打席の変更”について。
有田工業には左右両打席に立てる「スイッチヒッター」がおり、春のセンバツ甲子園でも打席変更の場面を見たように記憶します。
また、夏の地方予選である佐賀大会でも、その話題は出ていたと思います。
ただ夏の甲子園の本大会で、これだけ打席のスイッチ(切り換え)を実行する選手が現れたことに、結構なインパクト(衝撃)があったようなのです。

――これは、“賛否両論”の手法ではあるようで、
相手ピッチャーの投球数を増やしたり、拍子を狂わせる効果を期待するところがあり、「高校生らしくない」という意見もあるようです。
また、技術的には左右双方の打席に練習時間を割くことになり、高いレベルで使いこなすのが難しいという論評も見かけました。
ところが、意外に「今後につながる、面白い試みではないか」という立ち位置での反応が多かったように思います。
――たしかに、1球ごとに、
早足に打席を変更し、そそくさと動き回る姿を見ると「必死な感じ」という印象を受けたのは私だけではないはず。
これも、チームが主導して組織的に連発する作戦ならば、あまり良いイメージでは語られないでしょう。
ただ、個人のアイデアをチームがつぶさずに許容するのは、逆に「懐が深い」感じがしました。
――「創意工夫することをやめず、実践してみる。」
もともと有田工は、明治期に窯業の技術者養成機関として設立された学校が前身と聞いており、創意も、実践も…同校には伝統なのでしょうか。
「個人レベルの貪欲さ、それを受容できる組織…」大きく言えば、現在の日本に不足している要素なのかもしれません。

――かつて、幕末期の佐賀では。
佐賀藩は幕府からの誘いを受け、海外への出展に乗り出しました。1867年(慶応三年)フランス・パリの万国博覧会です。
もともと、海外貿易での販路開拓には熱心な佐賀藩でしたが、有田焼などの陶磁器を主力商品として500箱を超える出品を行ったと聞きます。
これは同時に出展した、幕府と薩摩藩を合わせた数より多いそうで、政治闘争よりも真面目に商売をしようとする佐賀藩…という印象です。
伝統的な皿など実用品中心の品揃えで臨みますが、ヨーロッパで注目はされるものの5分の1程度の商品しかさばけず、販売は成功に至りませんでした。
こうして現地パリに渡った、佐賀の関係者は売れ残り品の処分に奔走することになったそうです。

――そして明治時代となった、日本。
今度は新政府の主導により、1873年(明治六年)オーストリア・ウィーン万国博覧会に臨みました。
この時は、佐賀の出身者が中心メンバーとなり、パリ万博の経験者・佐野常民が現地責任者(副総裁)として派遣されます。
なお、組織トップの総裁は大隈重信ですが、現地入りはしなかったはずです。
ここでパリ万博の反省を活かし、伝統を活かしつつも、日本を強く印象づけるデザインに洗練した、巨大な花びんなどの有田焼が投入されます。
柔軟な発想で対応したことで商業的に成功するだけでなく、ヨーロッパの美術にもインパクトを残す…など、見事に“リベンジ”を果たしたようです。
〔参照:「主に有田町民の方を対象にしたつぶやき(後編)」〕
――夏の高校野球。佐賀県代表が勝ち進めなかったのは悔しいですが…
テレビの解説でも高校生らしいと評された堅実な野球。あわせて夏の甲子園での“打席の変更”を実行して話題となるなど、インパクトも残してくれました。
スイッチヒッターからは、左右の打席を変更する事で“視点”が変わり、冷静に状況が見られるという話もあるようです。
手堅い中にも、創意工夫があって活き活きとした選手たち。有田工には良いものを見させてもらったな…と思います。
夏の全国高校野球・甲子園大会に、佐賀県代表で出場した有田工業高校。
同校キャプテンが、試合前に「9年前に1勝している先輩たちを超えたい」と、語っている姿も放送されていました。
昨日の試合では勝ち進むことはできませんでしたが、こうして過去から現在、未来の後輩へと“物語”は受け継がれていくのだな…と感じた場面です。
――春のセンバツ甲子園大会に続いて、遠かった1勝。
実は、個人的にどうしても抜けられない都合が入ってしまい、私は春に続いて、リアルタイムでの応援をしそこないました。
〔参照:
有田工が1点を先制をした時に、家を出る時間となり、出先で逆転された事を知り、また同点に追いついたことも把握します。
どうやら、また点差を付けられたらしい…と認識してから帰宅すると、相手校(島根県・浜田高校)監督の勝利インタビューが放送中…という状況でした。
――録画で振り返るにも、
今回は、大体の試合経過を知っており、盛り上がりに欠けるところがあります。そこで、周辺情報を見ていると「おや…?」と思うことがありました。
有田工関連のニュースや記事が、インターネット上に出始めたからです。
アメリカ・メジャーリーグのサイトにまで、有田工の話題が掲載されたと報じる記事も見かけます。
――その内容は、“打席の変更”について。
有田工業には左右両打席に立てる「スイッチヒッター」がおり、春のセンバツ甲子園でも打席変更の場面を見たように記憶します。
また、夏の地方予選である佐賀大会でも、その話題は出ていたと思います。
ただ夏の甲子園の本大会で、これだけ打席のスイッチ(切り換え)を実行する選手が現れたことに、結構なインパクト(衝撃)があったようなのです。
――これは、“賛否両論”の手法ではあるようで、
相手ピッチャーの投球数を増やしたり、拍子を狂わせる効果を期待するところがあり、「高校生らしくない」という意見もあるようです。
また、技術的には左右双方の打席に練習時間を割くことになり、高いレベルで使いこなすのが難しいという論評も見かけました。
ところが、意外に「今後につながる、面白い試みではないか」という立ち位置での反応が多かったように思います。
――たしかに、1球ごとに、
早足に打席を変更し、そそくさと動き回る姿を見ると「必死な感じ」という印象を受けたのは私だけではないはず。
これも、チームが主導して組織的に連発する作戦ならば、あまり良いイメージでは語られないでしょう。
ただ、個人のアイデアをチームがつぶさずに許容するのは、逆に「懐が深い」感じがしました。
――「創意工夫することをやめず、実践してみる。」
もともと有田工は、明治期に窯業の技術者養成機関として設立された学校が前身と聞いており、創意も、実践も…同校には伝統なのでしょうか。
「個人レベルの貪欲さ、それを受容できる組織…」大きく言えば、現在の日本に不足している要素なのかもしれません。
――かつて、幕末期の佐賀では。
佐賀藩は幕府からの誘いを受け、海外への出展に乗り出しました。1867年(慶応三年)フランス・パリの万国博覧会です。
もともと、海外貿易での販路開拓には熱心な佐賀藩でしたが、有田焼などの陶磁器を主力商品として500箱を超える出品を行ったと聞きます。
これは同時に出展した、幕府と薩摩藩を合わせた数より多いそうで、政治闘争よりも真面目に商売をしようとする佐賀藩…という印象です。
伝統的な皿など実用品中心の品揃えで臨みますが、ヨーロッパで注目はされるものの5分の1程度の商品しかさばけず、販売は成功に至りませんでした。
こうして現地パリに渡った、佐賀の関係者は売れ残り品の処分に奔走することになったそうです。
――そして明治時代となった、日本。
今度は新政府の主導により、1873年(明治六年)オーストリア・ウィーン万国博覧会に臨みました。
この時は、佐賀の出身者が中心メンバーとなり、パリ万博の経験者・佐野常民が現地責任者(副総裁)として派遣されます。
なお、組織トップの総裁は大隈重信ですが、現地入りはしなかったはずです。
ここでパリ万博の反省を活かし、伝統を活かしつつも、日本を強く印象づけるデザインに洗練した、巨大な花びんなどの有田焼が投入されます。
柔軟な発想で対応したことで商業的に成功するだけでなく、ヨーロッパの美術にもインパクトを残す…など、見事に“リベンジ”を果たしたようです。
〔参照:
――夏の高校野球。佐賀県代表が勝ち進めなかったのは悔しいですが…
テレビの解説でも高校生らしいと評された堅実な野球。あわせて夏の甲子園での“打席の変更”を実行して話題となるなど、インパクトも残してくれました。
スイッチヒッターからは、左右の打席を変更する事で“視点”が変わり、冷静に状況が見られるという話もあるようです。
手堅い中にも、創意工夫があって活き活きとした選手たち。有田工には良いものを見させてもらったな…と思います。