2020年08月07日
「主に有田町民の方を対象にしたつぶやき(後編)」
こんばんは。
有田町についてのつぶやき…後編です。
これも数年前なのですが、私はモヤモヤとしておりました。それは、NHKのある番組のことです。
「なぜ“ブラタモリ”は、佐賀に来ないのか…」
ご存じない方もおられるかもしれないので、一応、説明しておきましょう。但し、私の主観が入った解説です…
――長年続いた「笑っていいとも!」の重圧から解放された(…と思われる)タモリこと、森田一義さん。
長寿番組を終えても、さすがは一流の芸能人。
ご自身の興味の赴くまま動ける番組で、格の違いを見せます。全国各地の地形・地質、およそ一般の旅番組とは程遠い世界が展開します。
…あれだけ眠たかった地理や地学の授業と、似たような中身を扱う教養番組なのに、これが楽しいのです。
――そんな“ブラタモリ”。なかなか佐賀を訪れてはくれませんでした。
そして、ネット上では「佐賀は、この番組でも“未踏の地”」と揶揄(やゆ)されていた様子。また「悔しかごたぁ!」…と大声を出しそうになるところです。
同番組を視聴している方はご存じでしょう。ここで“救世主”が登場します。
…言うまでもありません。有田町です。
しかも「有田焼」と「有田焼・世界へ」の2週連続の放映。
――繰り広げられた話は、陶石を採掘する山の成り立ちや、磁器を製造するのに適した環境など。
この辺りは、いつもの“ブラタモリ”らしい展開。
そして、有田ポーセリンパークでは、当時のアシスタントの林田アナウンサーが“特技”を使います。陶器と磁器の違いを体感するため、各々を叩いた音を比べる場面です。
林田アナは絶対音感の持ち主らしく、陶器と磁器を叩いた音を、それぞれ見事に音階で表現しました。
この有田を特集した2週を一言で語ると、「有田に行きたくなる」仕上がりでした。

――そして、タモリさんが物凄く興味を示したのが“碍子”。
“碍子”は「ガイシ」と読みます。電柱などに絶縁体として配置される“白い物体”です。
日本が幕末を経て、新時代・明治に入ったとき、電信の架設も進んでいきました。電気をコントロールするには“絶縁体”が重要です。
コストのかかる外国産を大量に使用することはできず、有田の磁器製造の技術で、碍子(ガイシ)を製造します。これが今も使われている磁器碍子です。
――日本の近代化、そして有田の技術…と来れば、関わったのは佐賀藩士です。
明治の日本で活躍した“逓信四天王”の1人と称される、石丸安世(虎五郎)。本編では第12話から、登場しています。まずは“蘭学寮”で、江藤新平に一目おかれる存在として描きました。
〔参照(後半):第12話「海軍伝習」⑦(有田の“坊ちゃん”)〕
その後、長崎の海軍伝習に参加。洋式帆船を建造するときも、嬉々として鋼線(ワイヤー)を張っていた若手伝習生…という感じの表現にしています。
〔参照:第12話「海軍伝習」⑨-1(悔しかごたぁ・前編)、第12話「海軍伝習」⑩-2(負けんばい!・後編)〕
――のちに石丸安世はイギリスに密航し、佐賀藩随一の英語の達人になります。
海軍伝習で引っ張ってくれたリーダー・佐野常民(栄寿)が、パリ万博で困難に見舞われているとき、ハイレベルな英語力を身に着けた石丸安世が、イギリスより颯爽(さっそう)と現れます。
当時は、西洋の事情に通じていても、オランダ語しか話せないことが多く、佐野にとって石丸の合流は心強かったことでしょう。
…これが本来の「施されたら施し返す、恩返しです」の精神でしょうか。
――電信架設に必須だった絶縁体・碍子。明治に工部省の電信頭となった、石丸安世が用いたのは有田の力。
当時、東京-長崎間の電信線架設は、「破天荒の大事業」とまで言われたそうです。
そして、日本各地への情報通信網の整備に、有田の磁器は欠かせない要素となったのです。
――後編の石丸安世は、かなり直接的に明治期の有田、そして陶磁器産業に関わっているのですね。
なお、前編の久米邦武も、“香蘭社”設立に関わるなど産業の仕組みづくりで、有田とは深い関わりを続けました。
私が語らずとも、既に有田町ではよく知られた話なのかもしれません。
あらためて有田町の皆様には、親しみを持ってほしい佐賀藩士の2人です。
有田町についてのつぶやき…後編です。
これも数年前なのですが、私はモヤモヤとしておりました。それは、NHKのある番組のことです。
「なぜ“ブラタモリ”は、佐賀に来ないのか…」
ご存じない方もおられるかもしれないので、一応、説明しておきましょう。但し、私の主観が入った解説です…
――長年続いた「笑っていいとも!」の重圧から解放された(…と思われる)タモリこと、森田一義さん。
長寿番組を終えても、さすがは一流の芸能人。
ご自身の興味の赴くまま動ける番組で、格の違いを見せます。全国各地の地形・地質、およそ一般の旅番組とは程遠い世界が展開します。
…あれだけ眠たかった地理や地学の授業と、似たような中身を扱う教養番組なのに、これが楽しいのです。
――そんな“ブラタモリ”。なかなか佐賀を訪れてはくれませんでした。
そして、ネット上では「佐賀は、この番組でも“未踏の地”」と揶揄(やゆ)されていた様子。また「悔しかごたぁ!」…と大声を出しそうになるところです。
同番組を視聴している方はご存じでしょう。ここで“救世主”が登場します。
…言うまでもありません。有田町です。
しかも「有田焼」と「有田焼・世界へ」の2週連続の放映。
――繰り広げられた話は、陶石を採掘する山の成り立ちや、磁器を製造するのに適した環境など。
この辺りは、いつもの“ブラタモリ”らしい展開。
そして、有田ポーセリンパークでは、当時のアシスタントの林田アナウンサーが“特技”を使います。陶器と磁器の違いを体感するため、各々を叩いた音を比べる場面です。
林田アナは絶対音感の持ち主らしく、陶器と磁器を叩いた音を、それぞれ見事に音階で表現しました。
この有田を特集した2週を一言で語ると、「有田に行きたくなる」仕上がりでした。
――そして、タモリさんが物凄く興味を示したのが“碍子”。
“碍子”は「ガイシ」と読みます。電柱などに絶縁体として配置される“白い物体”です。
日本が幕末を経て、新時代・明治に入ったとき、電信の架設も進んでいきました。電気をコントロールするには“絶縁体”が重要です。
コストのかかる外国産を大量に使用することはできず、有田の磁器製造の技術で、碍子(ガイシ)を製造します。これが今も使われている磁器碍子です。
――日本の近代化、そして有田の技術…と来れば、関わったのは佐賀藩士です。
明治の日本で活躍した“逓信四天王”の1人と称される、石丸安世(虎五郎)。本編では第12話から、登場しています。まずは“蘭学寮”で、江藤新平に一目おかれる存在として描きました。
〔参照(後半):
その後、長崎の海軍伝習に参加。洋式帆船を建造するときも、嬉々として鋼線(ワイヤー)を張っていた若手伝習生…という感じの表現にしています。
〔参照:
――のちに石丸安世はイギリスに密航し、佐賀藩随一の英語の達人になります。
海軍伝習で引っ張ってくれたリーダー・佐野常民(栄寿)が、パリ万博で困難に見舞われているとき、ハイレベルな英語力を身に着けた石丸安世が、イギリスより颯爽(さっそう)と現れます。
当時は、西洋の事情に通じていても、オランダ語しか話せないことが多く、佐野にとって石丸の合流は心強かったことでしょう。
…これが本来の「施されたら施し返す、恩返しです」の精神でしょうか。
――電信架設に必須だった絶縁体・碍子。明治に工部省の電信頭となった、石丸安世が用いたのは有田の力。
当時、東京-長崎間の電信線架設は、「破天荒の大事業」とまで言われたそうです。
そして、日本各地への情報通信網の整備に、有田の磁器は欠かせない要素となったのです。
――後編の石丸安世は、かなり直接的に明治期の有田、そして陶磁器産業に関わっているのですね。
なお、前編の久米邦武も、“香蘭社”設立に関わるなど産業の仕組みづくりで、有田とは深い関わりを続けました。
私が語らずとも、既に有田町ではよく知られた話なのかもしれません。
あらためて有田町の皆様には、親しみを持ってほしい佐賀藩士の2人です。
Posted by SR at 21:51 | Comments(0) | 各地域の皆様へのつぶやき
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