2022年08月07日
連続ブログ小説「聖地の剣」(8)ある日、出会った…
こんばんは。
前回のラストから、急に「劇中劇」のような展開になりました。夏を迎える前のある日、佐賀県立博物館の中、“白い大隈”さんに出会った私。
明治初期の東京・新橋~横浜間に日本初の鉄道を敷設するため奮闘した、大隈重信。諸般の事情が重なり、一部の土地には線路が引けません。
「ならば、海の上を走るまで…!」と計画を進める先頭に立っていた大隈先生は、東京湾を見据えていた事でしょう。
そこには“最短距離”を真っ直ぐに進む心と、佐賀藩出身者ならではの勝算がありました。

――「君も、佐賀の幕末を調べるなら、わかっているはずなんである。」
“白い大隈”さんは新政府の中枢で、バリバリと働く年代の姿で力強い。
幕末には、蒸気機関を熱心に研究した佐賀藩。その経緯も知る、大隈重信。近代国家には、鉄道敷設が必須であると確信していたようだ。
「…まさか、東京でもあれを行うのですか。」
「そうたい、あれたい。」
有明海の干潮時でも無いから、海を渡るには足場がいる。しかも、大隈先生の話は、鉄道を通す計画だ。生半可な土台では足らない。頑丈な石造りの…
「佐賀藩の長崎砲台ですか…。」
「ご名答である。」
――よく、ご存知の方には語るまでもないが、
前回からの大隈先生との対話は日本初の鉄道遺構として、東京で発掘された「高輪築堤」の前日譚を意識したものである。

ここには、幕末期に異国船に備えて、佐賀藩が築いた長崎港の台場整備の発想が活用されているという。
幕府も、交代で長崎を警備する福岡藩も動きを見せない。ならば…と、佐賀の殿様・鍋島直正が「佐賀藩だけでどうにかする!」と頑張って造った台場。
〔参照(中盤):第8話「黒船来航」⑧〕
――長崎の島と島の間、すなわち海の上にも…
鉄製大砲を配置するために、当時最新の工法で海中に足場を築く土木工事。佐賀が“表玄関”を固めた事で、日本は欧米に対して何とか面目を保つ。
長崎港に佐賀藩の台場が存在した事で列強による介入の口実を与えない…という効果もあったようだ。
「…さすがは、鍋島の殿。その先見性が誇らしいです。」
幕末に佐賀藩が培った力は、やはり明治期の基礎となっている。私は意気揚々とした。
――ところが一瞬、大隈先生に渋い表情が見えた気がした。
「ばってん、閑叟さまは、肝心な時に力ば使こうてくれんかった。」
「えっ、急に上層部批判ですか!?」
「貴君がなかなか書かぬゆえ、つい先走って語り出してしまうのである!」
幕末が大詰めとなった頃、大隈重信は、不用意に政局に関わらない佐賀藩の慎重な動きに対して、大いに不満があったようだ。
この辺り、私はまだ“本編”で描ける見通しすら無い。時間も能力も足らないが、まだあきらめてはいない…。ただ、今の状況が続くと、道のりは相当に険しい。

※博物館内の「高輪築堤」説明パネルのイメージより
――この“白い大隈”さんの言いたいことは何だろうか。
海の上に鉄道を通す。一見、無謀な挑戦を成し遂げたが、それも結果論だ。「君も、失敗を恐れてはならんのである」と語る姿にも見えた。
いきなり大隈重信が登場するとは、さすが“聖地”・佐賀。ちなみに大隈先生は、意外と来訪者の細かい話をよく覚えていたらしい。
こうして、私はとても覇気のある立ち姿の“白い大隈”さんに、後年、人気者となっていく雰囲気を重ねてみていた。
(続く)
前回のラストから、急に「劇中劇」のような展開になりました。夏を迎える前のある日、佐賀県立博物館の中、“白い大隈”さんに出会った私。
明治初期の東京・新橋~横浜間に日本初の鉄道を敷設するため奮闘した、大隈重信。諸般の事情が重なり、一部の土地には線路が引けません。
「ならば、海の上を走るまで…!」と計画を進める先頭に立っていた大隈先生は、東京湾を見据えていた事でしょう。
そこには“最短距離”を真っ直ぐに進む心と、佐賀藩出身者ならではの勝算がありました。
――「君も、佐賀の幕末を調べるなら、わかっているはずなんである。」
“白い大隈”さんは新政府の中枢で、バリバリと働く年代の姿で力強い。
幕末には、蒸気機関を熱心に研究した佐賀藩。その経緯も知る、大隈重信。近代国家には、鉄道敷設が必須であると確信していたようだ。
「…まさか、東京でもあれを行うのですか。」
「そうたい、あれたい。」
有明海の干潮時でも無いから、海を渡るには足場がいる。しかも、大隈先生の話は、鉄道を通す計画だ。生半可な土台では足らない。頑丈な石造りの…
「佐賀藩の長崎砲台ですか…。」
「ご名答である。」
――よく、ご存知の方には語るまでもないが、
前回からの大隈先生との対話は日本初の鉄道遺構として、東京で発掘された「高輪築堤」の前日譚を意識したものである。
ここには、幕末期に異国船に備えて、佐賀藩が築いた長崎港の台場整備の発想が活用されているという。
幕府も、交代で長崎を警備する福岡藩も動きを見せない。ならば…と、佐賀の殿様・鍋島直正が「佐賀藩だけでどうにかする!」と頑張って造った台場。
〔参照(中盤):
――長崎の島と島の間、すなわち海の上にも…
鉄製大砲を配置するために、当時最新の工法で海中に足場を築く土木工事。佐賀が“表玄関”を固めた事で、日本は欧米に対して何とか面目を保つ。
長崎港に佐賀藩の台場が存在した事で列強による介入の口実を与えない…という効果もあったようだ。
「…さすがは、鍋島の殿。その先見性が誇らしいです。」
幕末に佐賀藩が培った力は、やはり明治期の基礎となっている。私は意気揚々とした。
――ところが一瞬、大隈先生に渋い表情が見えた気がした。
「ばってん、閑叟さまは、肝心な時に力ば使こうてくれんかった。」
「えっ、急に上層部批判ですか!?」
「貴君がなかなか書かぬゆえ、つい先走って語り出してしまうのである!」
幕末が大詰めとなった頃、大隈重信は、不用意に政局に関わらない佐賀藩の慎重な動きに対して、大いに不満があったようだ。
この辺り、私はまだ“本編”で描ける見通しすら無い。時間も能力も足らないが、まだあきらめてはいない…。ただ、今の状況が続くと、道のりは相当に険しい。
※博物館内の「高輪築堤」説明パネルのイメージより
――この“白い大隈”さんの言いたいことは何だろうか。
海の上に鉄道を通す。一見、無謀な挑戦を成し遂げたが、それも結果論だ。「君も、失敗を恐れてはならんのである」と語る姿にも見えた。
いきなり大隈重信が登場するとは、さすが“聖地”・佐賀。ちなみに大隈先生は、意外と来訪者の細かい話をよく覚えていたらしい。
こうして、私はとても覇気のある立ち姿の“白い大隈”さんに、後年、人気者となっていく雰囲気を重ねてみていた。
(続く)